42:12月31日 19時30分頃のこと -絶望的状況ー

 石切屋の面々が僕を籠から出し、縛めを解いた。僕は猿轡を自分ではずすと、深呼吸した。信士が鉄格子に手をかけ窪みから飛び下りると、石切屋たちに声をかけた。

「けっ、油断するなよ。変なことをしたら殴り倒せ」

 御田島村長は僕に語りかけた。

「報奨金の件は、約束を破って済まないね。でも君には感謝してるよ。正直なところ何の期待もしていなかったが、すばらしいプランを作ってくれたおかげで大金を手にすることができるのだから」

 決して愚弄する気はないようだが、僕をいらつかせるに十分な言い方だった。

「君の取り扱いについては、祭りの直前まで議論が難航したよ。いちばん最初は、君が人身御供になるはずだった。昔、神様を手にかけた武士の身代わりとしてね。最後の祭りだから、きちんとけじめをつけようということになっていた」

 それで倉吉藩士の末裔云々という奇妙な採用条件だったのか。あの不思議な夢のことを思うと、自分がその武士の子孫というのもあり得るような気がしてきた。しかし議論とは誰としたのだろう。村長は、岩の舞台に目をやった。

「ところが、けじめがどうのこうのとうるさかった三月が、君を気に入ってしまってね。衛門と別れて一緒になりたいと言いだした。大阪の大学を出て西宮で働いていたというだけで血が騒いだらしい。シティボーイの若いエネルギーを飽くことなく取り込みたい一心なんだよ」

 卑猥な笑いが、洞窟内にこだました。僕はいたたまれない気持ちになって、三月を盗み見た。彼女は照れもせず、物欲しそうに僕を見ている。

「三月の意向を知って信士は、君の人間性を見ようと言ってきた。すると女たちから、いろいろと耳にしていることがわかった」

 女たちとは碧と妙子を指すのだろう。やはりトラックと役場での会話は盗聴されていたのだ。

「信士は怒ってしまい、あくまで当初の予定どおりにしろと言い張る。私も悩んだが、三月の意向を優先することにした。この祭りが終わっても、できうる限りはここを守って日々の儀式は執り行ってもらいたいが、衛門はもう役割を果たせまい。代わりの者が要るのは事実だからね。いいかな、信士」

 村長の言い訳がましく回りくどい話は、改めて信士を説得するためだとわかった。思うに汚れ仕事も平気でし、罵詈雑言と猟銃で村民を威圧する信士は、村長にとって欠かせない存在なのだろう。村長は犯罪はできても、下衆げすなこととは無縁でいたいのだ。村兵には職業倫理とそれなりの遵法精神が読み取れるが、信士は高尚なものとは最も遠い所にいる。ここぞという時に便利に使える人間だ。

 信士が僕の傍にやって来て、臆せず口を開いた。

「くどいようですが村長、こいつを放っておくと、何でもかんでもばらしてしまいますよ。今すぐ穴に突き落とした方がいい」

 三月の素っ頓狂な声が響き渡った。

「私が離さないよ。どんなことがあっても、ここに残って一緒にいるんだから」

 信士は頭を振りながら喚いた。

「バカか、てめえは。名前のとおり三月もすれば飽きるんじゃねえか」

 村長が宥めるように言った。

「その心配はもっともだが、要は平野氏が自分で自分を閉じ込める方向に持っていけばいいわけだ。まず平野氏には借金がある。今のままでは踏み倒すしかないだろう。借金取りに追われるくらいなら、ここにいた方がましだろう。次に琴浦町を滅ぼすプランを立てたのは、平野氏ということで決まりだ。何しろ計画書には、そのことが明記されているんだからね。私は平野氏の口車に乗って動いただけだと、すでに多くの人が信じている」

 僕の我慢も限界に達した。

「いい加減にしろ」

 たちまち石切屋伸良の大きな拳が、腹に飛んできた。手加減はしてくれていたが、呼吸が詰まり膝を屈した。

 村長は何事もなかったかのように続ける。

「以上に加えて、これまで衛門が執り行ってきた役割を、今回は平野氏にしてもらう」

 信士は残忍な笑みを浮かべ、軽く猟銃を構え照準を僕に合わせる素振りをした。

「そりゃいい。三人も殺せば、もう殺人鬼だ。外には出られねえな」

 自分のことはさておきよく言うものだが、その言葉で僕は特別な役割を与えられたことを知った。三名もの人間を怪物のいる穴に突き落とすのか。しかし僕は落とすだけだ。殺すのは怪物だから、少なくとも殺人罪には当たらないのではないか。奇妙な言い訳が頭を駆け巡る。

 その時、心の奥底から湧いてきた声が僕を叱咤した。三名の中には、碧もいるぞ。だからと言うのではないが、そんなことは絶対にしてはいけない。何とか逃れる方法を考えるのだ。もし思いつかなかったら、その場の状況に応じて碧を救うべく身体を反応させろ。

 村長は僕に語りかけた。

「平野氏よ、信士の言うとおりだ。この洞窟の奥には、ふかふかの苔が生えた夢のような寝室がある。そこで三月とともに、名ばかりだが神職としてお暮らしなさい」

 それを聞いた途端、息苦しくなり震えが走った。思わず悲鳴を上げながら駆けだしたくなったが、やっとのことで自制した。妙な動きをすれば猟銃の的になるだけだ。僕を殺す良い口実ができたと、信士は舌なめずりしながら撃ってくるだろう。

 村長は声を張り上げた。

「さて今夜は神に三名の者を捧げる。この場に顔の見えない者だから、すでに誰かは皆にもわかっているだろう。まずは久吾屋碧だ。私の言いつけに反抗した上、さんざん信士の悪口を言った。とにかく口が軽い。いろいろなことに尾ひれをつけて、喋りまくっているに違いない」

 久吾屋夫妻は揃って頭を下げた。

「わしらのしつけが悪くて申し訳ないことです」

 村長は二人を無視した。

「生娘だったら、もっと神様は嬉しいだろうな」

 信士が下卑たことを聞こえよがしに言った。僕が碧と一夜をともにしたことは知らないようだったが、こいつだけは絶対に許さないという決意が全身に漲った。

 村長はさらに大音声になった。

「二人目は妙子だ。遅ればせながら言うが、私とは正式な結婚はしていない。ただ家計管理に長けているということで家に置いていた。なのに期待外れもいいところだ。その上、碧以上に口軽だ」

 村長は憎々し気に吐き捨て、ひと息ついて声を落とすと三人目に柘榴井衛門を名指しした。

「少々気の毒だが、三月が要らないというのだから仕方ないね。齢だし他に使い途がない。お供えとなった方が本望だろう」

 村長の話が終わると、石切屋の三兄弟が僕を岩の舞台に担ぎ上げた。そこは実際に舞台のような広さで、表面は磨き上げられて光っていた。その中央には、直径五メートルほどの大穴が口を開けていた。近寄って中を覗くことなど思いもよらなかったが、真っ暗で底知れぬ雰囲気はひしひしと伝ってきた。大穴からはかすかに生温かい空気が立ち昇っている。

 三月が目配せをすると、石切屋たちは細い洞窟からの碧と妙子、衛門の三人を引きずりだしてきた。黄色い単衣姿だが、下には何も着ていないようだ。後ろ手に縛られ、立っているのもやっとという有様だった。

 碧と視線が合った。彼女は顔を歪め、肩を震わせながら俯いた。妙子は目を閉じたまま何事かを唱えている。念仏だろうか。衛門はだらしなく口を開けたままだ。自分の置かれた状況が理解しきれていない様子だった。

 いつの間にか三月が、息がかかるほど顔を寄せてきていた。

「マモルちゃん、私が合図したら碧から穴に落とすんだよ。簡単なことよ、背中をちょっと押せばいいだけ」

 興奮のあまり騒めいてきた村民に村長は呼びかけた。

「いよいよ佳境に入る前に客人を紹介しよう。最後の祭りなので、ぜひ見学したいとおっしゃってね。本来は他所の方は入れないのだが、リゾート開発計画を軌道に乗せるにあたって大変なご尽力を賜ったゆえお招きした」

 窪みのテントから二人の男が現れ、村長と並んだ。ひとりは六十代半ばだろう。黒いウールコートに身を包み、少しいかつい顔には表情がない。もうひとりの地味な山歩き姿の男は、僕がよく知っている人物だった。

 村長は声を張り上げた。

「黎都大学政治哲学部の学部長であらせられる錬堂彰春教授と、その秘書の雅樂重樹氏だ」

 さすがに僕は血が沸騰するような怒りを覚えていた。

「雅樂、嘘つき。騙したな」

 雅樂は優雅に首を傾げた。何のことかわからないと言いたそうだ。

「けっ、無礼者。黙れ」

 信士が発砲した弾は、僕の左耳をかすめた。

「マモルちゃんに何するの」

 三月が髪を振り乱して悪態をついたが、信士はどこ吹く風だ。

 やがて大穴から水蒸気が音を立てて噴き上がりはじめた。すかさず三月が両手を高々と上げると、すでに準備を整えていた久吾屋、小作屋、芝刈屋、仕立屋の男たちが魔物に憑かれたかのように太鼓を打ち鳴らしはじめた。てんでに散らばった女たちは、呪文を唱えるように唄いながら出鱈目に見える踊りを始めた。

 太鼓の音も唄も、夢で見たのと同じに聞こえた。だんだんだいっ、だんだんだだいっだいっ、だんだんだいっ、だんだんだだいっだいっ。これの繰り返しだが、音量は次第に上がっていく。三月は恍惚の表情となり、白衣を脱ぎ捨て上半身裸になった。肩の盛り上がりと胸の厚みは、垂れかかった乳房がなければ男と見紛うばかりだ。

 三月が、僕と碧を大穴の縁に立たせた。碧は何も言わず、なじるような視線で僕を見た。僕が目を逸らせると、碧は太鼓を叩く未明と踊り狂う六津に向かって絶叫した。

「お父さん、お母さん。救けて、救けて」

 未明は太鼓を打つ手を止め何事かを叫んだが、騒めきのせいで碧の耳に声は届かない。

「お父さん、聞こえない。何と言ってるの」

 碧の切ない訴えに、三月が代わって答えた。

「お前の本当の親じゃないと言っているんだよ」

 碧は、この世のすべてに絶望した者の表情になった。その間にも大穴から噴出する蒸気は、刻々と激しさを増していった。その凄まじい音に、太鼓の音と唄声もかき消されていく。最後の時が迫っていた。三月が弓を高く掲げた。

「やりなさい、マモルちゃん」

 村民の目が一斉に僕に注がれた。頭の中は白くなり、思わず祈りの言葉が口を衝いた。

「ダン、助けてくれ」

 僕は目を閉じた。すると漆黒の闇の中、懸命に峰を駆け登ってくるダンの姿が、瞼の裏にくっきりと浮かんだ。


 


 



 



 

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