だから元悪魔は押し黙る
「リン、一緒に笹を取りにいかないか」
子供のようにはしゃいだ様子で響がいった言葉にリンは思考が停止した。
「笹……?」
「もうすぐ七夕だろう。家に飾るものや、学校に送るものを毎年とってきてもらっているんだが、今年は予定が空いたので同行しようかと」
遠足前の子供みたいに浮足立っている響にリンは苦笑を浮かべた。寂しい幼少期を過ごした反動か響は妙に子供らしくなることがある。笹をとってくるところなんか見て何が楽しいのかとリンは思ったが、響にはリンには分からない楽しさがあるのだろう。
「笹の確保なんて毎年してたんだな」
羽澤家は教育に力を入れている。羽澤家が運営している学校もあれば、支援している学校やら施設がいくつもある。それらに毎年笹を送っているとなればかなりの量だろう。一銭の得にもならないだろうに律儀なものだとリンは思った。
「季節を感じるのは大切だろう。子供の時だからこそ純粋に楽しめることも多い。楽しい思い出は多いに越したことはないからな」
そういう響は純粋に季節を楽しむことなど出来ない子供だった。親には腫れ物のように扱われ、兄たちには遠巻きにされた。その原因の一つが自分であることをリンは自覚している。自分のような化物に気に入られてしまったから、響は孤独な幼少期を過ごした。
にも関わらず、こうして兄のように自分を慕うのである。なんて愚かで可哀想な子だろうとリンは思う。そう思いつつも、自分を慕う姿に喜びを覚えてしまう自分は本当にどうしようもないと胸の内に嫌悪が浮かぶ。
そんな気持ちをごまかすためにリンはあえて明るい声を出した。
「響は願い事、なに書くんだ?」
「願い事?」
「七夕っていったら短冊に願い事だろ。お前、子どもたちに笹届けて満足するつもりだったのか」
リンの言葉に響はそういえばと目を瞬かせる。その反応からみて自分のことはすっかり忘れていたらしい。他人の幸福を喜ぶ響は自分のことは頓着しないところがある。そうしたところは羽澤家の血に様々な影響を与えた双子によく似ていた。
人間は似なくてもいいところが似る。
リンは苦い気持ちになりながら響を見つめる。
「願い事……そういわれるとこれといったものが思い浮かばないな」
「いや、あるだろ! 願いの一つや二つくらい」
「うーん、現状に満足しているからな。これ以上望んだらバチが当たりそうだ」
響は真剣な顔でそんなことをいう。響のこれまでの人生は幸福だったとは言い難い。寂しい幼少期を過ごし、愛した女性には先立たれ、忘れ形見の子どもたちとはつい最近まで一緒にいられなかった。
不満を口にしてもいいだろうに、不幸だと嘆いてもいいだろうに、響は現状に満足しているという。それが本音だと分かるからこそリンは胸の奥が痛くなった。なぜ、これほどまでに目の前の人間は綺麗なのか。
眼の前の清らかな存在が急に怖くなった。一緒にいれば自分の醜いところばかりが見えるというのに、その姿があまりにも美しくて離れることが出来ない。まるで自分を絡め取る罠のようだ。
「あるだろ。一つくらい……」
何でもいいから一つぐらい、なにかワガママをいってくれ。響にだって醜いところがあるのだと思わせてくれ。そんな身勝手なことを思いながら響を見つめる。
こんな自分に幻滅してほしいと思うのと同じくらい、気づかずにいてほしいと願っている。
響はいつになく弱々しいリンの態度が気になったのか不思議そうにこちらを見つめる。それからしばし何かを考えて、最後に困ったような顔で笑った。
「本音を言えば望みはあるのだが、これを言われても彦星と織姫は困ってしまうだろうから」
「毎年、大量に願い事されてるんだから一つ二つ増えたって気にしないって」
「そうか……そうかもな。ならば……」
響はそこで言葉を区切ると目を細めた。
「アキにもう一度会いたいな」
リンの胸がズキリと痛む。血が出ていると錯覚するくらい血の気が引いた。
そんなリンに響は気づかず、なにかを思い出すように宙を見つめた。
「成長した彰となのかを見せてあげたい。きっと喜ぶ」
幸せを噛みしめるような笑顔にリンはなにも言えなかった。いう資格を持たなかった。
お前の幸せを奪ったのは俺だと、臆病者の元化物は口に出す勇気もなかった。
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