41:12月31日 19時頃のこと -柘榴峰への召喚ー

 金属が擦れ合うような甲高い音で、僕は覚醒した。吹きすさぶ風が渦を巻いて異様な音を生んでいた。あたりは真っ暗だったが、かなりの高所にいるようだ。

 僕は竹で編んだ半球形の籠の中で、体育座りを強いられていた。手足は紐で縛られ、口には猿轡を噛まされている。逃げ出すことなど思いもよらない。籠は後ろに大きく傾いたまま、徐々に上がっていく。まるでエスカレーターに乗っているような感じだ。目が闇に慣れてくると、籠の底にワイヤーが接続され引き上げられているとわかった。そこは柘榴峰に設置されている滑り台の上だった。

 やがて前方に小さな光点が見えはじめた。間もなく頂上近くの平坦な場所で滑り台は終点となり、籠の動きは止まった。そこは、さらに凄まじい風が荒れ狂っていた。籠ごと吹き飛ばされないか、心配になったほどだ。

 目の前には、青銅色の円い金属製の扉があった。その中心あたりには犬猫ならば潜り抜けられそうな穴が開いていた。それが光点の正体で、籠を引き上げたワイヤーもそこから伸びていた。

 観音開きの扉が開き、白装束姿の石切屋保良と忠良が慎重に歩み寄ってきた。地面が凍り付いているのだろう。それでも手慣れた様子で上に棒を通し、籠を担ぎ上げる。僕は江戸時代の囚人の気持ちを味わうことになった。目の前には、ほの白く見える空間が広がっている。そこは洞窟だった。籠はしずしずと中に入り、しばし止まった。

 そこにいた石切屋伸良が扉を閉め施錠し、鍵を壁に取り付けられた木箱に収めながら小声で言う。

「これを失くすと大変だからな。いつもながら緊張する」

 保良が笑った。

「そんなに心配することはないよ。村長がスペアキーを持っているんだから」

 忠良が兄たちに囁いた。

「巻き上げ機を買い換えた方がいいんじゃないか。祭りが終わったら、三月さんにお願いしよう」

 伸良が応じた。

「そうだな。村長もあの人の言うことなら聞くだろう」

 三月はそれほどの実力者だったのかと驚いていると、再び籠は進みはじめた。

 洞窟の真ん中で、籠は乱暴に放り投げられた。衝撃が尾骶骨から脳天まで抜ける。しかし痛みを訴えることもできないまま、僕は周囲をうかがった。以前に夢で見た光景が、そこにあった。

 洞窟は、高さも広さも学校の体育館ほどもあった。天然の地形を長い年月をかけて、人力で拡げたもののようだ。一面、荒々しい岩肌がむき出しになっている。白い砂で覆われた底部は平坦だが、ところどころに岩が突き出ていた。中でも向かって右手中央には壁面に沿って、ひときわ大きい岩が屏風のように立ち上がっていた。高さは人の背ほどもあり、幅は三メートル近いだろう。

 奥には一段と高い岩場があった。まるで舞台のようだ。その右手には細い洞窟があった。そこが柘榴井夫妻の住処であり、村民たちの控室でもあるのだろう。

 かなり高い位置にいくつか電灯が設置してあり、洞内はほの明るかった。夢で見た松明の方がふさわしいと思ったが、洞内が煤けるためそうしたのだろうか。その時、ふと気付いた。雅樂によれば戦時中、村民の大部分が立退いたという。そこで祭りは、いったん途絶えたのではないか。

 さらに思いを巡らせた。明治維新後に学校もでき三百人の村民が暮らしている中で、人身御供という風習が存続できるものだろうか。無理やり続けても秘密が漏れないということはないだろう。電灯が僕に与えた違和感は、祭りそのものへの疑惑を生んだ。

 暖房はなかったが、薄着でも凍えるほどではなさそうだった。現に肌着の上に白装束を着ただけの村民たちが三々五々、腰を据えて酒を飲んでいる。未成年の芝刈屋朔子も上半身を揺らしながら、無言であおっている。楽しみは酒だけという碧の言葉が、胸を衝いた。そして彼女の姿は、その中にはなかった。また御田島村長と妙子、柘榴井夫妻それに信士も見えない。

 向かって左側の中ほどの壁面には、一メートル半ほどの高さのところに大きな窪みがあった。下半分には鉄格子がはめてあり、中に設営されたテントには人の気配がある。朝の客人がいるのだろうか。窪みの前には大きな和太鼓が五台、据えられていた。

 突如として髪を振り乱した柘榴井三月が、細い洞窟から岩の舞台に現れた。白衣に緋色の袴という姿で、弓と矢筒を携えている。舞台の上には、岩の出っ張りから白と黒の入り交じった円形の石盤が吊るしてあった。それは銅鑼よりもふたまわりは大きかった。三月は弓と矢筒を足元に置くと、木槌を拾い上げ石盤を何度も打ち鳴らした。金属的な澄んだ音が洞内に響き渡る。

 夢で見た内容とほぼ同じことが繰り広げられている。驚きしかない。

 村民たちは立ち上がったが、初めて参加した小作屋汐里はすでに酔い潰れていた。周囲が、酒を無理強いしたのだろう。介抱する者はなく、彼女は獣の死骸のように男たちに引きずられ壁際に横たえられた。小作屋一家は、それを無感情で眺めているだけだった。人間はそこまで従順になれるのかと恐怖を感じた。

 窪みに張られたテントから御田島村長と信士が、おもむろに現れた。村長はトレンチコートを着たままで、信士に至っては派手なゴルフウェア姿だ。神聖な場にはまったくふさわしくない格好だが、自分たちは規律の外にある存在だと強調したいのかもしれない。

 これまで段々村の有力者は村長と妙子だと思っていたが、そうではないらしい。村長と信士と三月が権勢者に違いない。この三人の間には目に見えない絆があるようだ。それは単なる人間関係ではなく、共犯関係というべきものではないか。

 では僕の立ち位置はどこだろう。白装束姿を強制されていない理由は、よそ者という扱いなのかもしれないが、もしかしたら三人の共犯関係の中に取り込むことを意味しているのではないか。

 突拍子もないことを考えたのは、自分が連行された理由がわからなかったせいもある。人身御供の対象ではなさそうだし、一般村民の仲間に加えるつもりもないようだ。僕を良からぬことに使おうとしているとしか思えない。

 さて村長は、両手を広げて村民を睥睨した。

「祭りはここからが本番だが、その前に一言述べておく。長きにわたって続けてきた祭りだが、今回をもって最後とする。その理由は、私が村を去るからだ」

 騒めきが遠慮がちに起こった。村長は、それを身振りで鎮めた。

「これから起こることを教えてあげよう。段々村の地下には湖があるが、戦争中に軍がその水を排出するためにトンネルを掘った。工事は中断したものの、そこで爆発が起これば山肌に大穴が開くだろう。琴浦町の連中は、さぞかしびっくりするだろうね。悠長な花火大会の最中に、とてつもない花火が炸裂するわけだからな」

 村長の顔は、次第に紅潮してきた。

「水は一気に琴浦町したに流れ出し、家も工場も人も押し流すだろう。生き残った者は、押し寄せてくる神様に食われるだろう。ちょうど千三百年前のように。その後、神様は悠々と広い海で生きられることだろう。今のように狭くて暗いところにいらっしゃるより、よほどお幸せだと思う」

 神様とは、伝説の怪物のことに違いなかった。怪物はやはり実在していたのか。恐らく久吾屋の看板に描かれていたのが、その姿だろう。僕が怪獣村構想を口にした時、村長も助役もひどく慌てたが、怪物の存在に気付いたと思われたに違いない。大昔、湖が決壊して以降は、怪物は村にとって秘すべき神とされてきたのだろう。

 村長はいったん黙し、間合いを見計らって拳を振り上げた。

「琴浦町滅亡の首謀者と目されて、騒ぎに巻き込まれたくないんだよ。それゆえ私は村を去るんだ」

 一体、何を言いだすんだと呆れた。地底湖の決壊が自然現象ではないことは、すぐに発覚するだろう。誰かに罪をなすりつけるつもりなのか。本当のところは資産を失って村の維持ができなくなり、揚句の果てに大それたことをするから村を去らざるを得ないのに、変な理由付けをするものだ。

 それからも村長は、誰がという主語のない話を続けた。

「もともとは琴浦町を水攻めにして、更地になったところを地上げ屋が買い占めるという単純な計画だった。ところが予期しないことに、すばらしいプランができてしまった。おかげで琴浦町が滅びた後、ある団体が町全体を買い取ってくれることになった。もちろんこの村も含めてです。その後は官民協働で一大カジノリゾートの建設が始まる。百億どころか千億単位のカネが動く。もちろん村民の皆さんにも然るべき分配はしてあげるよ」

 村民たちは話の内容が理解できない様子だったが、僕は村長の思考回路に疑問を持った。秘密であるべき部分を明かしてしまって大丈夫なのだろうか。どうやって口を封じるつもりなのだろう。しかし人身御供のことすら秘密にしてこられたのだから、案外たやすいことなのかもしれない。

 村長はその証拠を示すべく、テントからケースを持ち出してきて手品師のような所作で開けた。中には札束がぎっしり詰まっていた。

「ここに五千万ある。手付金だ」

 歓声が上がると、村長は得意満面でケースを閉じた。室見川助役が恐る恐る挙手した。その立場にかかわらず、これまでまったくの蚊帳の外に置かれていたことが少し不憫な気がした。

「祭りが終わったら、すぐに村長はどこかに出かけられるんですか」

 村長は肯定も否定もしなかったが、きっとそうするつもりだと思った。一刻も早く安全な場所に行き、身を潜めたいだろう。

 助役は心もとなさそうだった。

「わしらは、どうすればいいんです」

「何食わぬ顔で村に留まるがいいでしょう。当面の生活費はお持ちのはず。少し辛抱すれば大金持ちになれるよ」

 仕立屋静作が、酔った勢いで質問した。

「カネのことはさておき、琴浦町を滅茶滅茶にしたとなると、わしらも罪に問われるんじゃないですか」

 信士が彼をなじった。

「けっ、俺らは何もしてないんだから、つまんねえ心配なんかするな。そんなにびくつくのなら、ここに閉じこもっていればいいんだ。なんなら全員そうしてやろうか」

 静作は口をつぐんだ。信士は猟銃を見せびらかし、村民を睨みつけた。

「てめえら、半端者のくせに一人前の口を利くなよ。もともと前科者や浮浪者や捨て子や夜逃げした奴ばかりじゃねえか。指名手配中の奴だっているだろ。他所で生きていけねえ奴ばかりで、名前も村長に付けてもらった訳ありもいるだろ。黙っていりゃいいんだ。どうせ警察もてめえらの言うことなんか信用するもんか。もう一回言う。文句があるなら、本当に閉じ込めるぞ」

 その言葉は、はったりではないと感じられた。いざとなれば、本当にそうするつもりなのかもしれない。そして信士は父である助役を差し置いて、村長の企てに関与していることは間違いない。もしや村長と信士だけが外に出て、残りの者は閉じ込めておくのではないか。恐ろしい想像が脳裏をよぎったが、そうであるならカネを見せたりはしないだろうとも思った。

 どうも先走りして考え過ぎ、頭が空回りしている。落ち着けと自分に言い聞かせた。一方、村民は暴言を吐かれた上に、残酷な扱いを示唆されても平然としている。自分だけは大丈夫と思っているのだろう。今をやり過ごすことだけに集中させられると、人間はこうなってしまうのか。

 この間、村長は我関せずという態度を貫いていたが、場が静まると僕の方に目を向けた。

「さて、そろそろ籠から出してあげなさい」




 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 





 

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