14:10月4日のこと -村長の憤懣ー

 その日、僕は早めに出勤した。すでに妙子が、役場の玄関先を掃き清めていた。僕は何気なく訊いた。

「村長さんと一緒には出勤されないんですね」

 彼女は無言で僕を睨みつけた。余計なことを口にしてしまったのだと後悔した。ただ彼女の怒りの理由はわからない。

 間もなく黒塗りの乗用車が到着した。運転席から降りてきたのは女性だった。細身の身体を紺色のパンツスーツで包み、乾いた感じの髪の毛を後ろで無造作にまとめている。助手席からは黒いブルゾンにジーパン姿の男が現れ、後部座席のドアを開けた。そこから御田島村長が大物感たっぷりに姿を見せた。

 村長は快活に声をかけてきた。

「ちょうどいい、紹介しておこう。村兵のシュウ君とエリ君だ」

 二人は敬礼してくれた。シュウは僕より背が低いが、全身の筋肉の盛り上がりが恐ろしいほどに伝わってきた。エリは、神経が身体の隅々まで行き渡っている感じがした。何より彼女の目には震えが走った。笑みを湛えているが、相手のどんな些細な動きも見逃さない鋭さがあった。

 僕は、雅樂が三人の男をノックアウトした光景を想起していた。いかに雅樂でも、この二人には敵わないだろうと思った。

 シュウとエリがどこかに走り去ると、村長は室見川助役と僕を自室に呼び寄せた。

「緊急会議ということで集まってもらった。実は昨日まで東京にいて、村の琴浦町からの分離と開発について、いろいろと根回しや協議をしてきたよ。代議士や自治省の連中を相手にしてね」

 助役は驚嘆の声を上げたが、僕は内心では法螺ではないかと疑っていた。しかし、それを隠すために軽く拍手をした。村長は得意満面になったが、すぐに渋面を作った。

「中には小馬鹿にする奴もいてね。経済は悪化傾向を示しており、今後、多くのリゾートやテーマパークの経営は立ち行かなくなると言うんだよ。まさかディズニーランドの誘致を考えているんじゃないでしょうね、と皮肉られた」

 助役は単純に憤っていた。

「失礼な話ですな」

 村長は我が意を得たりとばかり、うなずいた。

「そうだよ。工場を引っ張れと簡単に言うが、ここに液晶や半導体の工場が来てくれるわけがない。せいぜい琴浦町の学生服の下請け工場ができるくらいが関の山だ」

 僕はそれで上等だと思ったが、助役は澄ました顔で言った。

「縫製の下請けなら、今でも仕立屋がやっていますよ」

 とぼけた言い方だったので、村長も僕も笑いを抑えきれなかった。村長は咳き込みながら続ける。

「あるいは特産品を作って売り込めと説教する奴もいた。椎茸、しめじ、えのき茸を栽培してキノコの村はどうだと言う。馬鹿馬鹿しい限り。だからリゾート開発しかないんだよ。なあ、平野君」

 僕は迂闊にも曖昧に返事をした。咎める感じはなかったが、村長は問いかけてきた。

「ただし乗り越えないといけない壁があると言いたそうだね。私たちの勉強のためにも、それを言ってごらん」

 僕は大学のゼミを思い出しながら、意を決して述べた。

「リゾートは、とにかく継続的に集客できなくてはなりません。そのためには適宜、適時な投資が欠かせません。つまり投資、集客、投資、集客というサイクルを延々と回す必要があります。最初にどんとカネを注ぎ込めば終わりというものではありません」

 村長は真剣な表情だが、助役は眠そうな顔だ。

「それにリゾート開発というのは、単なる地上げにしかならないことが多いと考えます。それは結局、地域を売るということです。具体的には山や森や田畑を叩き売るということです。それは往々にして、不安定な雇用と引き替えに住民の生活の基盤を売ってしまうことになります」

 村長は目を細めた。

「要するに平野君としては乗り気になれないということですか」

 僕は一般論など披瀝しなければ良かったと悔いていたが、動揺を見せないようにして力強く言い切った。

「滅相もありません。仕掛けの部分も含めて、いいご提案ができるよう全力を尽くします」

 村長は相好を崩した。

「そうそう、その意気だよ。ただ誤解しているようなので指摘しておきますね。村民の雇用など気にかける必要はありません。君にお願いしたいのは、カネを牽引して来られる計画を作ることです。それもできるだけ大きい額のカネをね」

 危ない話だと思ったが、自分に期待されている内容が明らかになったので少し視界が開けた気になった。自分の能力には自信がなかったが、交渉その他は村長に一任しておけばいいのだと強引に自らを納得させた。

 村長が姿勢を崩した。

「そうだ、助役さん。この日曜日のゴルフコンペだが、平野さんの歓迎会にしましょう」

 助役は膝を打った。

「いいですね。平野さん、ゴルフはされるんでしょ」

 僕は返事に困った。誘われれば参加していたが、下手なので積極的にはしたくなかった。それなりに出費がかさむので、返済に困りはじめてからは一度も行っていない。

「120を切ったことがないので、かえってご迷惑をおかけすると思います。道具も処分していますし」

 村長はやんわりと僕を叱責した。

「若いのに、そんなことでどうしますか。あらゆることをチャンスと受け止めないといけません。道具なんか、いくらでも貸してあげます」

 その時、ごく近くで銃声が聞こえた。またしても僕は驚いたが、村長と助役は平然としている。

 しかし、すぐに二人の顔色は変わった。二発、三発どころか五発、六発と連射されたのだ。さすがに異常事態だと気付いたのだろう、助役は僕を伴って村用車で出発した。銃声は小作屋宅と交番の中ほどで、さらに二発轟いた。助役は首を捻っていた。

「信士は滅多に撃ち損じはしないんだが」

 車はすぐに信士のいる場所に着いた。彼は猟銃を右手に提げ、崖に向かい突っ立っていた。車を降りた僕たちに気付くと、信士は紅潮した顔を向け睨みつけてきた。

 助役が声をかけた。

「信士、猪か」

「けっ、馬鹿言うな。そんなもの、逃すわけないだろ。崖の茂みの中に見えたんだよ。黒くて、まだ小さかった。あんなにすばしっこいとは思ってもみなかった」

 話の内容はさっぱりわからなかったが、質問できる雰囲気ではなかった。





 

 

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