日常延長線

 お邪魔しましまーす。と声をかけて玄関にあがりこむと、すぐ目の前の小野先輩が「どうぞ」と軽い声をあげた。ご両親は? と聞けば、まだ仕事中。とあっさりした返事が返ってきて、それもそうかと納得する。


 商店街で八百屋を営む小野先輩の家は、店として使っている表。住居として使っている裏の両方から家に入れる造りになっていて、小野先輩が僕らを案内したのは裏の方。それともこちらの方が住居としての表なのだろうか。そんなことを考えながら靴を脱ぐ。

 店の方からかすかに声がする。小野先輩の父親か母親が元気に野菜を売っている声なのだろう。誰かの家にお邪魔したことがないので、なんだか落ち着かない気持ちになる。


「彰君、何飲みたい?」


 すでに玄関を上がっている千鳥屋先輩が振り返って聞く。千鳥屋先輩の家と錯覚しそうになるほど遠慮のない姿を見て、僕は目を瞬かせた。後ろのカナちゃんから戸惑い、ナナちゃんからあきれた空気を感じるが、小野先輩は気にもとめずにジュースあったはず。なんて千鳥屋先輩に話しかけている。千鳥屋先輩の方は頷くとすぐさま奥へと向かう。

 迷いなんて一切ない。いつも来ているとわかる自然な動作。足下を見れば黒色のもこもこしたスリッパを履いている。小野先輩が出してくれたシンプルな来客用スリッパとは似ても似つかない。

 千鳥屋先輩専用のスリッパ。それだけでいかに千鳥屋先輩が小野家に入り浸っているのかがわかるし、他にも千鳥屋先輩専用のものはたくさんあるんだろうとうかがえた。


「……先輩たち付き合ってるんですか?」


 なんとなく今まで聞けなかった質問を口に出す。スリッパを履いていたカナちゃんとナナちゃんが固まった。今ここでそれ聞く? と豊かな表情でナナちゃんがいっているが、意図せず口からこぼれたのだから仕方ない。

 焦る僕たちとは違って小野先輩は目をゆっくりと瞬かせて、それから千鳥屋先輩が向かった方を見る。もう部屋の中に入ってしまったからその姿は見えない。


「……付き合ってるってどこからなんだろうな」

「……人によるんじゃないですかね」


 もう小学生ではないし、やることやってたら付き合ってるんじゃないですか。という言葉を飲み込んだ。小野先輩と二人きりだったらともかく、カナちゃんとナナちゃんの前ではセクハラだろう。いくら僕が可愛い見た目をしているとはいえ男であるのは変わらない。

 しかしながら、小野先輩と千鳥屋先輩の場合、好き合っているのは分かるのだが、恋人同士というような関係とは少し違う。あけすけに言うなら肉体関係があるようには見えないのである。


「花音は家族だからな」

「……それは恋愛感情はないんですか?」

「初恋は花音だし恋愛感情はあるんだが……」


 小野先輩はそこで言葉を句切ると困ったように眉を下げた。


「一緒にいるのが当たり前過ぎて、好きというタイミングを失ってたなと今気づいた」

「今気づいちゃったんですか……」


 黙って話を聞いていたナナちゃんが思わずといった様子でつぶやいた。気持ちは分かる。


「告白しないとマズいか……?」

「それは小野先輩にお任せします」


 告白したって答えはイエスに違いないし、告白しなかったとしても千鳥屋先輩が小野先輩から離れる未来などは想像できない。それくらい二人は完成されている。わざわざ言葉や恋人という関係を必要としないくらい。

 ただ一つ問題があるとすれば……。


「千鳥屋先輩の家の事で揉めることがあったら、いってくれれば僕ができる限りのことしますよ」


 千鳥屋先輩の家は古い家である。跡は上が次ぐという話だが、それでも一般家庭の人間と結婚するとなれば文句を言いたがるのが由緒正しきお家柄という奴だ。現状、放任している状態であっても、それとこれとは別扱いなのである。

 だから、少しぐらいは家のことも気にしているのかと思っていたのだが、小野先輩は驚いた顔で僕を凝視する。


「あーそういえば、そういう問題もあったのか?」

「いま気づいたんですか」

「花音は、花音だしな」


 生まれた家なんて関係ないし。と聞く人によってはそれだけで恋に落ちそうな事をさらりと言う。背後でナナちゃんがうぐぅ。と形容しがたい声をあげた。チラリと見れば苦虫をかみつぶしたような顔をしたナナちゃんと、その隣で顔を赤くしたカナちゃんが見える。しかし異性二人の反応を見ても小野先輩は首をかしげるばかり。

 小野先輩としては当たり前のこと過ぎて、照れることもなければおかしなことでもないのだろう。


「……結婚式には呼んでくださいね……」

「もちろん」


 その未来を疑いもしない澄み切った表情で小野先輩が頷く。それを見て祝いの品は奮発しないとな。と僕は思うのだった。

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