40.12月31日 日中のこと -謎の客人の到着ー

 初夏の晴れた朝のこと、譲ったはずのスポーツカーで僕はどことも知れない山の中を疾走していた。道は上りで急なカーブが連続しているが、路面は滑らかで対向車はない。周囲は鬱蒼とした森だった。直前のにわか雨に濡れて、木の葉が輝いている。

 気が付くと、いつの間にか砂利道になっていた。路面はでこぼこが激しかったが、構わず無謀なほどの速度を出した。そのうちに視界から草木は消え一面、岩だらけになった。

「さて、どこに行くんだっけ」

 独り言を呟くと、左手に御田島村長邸が見えてきた。そこで雅樂と待ち合わせをしていたことを思い出した。入口がわからないまま、僕はアクセルを踏み込んでいた。どこまでも青い空が、ぐんぐん迫ってくる。

 危険を感じた途端に地面は途切れ、車は勢いよく空中に飛び出した。一瞬、車は宙に留まるかと錯覚したが、すぐに落下を始めた。そこは広い谷で、色とりどりの屋根の民家が密集している。底までは数百メートルはありそうだった。

 僕はドアを開け、後先考えず車から身を躍らせた。まるで意味のない行動だった。絶望が全身を満たした。すると、いつの間にか眼下の町は消え、濁流に呑まれているではないか。うまく飛び込めば助かるかもしれない。

 そこで目が覚めた。また厭な夢を見てしまった。それとも予知夢なのだろうか。僕は超能力を信じてはいないが、脳のある部分が何かの前兆を感知しているのかもしれない。あるいはこの世にいないものたち、例えば祖父母やかつての飼犬たちからの警告かもしれないと実に奇妙なことまで考えた。

 とにかく泣いても笑っても、段々村での最後の一日だと自分に活を入れた。初めて御田島村長に会った時、何事も運命だと聞かされたことを思い出す。その意見には承服できないが、ここに至ってじたばたしても始まるまい。自分の身に降りかかってくることを素直に受け容れて、柔軟に対処するしかないだろう。

 思い切って外に出てみた。五センチほど積もった雪は、完全に凍りついていた。よちよち歩きで久吾屋の前まで行く。まだ屋根に矢が刺さったままだ。

 凍てついた路面を引っかく音が背後から聞こえた。振り返ると白い迷彩服を着用した村兵のゴウとサムが、スキーで滑走してきた。芝居じみた現れ方だと思った。僕は快活に声をかけた。

「ご苦労様です。寒いのに大変ですね」

 二人は僕の前で止まった。能面のような顔のゴウが、僕を見すえた。

「雪中訓練には、もってこいの日ですよ。ところで、どちらへ?」

「テレビも映らないんで、暇つぶしに散歩でもと思いまして」

 サムが口をはさんだ。

「今日は足元が危ないから、外出は控えた方がいいですよ」

 その口調からは、いくばくかの親切心が伝わってきた。ゴウが冗談めかして言った。

「足元より山野瀬さんの方が、やばい。動いているものには、何にでも発砲しそうだ。さっきからぴりぴりしている」

 サムが肩をすくめた。

「仕方ないのかな。久々の客人だから」

 二人は腕時計を一瞥するとうなずき合って、村の出入り口の方に向かった。

 こんな日に誰が来るのだろう。僕は勧めに従って宿舎に戻り、浴室の窓を開けた。そこからは村の南北を貫く道が見通せる。数分すると幌付のジープと黒塗りの村長車が連なって、のろのろと通り過ぎていった。チェーンを装着しているので速度が出せないのだろう。

 ジープには信士が、ひとりで乗っていた。村長車は村兵のシュウが運転していた。助手席は無人だが、後部座席にはブラインド越しに人影が二つ確認できた。顔を見られたらまずいのだろうか。とにかく村にとって賓客であることは間違いない。でないと信士が、わざわざ迎えに行ったりはしないだろう。

 車列の後ろにはゴウとサムが、端然と滑走していく。一行は、明らかに村長邸を目指していた。客人の正体が気にはなったが、確かめることなど思いもよらなかった。下手に外出して山野瀬に射殺されたらかなわない。

 それからの数時間は、不安との闘いになった。碧の安否と自分の身の安全、そして報奨金の受け取りのこと、この三つの心配事が束になって襲いかかってくる。特に時間の経過とともに報奨金のことが気懸りになってきた。仮に御田島村長がそのつもりでも、莫大な負債を抱えているゆえ払えないのではないか。その時の僕は、まさにカネの亡者だった。

 これ以上は耐えられないと感じた時、宿舎の外から声がかけられた。

「村兵のエリです。5時になりましたのでお迎えに上がりました」

 僕はナップサックを背負うと、意を決して彼女を招き入れた。黒い詰襟のパンツスーツ姿のエリが、妖艶な笑みを浮かべて誓約書と書かれた書類を差し出した。

「この村で見聞きしたことは口外しないという確約をお願いします」

 そのような約束は守る気はなかったが署名をすると、僕の警戒心はすっかり緩んだ。間違いなく村を離れることができるのだと小躍りしたくなった。エリは身を屈めるようにして上目遣いで僕を見ている。そのアーモンドの形をした蠱惑的な瞳に牽引されるかのように、僕は久吾屋の前まで巧みに誘導された。そこには村兵の専用車であるミニバンが停車していた。

 エリは、上着の内ポケットから取り出した封筒を僕に渡した。

「お約束の物です。お検め下さい」

 封筒には、小切手の他に給料の十万円が入っているはずだった。それにしては厚みがなさすぎる。エリは、素早く僕の心の動きを察知したらしい。

「勝手ながら給料分の金額は、小切手の方に足されていますのでご確認を」

 電車賃くらいはあったよなと思いつつ、僕は封を切った。嬉しさのあまり震える手で紙を取り出す。それは、ただの白紙だった。問い詰めようとした時には、もうエリは運転席に乗り込むところだった。

 追いすがろうとすると、どこからか現れた三人組に取り囲まれてしまった。全員が防毒マスクを装着し、黒い戦闘服を着用している。村兵に違いなかった。

 目の前に立った男が、僕の顔面にスプレーを吹き付けた。一瞬で息苦しくなり、身体の自由が奪われ意識が朦朧としてきた。僕はそのまま村兵車の後部座席に連れ込まれた。男たちはひとりが助手席に、他のふたりは僕の両側に座った。

 エリの声が、かすかに耳に届いた。

「手荒いことをしてごめんなさいね。こんな任務はしたくなかったけど、今日は人手が不足していると言われてね」

 助手席の男が、防毒マスクを外しながら後部座席の二人に命じた。シュウの声のようだ。

「凶器のチェックだけでいいぞ」

そこで僕の意識は完全に途切れた。



 

 

 




 

 

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