私がいなくても大丈夫

 子供の泣き声が聞こえて百合は足を止めた。


 違和感の正体に気づいた百合は声の方へと早足で向かう。自分と同じことに気づくだろう妹に、見つかる前になんとかしよう。そう思ったのだ。

 しかし、声の方へと近づけば泣き声とは違うおだやかな声が聞こえてきた。

 すでに遅かった。そう気づいた百合は急いで声のもとへ走った。


 百合の妹、晶が地面に座り込み泣いている子供をあやしている。その光景だけみれば微笑ましいのだが、問題は晶にしがみつく、半透明な子供の方。


「晶、関わるなといっただろ」


 溺愛している妹だが、こればかりは許すわけにはいかない。ただでさえ体が弱い晶は死に近い場所にいる。死んでいるものに情をかけ、あちら側に引きずり込まれることを想像するだけで百合はゾッとした。


 施設の前に捨てられた百合と晶はお互いが唯一の家族だった。親の顔は覚えていない。百合と晶という名前はただ一つだけ親からもらったもの。しかし、互いに握りしめていたオモチャにかかれた名前は、可愛らしい女の子の晶にはかっこよすぎるし、目付きの悪い男である百合には可愛らしすぎた。


 逆かもしれない。

 百合と晶を見つけた施設の人はそんな疑いを持ちつつも、実の親からもらった唯一だからとそのまま百合と晶に名前をつけた。


 男なのに女みたいな名前。女なのに男みたいな名前。とお互いに言われて育ったが、百合と晶の対応は正反対。

 物理的に黙らせて何度も施設の大人にしかられた百合。それに対して晶は穏やかに、素敵な名前でしょう。と微笑んで二の句をつがせなかった。


 晶と百合は全く似ていない。晶はいかにも女の子らしく、か弱く愛らしい。百合は男らしいを通り越して怖いと周囲を怯えさせる。性格も晶はのんびりマイペース。百合は短気で怒りっぽいと少しも共通点がなかった。それでも兄妹仲はよく、とくに百合は病弱な晶を可愛がった。


 そんな似てない兄妹がただ一つにてしまったのが、幽霊が見えるという、全く嬉しくない力だった。

 物心つく前に捨てられ、死にかけたせいなのか、親からの遺伝なのかは分からない。しかしながら百合も晶も当たり前のように人には見えないものが見えて、それが普通ではないと理解するのも早かった。


 だが、そのあとの行動は真逆。百合は幽霊を徹底的に無視し、いざとなったら排除すべく知識を集めたが、晶は幽霊というものに親しげに話しかけ理解を示した。そんな晶に、危ない。何かあったらどうするんだと、たびたび百合は怒ったが、百合の言葉を晶は少しも聞かなかった。


「この子寂しいんだって。泣き止むまで一緒にいてあげたいの」


 怒った百合は怖いと皆が口を揃えていうが、晶は百合を怖がることは一度もなかった。それどころか百合は優しい。自慢のお兄ちゃんなのと柔らかな笑顔でつげるので、百合は晶の自慢の兄にならなければいけないとつよく思うようになった。


「そいつはもう死んでるんだ。泣き止むのだっていつになるか分からない。晶が気にすることじゃないだろ」

「大丈夫、もうすぐ泣き止むから。もうすぐ安心するから」


 百合がいくら心配しても晶は微笑むだけで動こうとはしなかった。泣き続ける子供の頭をなでて、大丈夫。安心して。もう怖くないし、寂しくないと優しい声で繰り返す。

 まるで魔法の言葉。


 晶に魔法をかけられてきた百合はよくわかる。晶がそういうと本当に全てがうまくいくような気がする。寂しくないし怖くない。優しいといわれれば優しくなれるし、強いと言われれば強くなれる。そんな不思議な力を晶はもっていた。


 その言葉に生きているか死んでいるかの違いは関係ないらしく、悲しげに泣き続けていた子供は少しずつ落ち着いていく。それと同じくして子供の体がキラキラ輝いて消えていく。

 成仏するのだと百合にはわかった。


「また会おうね」


 にこにこ笑って晶は子供の幽霊を見送る。子供は最後、無邪気に笑ったように見えた。あの子は間違いなく天国にいくだろうと百合は思う。


「ほら大丈夫だったでしょ」


 立ち上がってスカートのホコリをはらった晶は笑う。その笑顔は全てを浄化するような綺麗でやさしいものだった。そんな笑顔を見るたびに百合は晶のいう通り大丈夫なのではないかと思う。

 けれど、どこかで、そう思い込みそうになる自分が怖くなるのだ。


「今回はよかったけど、次がいいとは限らない」


 晶の小さく細い手を握りしめて、百合は歩きだす。

 晶の手はあたたかい。それに安堵し、不安になった。このあたたかい存在がいつかいなくなったらどうしようと。


「百合ちゃんは大丈夫。つよいもの」


 晶は優しく微笑んだ。その笑顔が眩しくて百合は目を細める。ちゃんと目の前に晶がいると確かめる。

 晶は今まで何度も大丈夫と繰り返した。百合ちゃんは強いからと。そのたびに百合はいっそう強くなった。


 しかし、一度だって自分は死なないから。とは言ってくれなかったのだ。


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