7:9月末のこと・承前 ー謎の人物の魂胆ー

 長い説明が終わった。雅樂はかなり疲れたようで、黙ってビールを口にしている。僕は話の内容を消化しきれていなかったが、沈黙に耐えきれなくなった。

「そんな構想が、簡単に実現できると思えませんが」

 雅樂はゆっくりと答えた。

「もちろんです。そこで長い年月をかけて自分の一派を政界、官界、財界など、あらゆる分野に送り込み続け、今や主導権を握りかけています。今後は手始めに経済を弄び、次いで国政選挙と雇用の改革、つまり破壊を実行するでしょう」

「もしかして年初の株価暴落も、その一派が仕組んだことですか」

「間違いないでしょう。これから不動産価格が暴落していきます。いよいよ凍眠国家の幕開け準備が整いました」

 僕の中で疑念が渦巻いていた。一体、雅樂の意図は何なのか。しかし、それを直截に質すことはためらわれた。僕は回り道をすることにした。

「雅樂さんは真髄国民の資格をお持ちなのに、凍眠国家には否定的なんですね」

「そうですね。私は平凡な考えの持ち主です。皆が豊かになり、自分の力を存分に発揮でき、活き活きとした人生をまっとうできる国であればいいと思うだけです」

 雅樂は遠くを見る眼になった。

「高校二年の夏、私は父に連れられ、鳥取市で開かれた錬堂教授の政治講演会に出席しました。父は、そういうことにはまったく無関心でしたが、仕事絡みで断れなかったのです」

 講演自体は一般的な内容だったが、その後の懇親会で錬堂教授は、外国人と激しく議論を始めた。

「錬堂教授は国民はコストでしかない、とにかくコストを切り詰めて濃縮された富を真髄国民で享受すべきだとまくしたてました。相手は驚いていましたが、私はそれを通り越して恐怖を覚えました。けれどもフランス語でのやりとりでしたので、他の方は単なる口論と受け取っていました」

 僕は唖然とした。雅樂は、その年齢でフランス語をマスターしていたのだ。

「私は海外の大学を志望していましたが、その時、黎都大学政治哲学部への進学を決意しました。凍眠国家論を学び、それを論破しようとしたのです。しかし考えが青過ぎました。それを信奉する一派の、強い結束を誇る人脈には、私の力では勝てないと悟りました」

 雅樂は一息ついた。

「ひとまず一派とは、距離を置くようにしました。そして対抗する方策を探っている内に、十年余りが経過しました。言論に訴えようにも相手は、あらゆる分野に浸透しており、逆に私が潰されるおそれがありました。そもそも相手は、目に見える悪事をしているわけではありません。ただ密かに国の針路を狂わせているだけなのですから」

 雅樂はためらうような口調になった。

「私は一派の核心的人物である錬堂教授の失脚、というより社会的生命の抹殺を狙うしかないと思うようになりました。しかし下手に動けば、こちらの生物としての生命まで奪われかねません。何か具体的な事象がないと、迂闊なことはできないと考えあぐんでいたところ、御田島村長が雑談の中で錬堂教授の名前を出されました」

「二人は、知り合いだったのですか」

「いえ、面識はないとおっしゃっていました。ただ錬堂教授は黎都大学きっての実力者ですから、卒業生の間ではよく話題になります。村長は、ご自身のお父様が錬堂教授と面識があったようだと口にされました。それ以上のことはご存知ないようでしたが、私は錬堂教授は段々村と接点があるのではないかという疑いを持ちました」

 僕は、疑いという表現に違和感を覚えた。それを雅樂は、すぐに察知した。

「実は錬堂教授の若い頃の経歴には、不明な部分があります。それから大きな影響力を持つには相当の財力が必要だったと推察できるのですが、その出所があやふやなのです」

 雅樂の意図が、次第に見えてきた。

「つまり僕に、そこを探れというのですね」

 雅樂は済まなさそうな顔になった。

「いえ、映画のスパイのような活動を望んでいるわけではありません。何も知らない、わからないというふりをして、村で起こったことを随時、報告していただきたいだけです。そこに何らかの手がかりや兆しが見い出せれば、後は私が動きます」

 僕は戸惑うばかりだった。このような企てに安易に乗ってはならないとわかってはいたが、雅樂の訴えかけるような眼差しには抗うことができなかった。

「お安い御用です。毎日でも電話しますよ。それともファックスにしましょうか」

「もし、あなたのお住まいにそれらがなければ、どうします」

「職場にはあるでしょう」

「やり取りが筒抜けになるかもしれません」

 雅樂は異常なほど用心深かった。彼は、戸惑う僕を諭す口調になった。

「あなたのお住まいに電話などがないということは、外部と連絡を取らせたくないと解釈すべきです。その場合、封書も開封されるおそれがあります。公衆電話はないかもしれませんし、移動電話は圏外のはずです」

 雅樂は僕の残債がある信販会社宛に、現金書留用の封筒で報告書を送るよう提案してきた。

「そこの顧問弁護士は元宮杏子です。ご報告は、彼女を通して私に回るようにします。私からの返信は、領収書在中と表書きしてお送りします。これなら自然な流れに見せかけられます」

 正直なところ面倒だと思ったが、顔に表れてしまったのだろう。雅樂は宥めるような口ぶりになった。

「お気持ちはよくわかりますが、ご報告は二週間に一度程度でかまいません。きちんとした文章でなくてもよろしいです」

「わかりました」

 反射的に言ったものの、今度は不安が一気に膨らんできた。得体の知れない出来事に巻き込まれていく感覚が、全身を満たしていく。

 雅樂は深々と頭を下げた。

「支援は惜しみませんので、どうかよろしくお願いいたします。リゾート開発に関連する本も今日、あなた宛にお送りしたのでご活用下さい」

「仕事のことはさておき、何かやばいことが起きそうじゃありませんか」

「私を信じてほしいとしか言えません。それに思い起こして下さい。一千万円を手にする、またとない機会ですよ」

 そのとおりだった。臆している場合ではない。

 雅樂はたたみかけてきた。

「私なりの見返りも当然、いたします。平野さんは何をお望みですか」

 僕は口ごもりながら答えた。

「まずは就職先ですね」

 雅樂はうなずいた。

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