16:10月7日 夕方のこと ー「余分」の小屋での出来事ー

 ゴルフコンペでの僕の成績は、十分なハンデはもらっていたものの最下位だった。最終ホールのグリーン脇で簡単な立食の打ち上げパーティが開かれた。もちろん余分の子らは呼ばれていない。

 すぐに皆、僕がいるのを忘れたかのように仲間内だけで話し始めた。僕を馬鹿にした信士の大きな声に、爆笑が起きた。

「ここにはあんまり上手な奴はいないが、パー35で73とはアホ新記録だな」

 打ち上げは三十分ほどでお開きになった。僕は逃げるようにその場を去った。

 日暮れまでには、まだ時間があった。僕は何はともあれ、自分が傷つけた余分の子と母親に謝罪をしようと心に決めた。宿舎に戻り絆創膏と消毒薬を手にすると、人目を避けて歩いた。村の出入り口に近付くと、交番から山野瀬功が現れた。

「どこに行くんです」

 僕は正直に経緯を話した。彼は疑り深そうに首を傾げた。

「村長か助役の許可は取っていますか」

 僕は驚いた。

「許可が要るんですか」

 山野瀬はもったいぶって言った。

「余分には近付かない方がいいのです。それに余分は出入り口の管理に関わっていますから、警備の責任者としては親しくしてほしくないのです」

「それは知りませんでした。では村の出入りも許可が要るんですね」

「まさしくそうです。これも村長か助役の許可が必要です。行先と理由その他がはっきりしていないと、本官としては認めるわけにはいきません」

「でも巡査さん、僕は外に出ようとしてはいないので」

 山野瀬は巡査と呼ばれると、相好を崩した。

「では謝罪や見舞いではなく治療ということなら大目に見ましょう。いずれにしても村には報告となりますが、いいですね」

 僕は了承した。山野瀬は腕時計を見た。

「五分間だけということで」

 丁重に礼を述べると、余分の住む小屋に向かった。そこは1LDKほどの大きさで外観は納屋にしか見えない。崖の際にはドラム缶が置かれ、その下では薪が焚かれていた。それを見咎めた山野瀬が怒鳴った。

「おい、風呂を沸かすのなら誰か付いておけ。火事になったらどうする」

 すぐに小屋から幼い女の子が飛び出してきて、ドラム缶の前で火を注視し始めた。彼女は僕に気付いていたが、敢えて無視しているのがわかった。

 山野瀬が交番に入るのを確認した後、僕は小屋の薄い木の扉を何度も叩いたが反応はない。たまりかねて女の子に声をかけようとした時、急に扉が開いた。入ってと男の子の声がする。僕はほっとして、何も考えず足を踏み出した。

「母ちゃん、止めて」

 男の子の押し殺した声が聞えた途端、何かが僕をめがけて振り下ろされた。慌てて跳び退き難を逃れたが、息を継ぐ間もなく次の一撃が襲ってきた。それを避けようとして、僕は広い土間に仰向けに倒れ込んだ。

 視界に入ったのは、鎌を持った女を男の子が必死に押しとどめる光景だった。彼は女の腰に前から抱きつき、自分の身を盾にしようとしていた。声を殺し、男の子は女に訴えかけ続けた。

「母ちゃん、止めて。このおじさんは僕を普通にしてくれた。このおじさんをやれば、こっちもやられてしまう」

 たどたどしい言い方だったが、意味は十分に伝わってきた。自分を普通の人と同じように扱ってくれた僕に酷いことをしてはいけない、そして僕をひどい目に遭わせれば自分たちも同じ目に遭うから、乱暴なことは止めてと言っているのだ。

 母親の凶暴な表情が、急に消えた。次の瞬間、彼女は鎌を落とすと土間に座り込み、そのまま土下座した。その隣に男の子はひざまずき、母親にすがりついて何度も何度も言った。

「おじさん、母ちゃんを許して。このことは内緒にして」

 その顔には純粋な優しさだけが溢れていた。僕は立ち上がり声をかけた。

「わかった、約束するよ。ひとまずお母さん、顔を上げて下さい」

 母親は震えながら上半身を起こし、苦しそうに呻き声を発した。すかさず男の子が申し訳なさそうに言った。

「母ちゃん、話すことができない」

 母親は、子供たちと同様に色褪せた青い体操服を着ていた。ぱさついた髪は後ろで束ねられ、顔には化粧っ気がまったくなく赤黒く日焼けしていた。子供の年齢からすれば三十代だろうが、十歳は老けて見えた。その目は諦めに満ちていたが、口元は強いて引き締められ、ぎりぎりのところで精神の安定を保っている印象を受けた。

 僕はすばやく周りを見た。北側のひとつしかない窓は摺りガラスだったので、中は薄暗い。床には使い古した安っぽい絨毯が敷かれ、真ん中に大きめの木箱があった。上に食器が乗せてあったので、それが食卓らしい。片隅には蒲団が積み重ねられていて、その脇に段ボール箱が三つほど積まれてあった。家具は一切ないので、その箱が収納用なのだろう。

 驚いたことに電気もプロパンガスもないようだった。テレビどころか蛍光灯すらない。土間には小さなかまどがあり、そこで煮炊きしているようだ。

 とにかく時間が迫っていることに気付いた。僕は男の子を負傷させたことを真摯に謝り、持参した絆創膏と消毒薬を母親に渡した。彼女は呆然とした表情になり、喉の奥から呻き声を発した。すかさず男の子が言った。

「母ちゃん、ありがとうって言ってる。おじさん、本当にありがとう」

 その後、彼は少しだけ饒舌になった。実は明るくておしゃべりが大好きな子なのかもしれない。

「おじさん、僕はタロウというんだ。母ちゃんはノリコ、妹はハルコ。以前まえは母ちゃん、話せたんだ。父ちゃんもいたんだよ。僕ら、海の向こうからやって来た」

 一瞬、一家は外国から来たのかと思ったが、どう見ても日本人なので本州以外から来たという意味なのだろう。

 ノリコはそこでタロウの口を塞いだ。外で山野瀬の声がした。

「平野さん、時間ですよ」

 急いで小屋から出ると、難しそうな顔の山野瀬が少し離れた所に立っていた。

「巡査さん、まことにありがとうございました」

「汚い家で、下品な連中でしょう」

 僕は返答に困り、違う話題を持ち出した。

「余分の人は、村の出入り口の見張りをしているんですね」

 山野瀬は眉をひそめた。

「冗談じゃない、見張っているのは本官です。あいつらは、本官の指示に従ってシャッターの開け閉めをしているだけです。交番の裏手にハンドルがあってね、それを回すのが役割なんです」

 僕は少なからず衝撃を受けていた。

「これも人力ですか」

 山野瀬は平然と答えた。

「当然です。余分なことをさせるから余分なんです。あいつら、それで食い物にありつけるんだから、いい身分じゃないですか」

 僕は絶望のような感情を覚えていた。

「風呂が沸いたよ」

 そよ風に乗ってハルコの嬉しそうな声が聞こえてきた。






 

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