6:9月末のこと -謎の教授が提唱する奇怪な国家論ー

 日本の国力が最高レベルに到達したと判断される時点で、経済成長する志向や機能を凍結する。その上で人口減少政策を推進すると国内で富が濃縮され、持つにふさわしい者に集中される。

 日本は眠りに入るべきだ。「凍眠」こそ、わが国の歩むべき道だ。余計なことはせず、新分野の開拓や挑戦は他国に任せ、わが国はその果実だけを受け取ればいい。

 そうすることで国家の運営コストが下げられる。経済成長に資する技術革新その他、あるいは子供の育成や国民の生活維持のために必要なコストは膨大なものだ。その増大は、国家にとって望ましいものではない。

 経済成長は不要である。国民はコストである。政治とはコスト管理を図ることである。富を享受するにふさわしい国民(後述する「真髄国民」)のために、国家と他の国民は存在する。これらが常識とされなければならない。

 具体的には、百年後に日本の人口を現在の四分の一に、つまり三千万人とする。そうすればゼロ成長であっても、ひとり当たりの富は現在の四倍となる。

 しかし世界は経済成長を続ける。従って日本は相対的に貧しくなるが、富を真髄国民に集中させ続け、併せて他の国民の削減を図ることによって真髄国民の窮乏化は逃れることができる。


 「凍眠国家」において、国民は以下の四つのカテゴリーのいずれかに属することになる。仮定される人口は、百年後を想定したものだ。

 「真髄国民」(約五万人)は、黎都大学政治哲学部の出身者および彼らと特別な人間関係を持つ者である。特権的な政治家、特に抜擢された官僚や学者、重要な法人の幹部、および彼らの代弁者たちだ。

 真髄国民は格別の能力や技能を有さずとも、その人的ネットワークの中に存在するというだけで「権勢」が付与され、その立場は安泰となる。そして能力に応じてではあるが、教養と思索と対話を求めることが保障される。

 ここでいう権勢とは、権力や権威とイコールではない。それらの発現にはある種の危険や責任が伴うが、権勢は真髄国民を取り巻く空気のようなものだ。真髄国民以外の「一般国民」(後述する「支援国民」「補助国民」「予備国民」)は、それを感知し、自発的に服することを旨としなければならない。

 「支援国民」(約百万人)は真髄国民を支え、その権勢を高める役割を果たす者だ。一般的な政治家、公務員、法人幹部、学者、マスコミ関係者、芸術家、芸能人などをいう。

 支援国民は、真髄国民の意向を汲み取って、その立場を守るため法令や社会構造を保守または変革し、世論を操縦する。彼らには知識、反応、議論が必須とされる。

 「補助国民」(約二千六百万人)は真髄国民の必要と欲求を察知して、それを満たす者だ。もちろん、それは副次的に一般国民の生活に資することにもなる場合がある。農林水産業、製造業、サービス業など、いわゆる一般産業に従事する者のことである。

 補助国民は真髄国民のために物や各種サービスを提供し、その資産を殖やす役割を担う。彼らには技能、行動、会話が必須である。

 予備国民(約三百万人)は支援国民と補助国民の負担軽減のため何らかの役割を与えられることもあるが、基本的にはただ生存を許されているだけの者だ。コストという観点からは不要だが、有事の場合の便利屋的存在としての必要悪である。極論すれば人質や人体実験その他にも使用可能な者ということだ。

 予備国民には感覚、反射、沈黙があれば十分である。


 以上のような国家は、あからさまな圧制や独裁によっては永続しない。肝心なことは権力や権威、あるいは財力を過信せず、露骨な洗脳や人格改造という方法に頼らないことだ。

 ごく自然に一般国民が、凍眠国家というシステムを受容できる方策を実行しなければならない。それを以下に示す。

 第一に、一般国民に倫理的な罪悪感を抱かせるべきだ。逆に言えば一般国民が倫理的な罪を犯すよう仕向けることである。判断基準を明示せず恣意的にしておけば容易なことである。

 そして各人の現在の境遇は、過去の失敗や生来の至らなさによってもたらされたと強調することだ。また、そこからの復活や再生、救済は本来はあり得ず、それらは真髄国民の配慮によってのみ可能になると認知させなければならない。

 第二に、一般国民に時間の余裕を与えないことだ。財産や自由等を表立って奪えば反抗を招くが、時間はそうではない。時間を奪うことで、学習や思考、遊び、文化活動、恋愛なども管理可能となる。

 具体的には常に何かを自然な形で強いておくことだ。一般国民は生まれてすぐ保育園に入り、学校を経て労働を行ない、そのまま死んでいくように仕組まなければならない。彼らの人生に切れ目を作ってはならない。

 第三に、一般国民は相応な生活もしくは生存に足るだけの所得しか得られないようにすべきだ。そうすると所与のシステムから逃れられなくなる。また労働における効率化は、真髄国民にメリットがある場合に限られるべきだ。常に余計なことをさせておくことで、所与のシステムに縛り付けておくことができる。

 第四に、一般国民に独自の正義感や美的感覚、あるいは善意、同情や友情という心の働きを持たせないようにすることだ。また自分では善悪、正邪、真偽、美醜の判断ができないようにすべきだ。それらは真髄国民が必要に応じて、一般国民に仕込むものである。

 そのためには教育を断片的にする必要がある。国語は文字を覚え、短文を読むことに重点を置く。数学は数式の意味や社会的な応用には触れなくていい。歴史は不要である。一般国民が、割り当てられた自分の役割をこなすために不必要な学習や読書をすることは、むしろ有害とされなければならない。

 また通常、愛でられたり大切にされてきた存在を憎悪や排斥の対象とすることは、この目的の実現にとって有効である。その意図を隠すために過去の宗教的な風習をその根源と誤解させたり、解釈を捏造することを忘れてはならない。

 最後に、折にふれ真髄国民の権勢を知らしめることだ。世代別あるいは職業別の人口をはじめ法令、金利、株価、不動産価格などを真髄国民の意向を踏まえた上で、一般国民の手によって自発的に操縦させなければならない。

 参考までに「凍眠国家論」の重要部分の意訳を示しておく。

「真髄国民に対し安定した人生と満足できる生活を供するために、一般国民は存在すべきである。そのような国家においては、一般国民はコストにしか過ぎない。要するに果たされるべき役割に対して、必要な人数だけ存在すればいい。政府の最大の業務とは、この調節である」

「真髄国民にとって有用な人間のみが、国家にとっても有用で必要だ。逆に言えば、彼らにとって無用な人間は、国家にとっても無用であり不要である。後者を国家は、国民の自然発生的に見える総意として排除する仕組みを持たなければならない。そのことは真髄国民の権勢を知らしめるためにも有効に働く」

「凍眠国家において国家とは、真髄国民とそれを支えるシステム総体のことである。現在、そのシステムには主権や一般国民、領土等が必要だが、条件さえ整えば、それらを放棄しても差し支えない。要は真髄国民とその人的ネットワークだけが存続すればいいのだ。それが日本の存続ということでもある」

 

 

 

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