ラルス専用清涼剤

 きらめく照明。豪勢な食事。華やかなドレス。音楽隊による生演奏が耳を楽しませ、至るところから笑い声が聞こえる。素晴らしいパーティー。誰もがそう評するだろう場所でラルスは吐き気をこらえていた。

 口元を押えて外へ向かう。この日のためにとカリムが真剣にセツナがおもしろ半分に用意した服は窮屈で息苦しく、歩きながら胸元をくつろげる。少し歩いただけでも笑い声や料理の匂い、体臭、香水などが鼻につき吐き気を増長させた。


 外に出て扉をしめ、音と匂いが遠ざかったことでホッと息をはく。落ち着くために深呼吸すると夜の冷たい空気が肺に入ってきて嫌な匂いと声が少しだけ薄まったような気がした。


 今すぐ帰ってしまいたいところだがあいにく相方のカリムもラルスたちをパーティーに誘ったセツナもどこぞの誰かと談笑中。帰ると挨拶するにしたってあの人混みの中にもう一度入ってどちらかを見付けなければいけない。


 ちらりと中をみれば目に入ったのはきらびやかな衣装を身にまとい談笑する人間たち。誰もかれも優雅に笑みを浮かべているが扉越しでも腐った匂いが漂ってきてラルスは顔をしかめた。


 ラルスはワーウルフの中でも特に鼻がきく。大雑把な相手の感情が匂いでわかるほどに。楽しい、嬉しいという匂いは甘く爽やかだが、悪意は吐き気を催すような腐敗臭がする。今までもパーティーには参加したことがあるが、今回はとくに腐敗臭がきつくラルスにとっては苦行といって差し支えない。


「ラルス?」


 手すりに寄りかかりながらどうしようかと考えていると慣れ親しんだ匂いがした。扉が開いたことにより中の腐敗臭も漂ってくるが不思議と先ほどよりも気にならない。

 振り返れば予想通り、待ち望んだ相手が立っている。学院を卒業してからは動きやすさを重視して軽装が増えたが今日は目一杯めかし込みきらびやかだ。カリムの姿がまぶしく見えてラルスは目を細めた。


「カリム、こっち来て」

「どうした。調子悪いのか?」


 手招きするとカリムは怪訝な顔をしながら近づいてきた。近づくごとにカリムの匂いが強くなる。誰かの香水の匂いがうつっているのは不満だが多めにみることにした。


「おいっ!? ラルス!?」


 近づいてきたカリムの手をとって抱き寄せる。首筋に鼻を押しつけて深呼吸した。不快な腐敗臭を取り払ってくれるような爽やかな匂いが心地よく一層力を込めて抱き寄せる。


「外で抱きついてくるなっていうのはお前だろ。ほんとに今日はどうしたんだ」

「人間は匂いに鈍くていいよなあ……」

「……そういうことか」


 ラルスの一言で察したカリムがいたわるようにラルスの頭を撫でてくれる。男にしては細い指が優しく動くのがくすぐったくて気持ちいい。スリスリと頭をこすりつけるとなぜかカリムはう゛う゛と潰れた声を出した。


「お前がしんどかったのは分かった。わかったからここでデレるの止めてくれ。まだ帰れないんだから」

「……帰れなのか?」


 上目遣いでじっと見つめるとカリムがまた形容しがたい声をだす。ブツブツとどうにか、いやでも。と短い言葉を繰り返す姿をみて本日の目的はまだ達成されていないことを悟った。


 仲介屋を続けていくためには依頼がいる。依頼を得るには知名度がいる。だからカリムは社交界に足を運ぶしセツナは伝手を使ってカリムたちを招待してくれている。それが分かったうえで我が儘をいえるほどラルスはもう子供ではない。


「わかった……なんとか我慢するからさ、もうちょい匂い嗅がせて」


 カリムがなんとも言えない顔をしたが嫌とはいわない。だから遠慮なくラルスはカリムの首筋に鼻を押しつけた。


「カリムの匂い落ち着くなあ……」

「なんで私はパーティーなんかに来てるんだろうな……」


 なぜか遠い目をしたカリムがそんなことをいう。少し不満の匂いがしてラルスは首をかしげた。カリムもパーティーに嫌気がさしたのだろうか。


「カリムの匂いだったら全然問題ないのにな」


 不満でも嫌悪でも怒りでも、カリムだったらいいのだ。心配にはなるし悲しくもなるけど、鼻をつまんで離れたくなるような不快さはない。他の人は少しでもダメなのにとても不思議だ。なんでだろうと考えてラルスは気がついた。


「俺、カリムのこと大好きなんだな」


 声に出すと間違いない。そう思えてラルスは満足げに笑いカリムの体に頭をすりつける。なぜかカリムの体が石のように固まった。


「……なんで私はパーティーに来ているんだろうな」


 さっきと同じ台詞を先ほどよりも哀愁漂う声音でつぶやいたカリムをラルスは不思議そうな顔で見上げた。

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