はじまり

 パトリスがはじめてリューベレンをみた時の感想は顔は好み、言動はうるさい。だった。

 知識の園なんて呼ばれている王立図書館付属研究所に突然やってきて、学者にしてくれ! そう叫んだ珍獣であったため、その姿はとにかく目だった。

 休憩しようと研究室をでてきたパトリスが目的を忘れて足を留めてしまうほどには、リューベレンの快活な声はフロアに響き渡っていた。


 リューベレンは何事かと集まってきた同僚たちにいかに自分が異種族に興味があり、いかに彼らの感触が人とは違い、素晴らしいものかを熱弁し始めた。学者の称号を国から頂いた者たちに対してだ。

 なんておろかな奴。最初はそう思ったパトリスだったが、リューベレンの熱弁は思ったよりも理にかなっており、面白かった。


 最初は変人が現れたと遠巻きにみていた同僚たちも次第に耳を傾け相づちをうち、そのうち議論を始めた。

 その熱量足るやすさまじいもので、遠巻きにみていたパトリスは素直に引いた。真面目とはお世辞にもいえないパトリスだったから、白熱する議論は正直暑苦しさしか感じない。

 しかしながら同僚を巻き込んで熱風を産み出したリューベレンには興味があった。


 長い黒髪に細身の体躯、遠目にみれば女にも見える外見。しかし止まらない口上を述べるのは男の声でなんとも奇妙な生き物に思えた。身振り手振り、大袈裟なジェスチャーで語り、笑い、初対面とは思えない距離感で同僚と肩を組む姿をみるとパトリスよりもよほどここに馴染んでいる。

 この光景だけみればリューベレンが先ほど来たばかりの部外者には到底思えないだろう。


 最初からそんな調子だったのでリューベレンはあっさり仲間に加わった。といっても正式には見習いである。

 国立図書館所属の学者は国からの給与をもらって研究を行っている。その研究は国の財産であり、一個人のものではない。生活は安定するが国家公認学者となるには試験の合格が必要となり、貴族のお抱えや個人で資金調達しつつ研究を行う民間学者とは一線をひく、学者の中でもエリートといっていい集団だ。


 それを全く知らず、とりあえず自分も知るほど有名だったから。という理由だけで乗り込んできたリューベレンがいかに無知で考えなしかが分かる話だが、この姿勢を気に入った学者は意外と多かった。


 学者は意外と重労働である。部屋にこもって本を読んでいればいいと思っているものが多いが、本というのは研究の完成形。それを産み出すために日夜研究は続けられているのであり、早い話未知の分野は自力で調べあげるしかないのである。

 そうなると研究所にこもりっぱなしとはいかない。とくにパトリスが席をおき、リューベレンが見習いを始めた異種族学は調査対象が異種族である。外にでて研究に協力してくれる異種族を見つけなければ話にならない。そんな学問だ。

 要するにリューベレンのように後先考えずに誰にでも突撃できるような図太い神経の持ち主の方が適している。そういう場所であった。


 話を聞く限りリューベレンは研究所の扉を叩く前から趣味で異種族に突撃していたようだ。パトリスも知らないような異種族の溜まり場も知っている有用な情報源であり期待の新人といえる。同僚たちが大喜びで歓迎するのも納得な逸材だったのである。


 しかしながら問題があるとするとリューベレンは庶民であり、文字かきが十分にできなかった。読むに関してはまだいいが書くとなると心もとない。

 これは庶民であれば珍しい話ではなかった。読むことが出来るだけ十分優秀といえる。


 「人の国」において学校に通えるのは裕福な家庭が主。庶民相手の学校がないわけではないのだが数が少なく、庶民も読み書きが出来なくても生活に困らない。それよりも家の手伝いをしてほしいと学校に通わせない親が多く、識字率がなかなか上がらないのが現状であった。


 国家公認試験に合格するためには文字を書けるようにならなければいけないとなれば誰かが教えなければいけない。

 そうなったときパトリスに白羽の矢がたったのは、パトリスがリューベレンと一番年が近く、日頃からのサボり癖の結果といえた。

 サボって消えるくらいなら期待の新人に勉強教えろ。という先輩たちからのありがたい圧力から逃れられるほどパトリスは強くなかった。


 こうしてパトリスはある意味でいえば研究対象よりもよほど奇妙な存在であるリューベレンの教育係りに任命された。


 この文字も書けない男がのちのち人間史に残る偉業を成し遂げるなんて、このときのパトリスは少しも想像していなかったし、自身にも大きな影響を与えるなんてことはさらに想像できないことであった。


 だからパトリスとリューベレンの最初の会話はごくごく平凡に自己紹介から始まったのである。


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