第43話 蛇足的〝天望澄明〟のこと
──立場を笠に着るわけでなく、他者に多くを与えられるからこそ望みを叶えられる、真っ当な権力だ。
──力とは本来、与えるということが出来るもの。奪うとは、貧者の為す行いであるのだから。豊かさを高めた存在に自ずと人々は集まり、個々の力が合わさって頂点の権力も増す。そこに必要なのは徳であり、威圧でも武力でもない。(第六幕第二場より)
──ただ欲にかられて利己的に振る舞うようになれば、他者を踏みつけ害しても自己を正当化して責任逃れし、負うべき罪を別の誰かに着せるのです。愚かしくも醜い所業です。己がどう考えていようと、そうした行いは不名誉となり、その名を自ら汚すでしょう。(第六幕第三場より)
政治的な思想を作品に出すのは、控えようと思っていました。その考えがまるきり変わったわけではないのですけれど。
この100日の世界情勢。
確かに日本は当事国というわけではない。
でも、他人事ではないのですよね。
北方四島のことを思えば。
政治家が自国の利益を優先して動くのは、決して悪ではないでしょう。
けれど、その求める利益は、恒久性があるのか。
国際社会として発展が進み、子どもでさえインターネットを介して世界中と繋がることが出来る、この時代に。領土と資源を武力でもって収奪したとして、本当に強国と呼べる力と立場を維持できるのか。諸国の反発を招いて貿易や為替経済が停滞すれば、国内景気も自立が危ぶまれる。
それなのに。
子どもや高齢者、病と闘っている人々まで死なせても、悪びれることさえない。それどころか、罪をなすりつけて平然としている。
そんな恐ろしいことが、日々、繰り返し起きている。
心が震えてしまうのです。
なぜ。
なぜ。
なぜなのか。
個人的に、どうしても、この気持ちが打ち消せず、こうして、作品の中で、ある人物を糾弾する文章を綴りました。
彼は、“何か”に追いつめられた結果、あのような愚挙に出たのでしょうが、だからといって許されるかと言えば、難しいと思います。
自国民の利益より、個人的満足を優先したこともまた、確実であるでしょうから。
どうか、もう、止めてほしい。
止めるのは始めた人間であるべきです。そうでなくては犠牲の場が広がってしまう。
そんな願いもこめて、書いています。
作品の中の人物にも言えることではありますが。
……そう考えると、本当にカルミレッリが広く愛していただけていることに、希望を感じます。
自分の気持ちより、他者の幸せを願える。
誰もが本来は持っているはずの慈愛。
世界が、それを共有できれば。
地は天よりも澄み、安らげるのかもしれません。
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