13:10月2日のこと -村警、村兵との出会いー
翌日、朝食は久吾屋六津が運んできた。碧ではなかったので少し残念な気がした。
出勤すると、御田島妙子が黙々と受付台で花を活けていた。しばらくして室見川助役と信士が、微妙に時間を空けてやって来た。挨拶をすると信士は、顎を揺すって「けっ」と返してくれた。
村長は、明日いっぱい不在だと助役に告げられた。実際に村は存在しないのに、何の仕事があるのだろうと怪訝に思った。
二階の仕事場に入り、雅樂から送られた十冊ばかりの本を机の上に積み上げた。リゾート開発の事例や関連法規に関する内容で、通読するだけで骨が折れそうだった。
ひとまずワープロに向かい行程表を作っていると、ひょっこり室見川助役がやって来た。パイプ椅子にどっかりと座ると、感心したように言う。
「おお、もう仕事に取り組んでいるんですな」
「とんでもない。どうやって進めて行こうかと考えていただけですよ」
「ゼロからの作業ですからね。そりゃ、難しいでしょう。午後からは村内見学でもしましょうか。いろいろ見ている内に、いいアイディアが浮かぶかも」
僕としても望むところだった。
助役は話し相手が欲しいように思えた。僕は、つい要らぬことを口にした。
「出納長は仕事の鬼という感じですね」
助役は小声になった。
「実際は村がないのに、でしょ。妙子さんは結局のところ、御田島家の家計管理をされているだけですよ。ご自宅では集中できないようで」
「なるほど。御田島家イコール段々村ですからね」
「さすがに飲み込みが早いですな。いえ、お世辞じゃありませんよ。村の者でもわかっていない人間がいるんですから。余分の連中なんか、何もわかっていないと思いますよ」
余分と聞いて、僕は胃のあたりに重苦しさを感じた。助役は無頓着に続ける。
「今の村長はすごい方でね。黎都大学を卒業されて、あのテイヨウ金属に就職されたんです。泣く子も黙る、あの大企業にですよ。それも、こんな田舎の出身なのに出世コースに乗っていらしたのですから大したものです」
後半の部分については、あり得ない気がしたが僕は黙っていた。
「ご本人は、あのままだったら社長はおろか経団連会長も夢ではなかったとおっしゃるのですが、まあ、そこまではなんとも」
助役も多少は懐疑精神を持っているようだ。
「ただ傑物であることは事実です。お父様、つまり先代の村長が亡くなられたので村に帰らざるを得なかったのですが、いまだに政財界にお知り合いが多いようです。あの方にお任せしておけば大丈夫、すべてうまく取り計らってもらえます」
その言葉は自分に言い聞かせるかのようだった。
久吾屋から取り寄せた弁当を食べ終えると、助役の運転する軽トラックに乗った。村用車だというが車検証はない。累計の走行距離は三十万キロを示していた。
「今日は飲んでいませんから」
助役は得意そうに言った。
車はまずは助役宅まで走り、そこから右折してゴルフコース沿いに進んだ。砂埃の舞う未舗装の道は、幅が狭い上にカーブの連続で、まったくスピードが出せそうにない。車は牛車のように、のろのろと進む。
貧弱な木立の脇の深い草むらで、鎌を手にして草を刈っている三人組が見えた。
「あれが芝刈屋の一家です。横の林の中に家があります」
「草刈機を使えばいいのに」
「昔からあのやり方なんですから、あれでいいんですよ。この村では人力を使うのが、いちばん安上がり」
僕は言葉を失った。
車は村長邸の手前で停まった。門の前にはカービン銃を手にした、迷彩服姿の二人の男がいた。背は僕くらいだが、がっしりとした体格で鋭い目で僕を睨みつけている。
「あれが村兵のゴウとサムです。挨拶だけしておきましょう」
僕が車を降り自己紹介をすると、二人は直立不動で敬礼をしてくれた。車に戻ると助役は自慢そうに言った。
「ね、まさに村の兵でしょ」
「あと二人、いましたよね」
「隊長のシュウと副隊長のエリは、村長の出張に同行しています」
僕は村兵について探りを入れたが、助役も詳しくは知らないようだった。
「本名は、わしにもわかりません。年齢も隠しているので全員29歳ということにしています」
彼らは村長邸に住み込んでいるという。経歴も明らかでないが、元は傭兵か自衛隊員だったのではないかと助役は言った。
車は柘榴峰の麓に差し掛かった。僕はさらに速度を落としてもらった。
峰は裾の方は木が密生しているが、そこから上は山肌がむき出しで、今にも転がり落ちそうな岩が点在している。その間を縫って背の低い、茶色い木の鳥居が頂上付近まで連なっていた。それが尽きるあたりには、ことさら大きい岩が積み重なっている。
登り口は木製の柵で封鎖されていた。
「わしらは祭りの時しか上がりませんがね。ものすごくしんどいですよ。ただ下りは楽です。ほら」
助役が指差した先には、頂上のあたりから麓まで続く銀色に光る筋があった。
「滑り台です。大きな布を尻に敷いて滑るんです」
神職の柘榴屋夫妻は、峰の頂上近くの洞窟内に住んでいるという。僕は陰惨な光景を想像し、気分が萎えてしまった。
助役はアクセルを踏み込んだ。早くそこから逃れたいと思っている様子だ。
すぐに車は、村の東端に至った。高さ五メートルほどの石垣の上に、大きいが今にも朽ちそうな家が建っていた。
「昔の寺の址です。今は小作屋が住んでいます」
前の畑では小作屋一家が、のろのろと鍬で土を掘り返していた。農機を使えばいいのにと思ったが、もちろん口にしなかった。
南側の崖の真ん中あたりで、助役は停車した。交番のような建物があり、その右手に樹木に隠れるようにして金属製のシャッターが見えた。高さも幅も大型車両が通れるほどで、その上には空間が広がっていた。そこは村を取り巻く崖の裂け目だった。
助役は言った。
「この村の出入り口です」
僕はここから入ってきたのか。
交番のような建物は、実際に交番という扱いだった。その前に立っていた警官姿の男が、助役の姿を認めると敬礼をした。村兵と違って、ぎこちない。
「村警の山野瀬です。巡査と呼んでやると喜びますよ。偉くなった気になるんでしょうかな」
交番の脇には木の櫓があった。そのてっぺんに吊られた半鐘を助役は指した。
「あれが鳴ったら非常事態ですから、まずはここに集合して下さい」
シャッターの右脇に交番と向かい合って、板葺きの小屋があった。粗末な造りで納屋にしか見えないが、人が住んでいる気配があった。
助役は吐き捨てた。
「余分の住処ですよ」
それ以上の説明はする気がないようで、助役はさっさと車を発進させた。やや行くと崖に張り付くようにプレハブの平屋があった。そこから電動ミシンの音が、かすかに聞こえてくる。仕立屋一家の住居兼作業場ということだった。
僕は、芝刈屋や小作屋の例からして足踏みミシンを使っていると思い込んでいた。どうしてここだけ機械化が進んでいるのかと訝しかった。助役は僕の疑問を察したのか、いやに力を込めて言った。
「明らかに儲けが見込めるところには、村はカネをかけます」
僕はひそかに溜息をついた。
助役は役場方面にハンドルを切った。間もなく竹林の中にスレート葺きの建物が見えてきた。いかにも工務店という雰囲気だ。
「石切屋の家です。今日は
その後、廃校の傍を通りながら助役は言った。
「戦前の建物ですが、壊すには惜しくてね」
突然、東側の崖のあたりから銃声が数発、聞こえてきた。僕は身が縮む感じがしたが、助役は呑気そうだ。
「信士が何か獲ったかな。それとも練習をしているのか」
僕は、村ではあまり出歩かず、大人しくしていた方がいいと悟った。
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