10:10月1日 午前のこと -村長との面会ー

 岡山県南端の児島半島、その中央部の山地の真ん中に臍のような盆地がある。そこにあるのが段々村だ。盆地は直径二キロほどのほぼ正確な円形で、上空からは火口跡か隕石孔に見える。

 そこは閉ざされた世界だった。高さ五十メートルはあろう、切り立った崖に取り囲まれている。崖には草木が密生しており、外と繋がる通路は見えない。一体、僕はどこから入って来たのかと不思議に思ったが、落ち着いてから確かめることにした。

 盆地全体が起伏に乏しく、草野原のような感じだった。貧弱な木立が点在し、ところどころに田畑や家屋が見える。それらの間を縫うように青々とした芝で覆われ、池や砂地がある場所があった。

「まさにカントリークラブですね」

 室見川助役は澄まして答えた。

「ええ、村長がお持ちのゴルフ場です。九ホールですがね」

 僕はこれを開放すれば儲けにつながるのではないかと思ったが、口にはしなかった。

 盆地の真ん中あたりに二階建ての洋館があった。そこが村役場だという。周辺には数軒の家屋があったが、久吾屋ひさごやという商店以外は住人はいないという。

 そこから右手、つまり南に五百メートルほど離れた所に廃校があり、さらに南に視線を移すと、崖下に交番のような建物と小屋があるのが目に入った。

 北の端には、塀に囲まれた三階建ての洋風の豪邸があった。白く輝いていて、思わず見とれてしまった。

 室見川助役が言った。

「あれが村長のお宅です。白っぽく見えますが、実際は黄色い煉瓦造りです」

 そこから少し東に目をやると、コップを伏せた形の山が突き出していた。盆地の底から頂上まで二百メートル近くあるだろう。傾斜は急で、中腹以上は岩だらけのようだ。荒涼とした、異様な姿だった。

「あれは柘榴峰ざくろがみねといいます」

 そこで助役は歩きだした。僕も肩を並べた。

「ちょっと緊張しますね」

「緊張することなど、ありゃしません。普段どおりにしていればいいんです」

 十五分ばかりで村役場に着いた。古びていて、見た目よりも内部は狭く感じられる。一階の受付台では、中年の女性が無表情で花を活けていた。

 助役が僕とその女性を引き合わせてくれた。

「こちらが御田島妙子みたじまたえこさんです。村長の奥様で、村の出納長をされています」

 僕は助役に伴われ軋む階段を上がり、二階の村長室に入った。もともと広くないのに不相応に大きい執務机とソファが置かれ、実にせせこましい。南側の大きなガラス窓から、薄いカーテン越しに陽光が差し込んでくる中、男が満面の笑みを浮かべ僕に握手を求めてきた。

「ようこそ。私が段々村村長の御田島丞介みたじまじょうすけです」

 御田島村長は背は高くないが、肩幅が広く頑丈そうな体格だった。額には深い皺が刻まれていたが、よく日焼けした肌には張りがあった。トラッド風の濃い茶色のスーツを、さりげなく着こなしている。田舎には珍しくお洒落な人だなと思った。

 黒い革張りのソファに腰を下ろすなり、村長は喋りはじめた。

「我々があなたと出会ったのも運命、あなたがここに来られたのも運命です。人は運命には逆らってはいけない。いや、逆らうことなどできない。あるがままを受け容れるべし。これを私は常々、村民に言い聞かせています」

 村長は大きく両手を広げた。

「しかし村としては、それではいけないことを悟りました。運命が自分に優しくなくなったら、運命をひっぱたいてやる必要があります」

 村長は演説口調になった。

「このところの好景気にもかかわらず、この村には恩恵はなかった。全国津々浦々で開発が行われたのに、この村には別荘のひとつも建たなかった。温泉の試掘すら誰も来なかった。土地の値段も上がらなかった。なぜだかわかりますか」

 僕は遠慮がちに答えた。

「立地が良くないから、でしょうか」

 村長は大袈裟な身振りを交えて言った。

「それもあるが琴浦町が悪い。ご存知でしょうが、段々村は公には存在しません。昭和30年に琴浦町に合併されております。当時、私の亡くなった親父が村長でしたが、懇意にしていた政治家に拝み倒されて合併の調印をしてしまった。ところが琴浦町の連中は、ここはほったらかしたまま何もしようとはしない」

 村長は嘆息した。

「親父は死ぬまで後悔していました。私は琴浦町からの分離を企てるようになりました。そこで村の自立のために、リゾート開発に乗り出そうと決めたのです」

 話が飛躍しすぎていると思った。まさに雅樂から聞かされたとおりの人物だった。

 村長の声は力強くなった。

「実現可能性は十分にあると断言します。私の大学時代の知り合いが今、不動産開発で大儲けをしていて、きちんとした計画なら出資する、それどころか自ら陣頭に立って一大リゾート開発に乗り出してもいいと言ってくれています」

 村長は僕を見据えた。

「平野君、君にそれを作ってもらいたいのです」

 僕はその迫力に圧倒され、威勢よく答えざるを得なかった。

「かしこまりました。必ずご期待にそえるよう頑張ります」

 村長は満足そうにうなずいた。

「そうそう、その勢いが大事です。何といっても報奨金一千万ですからな。何に使いますか。外車でも買いますか」

 僕はつい本音を口走ってしまった。

「まずは返済ですね」

「なるほど、借金ですか。若いんだから、少々のことにびくびくしてはいけませんぞ」

 意外にも村長の言い方は、自らを鼓舞するように聞こえた。

「では、これから出張に行くので失礼しますよ」

 村長はゆったりと部屋から出て行った。間もなく車が走り去る音が聞こえてきた。僕は窓から車の行方を見定めようとしたが、すぐさま室見川助役が口を開いたので座ったままでいなければならなかった。

「雇用条件は事前にお伝えしたとおりです。平野さんは、御田島村長直属の部下として業務をしていただくことになります。ひとまず雇用契約書に署名と印鑑を下さい」

 すでに契約書には、村長の署名捺印があった。僕は報奨金の件を繰り返し確認すると、震える手で署名をし印鑑を押した。

 その後、村長室の隣にある小部屋に案内された。

「ここが平野さんの仕事場です。個室ですよ、幹部扱いですな」

 助役の口調に、からかいや皮肉は感じられなかった。多分、特別待遇なのだろうが、それにしては部屋は殺風景だった。壁際に古臭い木の机があり、その上には一世代前のワープロが置かれている。それ以外には電気ストーブがあるだけで、電話もファックスも空調もない。まるで独房だ。

 部屋の空気は澱んでいた。それは飯沢由衣子の部屋を想起させ、苦い気分になった。僕は窓を全開にした。爽やかな風が吹き込んできたが、なぜかそれが生温かいような感覚を覚えた。ふと下を見ると、巫女姿の女性と目が合った。ガラス玉のような眼で僕を凝視している。

 その顔がだらしなく伸びた。それが微笑みとわかるまで、少々時間がかかった。彼女のざらついた声が耳に届いた。

「ヒラノマコトちゃんね。好みよ」

 当惑している僕を嘲笑うかのように、その姿は風塵とともに視界から消えた。

「室見川助役さん、あれはどなたです」

 助役はにやついて、独り言のように言う。

「神職の柘榴井三月ざくろいみつきさんですよ。お母さんの宇目うめさんは、それなりの人だったが、あの娘は手に負えないところがありましてな。柘榴峰に住んでいますが、珍しくお出ましになったのは、平野さんを見学に来たんでしょう。都会的な男が好きみたいですから」

 僕はかすかに吐き気を覚えていた。



 


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