37:12月29日 午後のこと・承前 -奇祭の秘密ー

 妙子が村に来た時、御田島家の資産は不動産を除いても五十億円はあった。その運用収益で村を運営し、村長は優雅に暮らしてきたという。僕は不思議に思った。仮に運用収益率が5パーセントとしても年間で二億五千万円の収入があることになる。税金等は差し引かれるにしても、村民に少しは良い生活をさせられるのではないか。

 妙子は深いため息をついた。

「金銭に余裕があれば、村の人は外に出てしまうかもしれませんし、反乱のようなことが起こるかもしれません。逆に余裕がなさ過ぎても、そうなるおそれがありますよね。ですから役割を果たすために必要なだけのマネーと物資を与えることにしているんです」

 ただし村兵と信士には、法外な支給をしているという。

「村兵は元は自衛官や傭兵といったプロですから仕方ありませんが、信士さんを特別扱いする理由は私にもわかりません。何か過去のいきさつがあるのでしょうか」

 信士は琴浦町に別宅を持ち、幌付のジープを乗り回して町民の顰蹙を買っているこのだそうだ。

「この村では多少は弁えていますが、他所ではひどいらしいです」

 妙子はひと息ついて肩を落とし、含み笑いをした。それは自嘲だった。

「でも、村のマネーはもうありません。私のせいで蒸発したんです」

 妙子の資産運用は順調に推移したが、味を占めた御田島村長はとんでもないことを強要しはじめた。

「金融資産を一刻も早く二百億円にしろと迫るんです。どうも銀行や証券会社に相談して鼻であしらわれたようですが。私も不可能だと言いましたよ。ところが、あの人は景気がいい今ならできる、お前ならできるを繰り返しました。脅し半分でね」

「なぜですか。そこまでカネが欲しかったんですか」

「あの人は、はっきり言いました。自分は決して贅沢をしたいんじゃない、権勢というものが欲しいのだと」

 権力や単なる財力ではなく、権勢が欲しいという言い方は、凍眠国家における真髄国民を彷彿とさせた。常に仰ぎ見られ奉られ、不快な思いをすることはない。自分が命じたり手を下さなくても、役割を果たすべき人間が自ずと取り計らってくれる。うまく運べば自分の功績だし、そうでなければ実際の立案者と実行者に責任を負わせればいい。

 妙子は遠慮がちに言った。

「あの人は、こんなことまで口走っていました。二百億あれば琴浦町を買い取れる。そこで経済力を培うともに、東京に人口と国家機能を集中させ、ある時に一気に壊滅させる。すると東京の不動産価格は暴落し、日本経済は破綻する。結果として段々村が日本を飲み込むことができる」

 僕は絶句した。

「無茶苦茶ですね。異常だ」

「ちょっと弁護しておくと、さっきの話はお父様の全蔵さんの受け売りらしいのですが」

「それにしても真に受けているんでしょ。妄想症ですよ、それも極度の」

「いえ、病気ではないからかえって厄介なんです。こんな愚痴を聞いたこともあります。千年以上も領主を続けてきた家の出身で、しかも黎都大学卒で一流企業に入った自分のような人間が、田舎で埋もれるのは理不尽だと」

「じゃあ、帰って来なければ良かったんですよ」

「帰らないと遺産を相続させないと遺言にあったそうです」

「僕ならほとぼりが冷めた頃、村を出ますがね」

「そうすれば自分を気持ちよくさせるために、村民が動いてくれるという仕組みを失くしてしまいます。格別の報酬もなく特に命令や強制をしなくても、他人が都合よく自分のために役割を果たしてくれるというのは、実に便利で気楽なことではありませんか」

「なるほど。いったんそれに慣れてしまうと、そこから脱け出すことは難しくなるでしょうね。でも遺産で起業する途もあったはずですが」

「成功するとは限りませんし、快いことばかりではありませんからね。自分が何もしなくても何もできなくても、どこからかマネーが湧いてきて、世間の人に奉られ支えられるというのは、ビジネスの世界ではあってはならないことですからね」

 そうなのだ。段々村、即ち凍眠国家になれば、ビジネスどころかすべてが終わりだ。けれども凍眠国家論と段々村との関連は、依然としてはっきりしない。僕は思い切って訊ねた。

「出納長は、三蔵門彰春または錬堂彰春という名前を聞いたことはありますか」

 妙子は即座に否定した。当てがはずれたので話を本筋に戻すことにした。

 さて妙子は去年の初め、五十億を二百億に一気に殖やすため大勝負に出た。

「大失敗でした。それどころか三十億の負債ができてしまいました。この村を叩き売っても穴埋めはできません。あの人は意外に家族思いですが、お子さんに相続させる財産もなくなってしまったのです」

 それから村長と妙子は、カネの工面に追われる毎日となった。電卓を叩き続けていた彼女の姿が、脳裏に浮かんだ。ひとりの時は、とにかく電話をかけ続けたという。何とか挽回を図ろうとしたが、逆にますます泥沼にはまっていった。

「それでリゾート開発という博打に出たんですね」

 妙子の瞳が、その日初めて輝いた。

「あの計画、素敵でしたよ。お世辞なんかじゃありません。ただ琴浦町の滅亡を望んでいるような表現は、ない方がいいと思いました」

「そんなことを書いた覚えはないんですが」

「では、あの人が書き足したのでしょう。琴浦町に合併されなければ、あの人は小さいながら一国の主ですからね」

 あるいは大昔からの因縁で、琴浦憎しの感情が村長の全身を侵しているのだろう。それに加えてカネの問題で、村長は一種の狂騒状態で何かを企んでいる。僕はその駒として使われている気がしていたが、中身は想像もつかない。

 妙子は投げやりな口調になった。

「全財産を失くしたあの人の怒りは、もちろん私に向いています。最近、もうお前の役割は終わったと言われました」

 僕の疑わしそうな顔を見て、妙子は周囲に誰もいないことを確かめると声を潜めた。

「この村では、役割がなくなった人間は死ぬしかないのです。嘘じゃありません。大晦日の夜、柘榴峰で人身御供にされるんです」

 以前の碧の話が思い出されたが、まだ信じ切るには至っていない。

「第一、秘密が保てないでしょ」

「村に染まりきった人間だけで、その場の雰囲気に酔いしれて見世物のように事を行なえばいいのです。たいていの人間が自分の手を汚さず、死ぬ瞬間や死体を目にしなければ、死を重くは受け止めないでしょ。この村では、村民をただ穴に放り込むだけですからなおさらです」

 それは宗教的儀式であり一種の娯楽であると同時に村の結束を固め、また恐怖心を醸成して村民を引き締める効果も持つ行事だと妙子は語った。そして祭りに参加するということは共犯者になるということでもあり、無意識的な罪悪感がある種の連帯感をもたらすため秘密は保たれるのだろう。

 妙子は、ついに囁くような声になった。

「去年は仕立屋静作さんの奥さんが人身御供になりました。仕事が遅いという理由で。今の奥さんの待子さんは、春に信士さんが連れてきました。腕はいいけど指名手配中の人らしいです」

 村民は誰もが、妙子や待子のように複雑な過去を背負っているのだろう。それにしても静作は平気だったのか。

「怒らないのではなく、怒れなくなっているのです」

 妙子は、柘榴井衛門の手によって仕立屋の前妻が穴に突き落とされるのをぼんやり眺めていたそうだ。凄惨な現場にいるという実感がなく、映画を見ているような感覚だったという。

「その穴は、深い泉です。中には人食いの怪物がいます」

 外は夕刻を思わせる暗さになっていた。ストーブは点いているが、足元からじわじわと冷えが伝ってくる。怪物という一言を聞いても、すぐには否定できなくなっている自分に恐ろしさを覚えていた。

「怪物なんて、いるわけないでしょう」

 妙子は、強く首を横に振った。

「私も姿は見たことはありません。でも、ぷしゅーという音が穴の中から聞こえてきました。あれは動物が呼吸する音です」

 仮に怪物が存在するとして、普段はどこに棲んでいるのだろう。雅樂の情報が事実とすれば、地底湖だ。そこから柘榴峰の頂上付近まで三百メートル程度はあるはずだ。怪物が這い上がってくるには、ちょっと無理があるような気がした。

 妙子にそれとなく質すと、毎晩ほぼ一定の時間に、どこからか噴き上がってくる水が怪物を運んでいるのだと言う。そして自信なさそうに付け加えた。

「あの人は、損失を一気に取り戻すため今年の祭りで何かを企んでいるような気がします」

 僕が口を開こうとした時、不意に信士が目の前に現れた。まだ酔いがかなり残っているようだ。なぜか機嫌良さそうに愛想笑いをしている。

「話をしているのに邪魔して悪いな」

 僕は出まかせを言った。

「引き継ぎが長引いていまして」

 信士は、けたたましく笑った。

「引き継ぐことなんか、あったかな。まあいい。忘れ物を取りにきたんだ」

 彼は、観葉植物の鉢の陰に隠されていた物をこれ見よがしに持ち上げた。それは集音マイクのようだった。

「さぞ有意義な引き継ぎだったろうな」

 信士は、足取り軽やかに去って行った。妙子は気の毒なほど震えている。

「盗み聞きされていました。間違いありません」

「まさか」

 僕は敢えて打ち消したが、確信はなかった。



 

 

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