17:10月第2週のこと ー碧の打ち明け話ー

 翌日、出勤すると玄関先で室見川助役に呼び止められた。これまで見せたことのない疑り深い眼つきだ。

「昨日、余分の所に行ったそうですが、まさか菓子など与えてはないでしょうな」

「いえ、ただ男の子の傷の具合を確かめに行っただけです」

「ほう、平野さんは医者の心得があるんですか」

 この皮肉に僕は素直に頭を下げるしかなかった。助役の態度は和らいだ。

「あいつらには近付かないで下さい。それに今まで言わなかったが、あの女、凶悪犯ですから」

 僕は息を呑んだ。鎌で襲って来た訳が理解できないままだったが、それが本当なら一応は納得できる。けれどもノリコが、そのような女性には映らなかったことも事実だった。

 助役は小声になった。

「あの女の旦那は放火殺人犯です。女も共犯のはずですが、証拠不十分で無罪になったということです。女は行き場をなくして子連れで琴浦町したの海に身投げしようとするところを、たまたま通りかかった石切屋の連中が見つけて、余分として村に連れてきたというわけです」

「旦那さんは、まだ服役中ですか」

「死んだそうですよ。牢屋で自殺」

 助役は吐き捨てた。僕は敢えて突っ込んだ質問をしてみた。

「助役さん、余分として村に連れてきたという意味が理解できないのですが」

「以前二人いた余分が、たまたまいっぺんに死んだので代わりが欲しかったのです」

 背筋がぞくぞくしてきた。

「いっぺんに、ですか。事故か病気ですか」

「いや。うちの信士が撃ち殺してしまったんです。獲物と間違えて」

 助役は声を潜めたが、特に悪いとは考えていないようだった。彼にはそれなりの人間味を感じることもあっただけに、異様な感じがした。それにしても信士が誤射をするとは思えない。意図的に殺したのではないか。それも激情に駆られてではなく、面白半分にしたような気がしてならないのだった。

 助役は余計なことを口にしたと気付いたのか、そこで口を閉ざした。僕はしばし放心したまま立ち尽くしていた。


 昼過ぎ、御田島村長が僕の仕事場に顔を出した。

「今週から金曜日の午前中に助役を交えて、会議をしましょう。そこで君の業務の進捗状況を発表してもらうことにします」

 まだ頭の中は空っぽに近い状態だった。とりあえずは雅樂にもらった本から適当に抜粋してごまかすしかない。それより雅樂への報告書の作成を優先させることにし、ひそかに作業に勤しんだ。それは木曜日に完成し、僕は宿舎に帰り現金書留の封筒に入れた。

 ちょうど碧が夕食を運んできた。出会ってから十日あまりになるが、いまだにまともに話をしたことがない。いつも彼女は俯き加減で、僕を避けているような気がした。だから声をかけづらかったのだ。

 その時も碧は手早く用を済ませると、すぐに立ち去ろうとした。僕はためらいがちに呼び止めた。

「久吾屋さん」

 碧は振り返ったが、怪訝そうな顔付きだった。

「私のこと、ですか」

「そうです」

「父さんか母さんがいるのかと勘違いしちゃった」

「じゃ、これから碧さんと呼ぶよ」

 碧はかすかにうなずいた。僕は上がり框で立ち止まったままの彼女に近付いた。

なぜか心が揺れ、おそるおそる封筒を手渡す自分に戸惑いを覚えていた。

「明日、これを投函して下さい」

「おカネが入っているのね。任せて下さい」

 碧は詮索はしなかったが、宛先の吹田市が読めなかった。

「フキタシ?」

「スイタシ、ですよ」

 碧は情けなさそうな顔になった。

「やっぱり私、バカなんだ」

 僕はうろたえた。

「読めなくてもいいよ」

 碧は独り言のように呟いた。

「私、高校に行っていないし中学もまともに通っていない」

 僕は返答に窮し、ありきたりな言葉しか思いつかなかった。

「学歴なんか関係ないよ。碧さんはきちんと仕事をこなしているんだから」

「平野さんだけよ、お世辞でもそう言ってくれるのは」

 彼女は弱々しい口調になった。

「私、進学したかったけど言い出せなかった。絶対、許してもらえないから。村で高校まで行けたのは村長さんと助役さんの一家だけだと思う。村兵さんと余分のお母さんは知らないけど。余分の子は小学校にも行かせてもらってないわ」

 村にある廃校は、戦時中に子供がいなくなってから、ずっとそのままらしい。

「私たち、琴浦町の学校に行くしかなかった。歩いて片道二時間かかるの。しんどいし仕事が優先なので、どうしても欠席が多くなる」

「自転車で通えばいいのに」

「この村に自転車はないわ。村の決まりなの」

 そう言われて、この村で自転車を見たことがないのに初めて気付いた。

「危ないから、かな」

 碧は躊躇しながら答えた。

「そうじゃないわ。自転車に乗ると、いろんな所に楽に行けるから」

「行ったっていいじゃないか」

「そのまま帰って来ないかもしれない。そうなると誰が仕事をするの。役割を果たす者がいなくなると皆、困るんです」

「でも車があるでしょ」

 碧は空笑いをした。

「免許なんか取らせてもらえないわ。石切屋さんや仕立屋の静作さんも車の運転をすることがあるけど、免許は持っていない。だから捕まったら最後」

 碧の父の未明も無免許で車を運転していたが、以前に物損事故を起こし、さんざんな目に遭ったという。それからは碧が、いやいやながら父に代わって車の運転をしているのだった。

 村で運転免許を持っているのは村長夫妻と室見川助役の一家、それに村兵だけらしい。これも村に村民を留め置こうとする意図に基づくのだろう。無免許では遠出すると摘発される恐れが高いし、村外での生活や就職は相当に難しい。従って村から出ようとする発想自体を封じ込めることにつながる。

 もっといろいろ話を聞きたかったが、あまり引き留めるわけにはいかなかった。久吾屋夫妻は僕に警戒心を持っていることが、碧の態度から丸わかりだった。

 その夜、さまざまな思いと疑いに囚われて、なかなか寝付けなかった。

 

 


 








 


 

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