二匹の化物
だまされるな。奴らは人間じゃない。
その言葉が木霊する。
出血した肩の痛みはずいぶん遠いところにあり、夢を見ているような心地がした。少し離れた場所で行われた惨劇がずいぶん遠い。獣のうなり声に咆哮、悲鳴。吹き出す血や噛みちぎられた手足を見ても現実感がない。
「ラルス……?」
すぐ隣にあったはずの存在がひどく遠い。目つきは悪くても人なつこく、人になでられるとしっぽを振る愛想のよい奴だったはずだ。しかし目の前にいるラルスは普段の温厚さが嘘のように無慈悲に相手を踏み潰し、噛みちぎる。
押さえられた体から腕がちぎれて、男が悲鳴をあげた。助けてくれ。といくら叫んでもラルスの行動はとまらない。噛みちぎった腕をおもちゃのように吐き捨てて、踏み潰した男にさらに体重をかける。
「ラルスやめろ!」
このままでは殺してしまうと、やっと動くようになった体で叫ぶ。ワーウルフに比べて人間の体はもろい。そのことを知らないラルスではない。やり過ぎだということはわかっているはずなのに、振り返ったラルスの瞳には色がなかった。
「食い殺せばいいだろ。こんな奴」
恐怖のあまり声が出ない相手にさらに体重をかける。なでてと甘えてた声をあげた者と同一人物のはずなのに別人に見える。
「知ってるか、人間。ワーウルフっていうのは仲間を大事にする種族だけどな」
カリムへ向けた視線をすぐさま男に戻すと、ラルスはやけに淡々とした口調で話す。独り言のような、大きくもない声。それなのに息づかいすらもはっきり聞こえるのは、ラルスの空気に飲まれているからだろうか。
「番を傷つけた相手は仲間じゃねえから、食い殺しても罪にはなんねえんだよ」
いうが早いかラルスは男の首筋に牙をつきたてる。吹き上がる血しぶきに悲鳴。その悲鳴もやがてか細くなってピタリと止まる。動かなくなった男を見てもラルスは冷えた表情のまま、顔についた血をぬぐった。
「カリム、怪我の調子は?」
カリムが唖然と様子を見ていると、先ほどまでの怒りが嘘のようにいつもの様子でラルスが声をかけてくる。カリムの傷をあんじる姿は見慣れたもの。眉をさげ、心配そうに揺れる瞳と下がった耳としっぽ。いつもの愛らしい姿なのに、顔にも服にもべったりと血がついている。それに対して何の感情も見せず、ラルスはカリムの怪我の様子をみて顔をしかめる。
止血しないと。と言いながらラルスが向き直ったのは先ほど殺した男の死体で、何の迷いもなく衣服に触ったかと思えばビリビリと引き裂く。それを包帯代わりにカリムの腕を縛る姿を何も言えずにみていた。
「どうすっかなーあれ。面倒くさいし食っていいかな」
カリムの手当が終わると、今日の夕飯何にするかな。というような軽い口調でラルスは告げた。何のことだか最初は理解できず、遅れて事切れた男の事だと気づく。
「食べるのはやめた方が……」
「お腹壊しそうだしな」
カリムの意図とはまるで検討違いな事をつぶやくと、ラルスはカリムの体を抱き上げた。やめろ。と抵抗する気も起きずに間近でラルスの顔を見つめる。普段と変わらない姿に先ほどの凶暴さはない。だからこそ恐ろしく感じる自分は薄情なのかもしれない。
「クラウさんに報告しないとな」
のんきな事をいいながら歩くラルスを見上げると、再び声が聞こえる。
勘違いするな。奴らは人間じゃない。人の姿をしているだけの化け物なんだ。
その言葉を今のカリムは否定する気にはなれなかった。それでもその化け物を怖いと思うと同時に愛おしく思う自分も化け物なのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます