第10話 「第三幕 第一場 光明(1)」に話題でだけ登場する、汐凪のお気に入り曲

 コーヒー・カンタータ。

 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの名作です。

『そっと黙って、お喋りめさるな』という名称が付いています。

 世俗カンタータ、第211番。


 珈琲を愛好する娘リースヒェン(音域:ソプラノ)と、それをやめさせようとする父親シュレンドリアン(音域:バリトン)、語り手(音域:テノール)の三人で歌う、オペレッタよりも更に小さい、物語仕立ての声楽組曲、と言えるでしょうか。


 シュレンドリアンという名には、『旧弊な人』という意味があるそうです。

 それは、この曲で彼が歌う内容からも、笑ってしまうほどうかがえます。



 欧州でコーヒーが飲まれるようになり始めたのが、17世紀初頭だそうです。ただし、始めは植物学者や医学者にしか知られていなかったようです。当時、キリスト教の聖なる飲み物は、ワイン。それがイスラム界にはなかったために悪魔からコーヒーを与えられているのだとされていました。

 めちゃくちゃだな。

 けれど、薬効としてのコーヒーを求める人々もおり、慈悲深き時の教皇クレメンス八世による裁判が開かれることになり、そのために彼はコーヒーを味見したということです。その際、香りと味に魅了されたらしく、コーヒーに洗礼をして信徒がコーヒーを飲めるようにしたんだとか。

 めちゃくちゃだよな。


 健康にいい飲み物だともてはやされたり、万能薬と呼ばれたり、しかし、ミルクを入れるとハンセン病の原因になるとか、飲むと男性機能を失わせるとか、まあ、色々と、ぐっちゃぐちゃな評判を得ていたコーヒー。

 まあ、安全な飲料を目指したワインやビールと違って、ほぼ嗜好品扱いでした。現在では、逆ですけどね。


 と、それをふまえまして。


 コーヒーを「千のキスより甘くって、マスカットワインよりなおソフト」としてこよなく愛するリースヒェン。彼女は、一日に三度はコーヒーを飲まないと、「干からびた山羊肉のようになってしまうわ!」と高らかに歌います。

 父にパーティーや散歩を禁じられても、流行りのドレスの購入をとりやめられても、窓辺から外や往来を眺めるのを許されなくても、帽子飾りの高価な金銀細工を買ってやらないと脅されても、「コーヒーさえ飲めればいいわ」とのたまいます。

 斯くして娘の強情が勝つかと思われたとき。

「お前、結婚できなくても、いいのかね?」

と、言われて、彼女はコーヒーを置きます。


 当時の結婚は、少なくとも良家では家長の許可が絶対。なにしろ、持参金を出してもらわなくては無理ですから。つまりは家同士の結婚ですね。

 そして、結婚できない娘は基本的に修道院に行くくらいしかない。それも、お金がいるけど。

 でもって、結婚できないって、家の力がないってことにもなるので。

 肩身が狭いわけです。

 何より、本人が。

 家勢については大体、推察できるので(社交界では普通にバレる)、それでも結婚できないのなら、本人にヤバい性癖があるとか素行が悪いとか醜いとか評判が最悪だとか子が成せないのだろうとか、まあ、酷いこと言われるんでしょうね。

 結婚できないって、現代よりも遥かに不名誉なこと。

 ですので、リースヒェンは屈するわけです。

 やったね、父さんファーター


 しかし、そこで終わらないのが痛快なのですよ。


 娘を意に沿わせて機嫌よく父は婿を探しに出かけます。

 娘は素敵な旦那さまを夢見て気分よく歌います。

 そして、語り手は、そんな娘の本意を知っています。

「リースヒェンは密かに言いふらしました。即ち、こんな求婚者は家にれないということを。彼女の結婚契約書には、特別な一文がれられ、それを守れる者こそ彼女の夫となれる。それを受け入れない者は求婚する機会さえ与えられず、家にははいれない。その一文とは、『いつでも、欲しいと思ったときに妻にコーヒーを飲ませてくれること』」


 結局、娘の勝利ですね。


 曲は、こう締め括られます。

「猫がネズミ捕りをやめられないように、

 娘たちも、コーヒーがやめられない。

 お母さんも、おばあさんもそうだったのに、

 誰が娘にコーヒーをやめさせることができるものか」


 この最後の曲には、シュレンドリアン氏も加わっています。あれ、お父さん、屈服しちゃった?


 ただし、作詞家ピカンダーの手によるのは、リースヒェンがコーヒーよりも結婚相手を選んだところまで。その次の、リースヒェンの企みと結末の二曲の歌詞は、誰の手によるものか、不明だそうです。

 愛妻家だったバッハが加えたのかもしれない、という説もあるそうで。うん、いいセンスしてますよね。このオチがあるからこそ、作品が輝いていると思います。


 と、まあ、そういう曲が、教会のオルガニストもしていたバッハの作品にあるというのは、とても面白いのです。


 教会で女性が歌うことを禁止されていた時代は、去勢歌手カストラートが高音域を担っていました。

 中国の宦官とは違って男性機能は残されていましたが、彼らからは生殖機能が失われています。

 当然、その全員が、ファリネッリやカッファレッリのように富と名声を得られたわけではありません。屈辱的な人生を強いられた者も多かったでしょう。

 女性を蔑視していながら、男性を虐げる。

 本当に、宗教って、扱いが難しい。


 でも、コーヒー・カンタータを聴くと、ちょっと、そういう不条理とか理不尽とかが和らぐ気がするのです。


 あの頃から、闘った人権活動家みたいな存在は、いたんだろうなと思えて。

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