39:12月30日 日中のこと -頼りない戦士の誕生ー

 妙子の席に座って茫然としていると、山野瀬功が現れた。本当に珍事だ。僕の知る限り、彼は役場に来たことがない。僕は本能的に身構えていた。山野瀬は碧を連れ去ったことなど忘れているかのように、のんびりと近寄ってきた。

「平野さん、ひとりでお留守番ですか」

「ええ、電話番をしろと言われましてね。でも電話は通じないようですが」

 皮肉たっぷりに言ったが、山野瀬に動じる気配はなかった。

「そりゃそうです。今日と明日は、村長のお宅と交番しかつながりません。電話番というのは、電話機が盗まれないように番をしろということでしょ」

 本気で言っているようなので癇に障った。

「なぜ電話を切ったのですか」

「今度の祭りは記念大祭ということで、今日明日は村には平野さんと本官と村兵、それに余分の連中しか残りません。村は空っぽなんで、電話なんか要らないでしょ」

「そうですか」

 相槌は打ったものの納得できるわけがない。電話を不通にする理由は、どう考えてもひとつしかない。僕に外との連絡をさせないようにするためだ。しかし、そのことを問い詰めても埒が明きそうになかった。それよりも碧のことが心配になった。

 僕は「巡査さん」と呼びかけてみた。たちまち山野瀬は喜色満面になった。

「さて巡査さん、ふたつ訊いてもいいですか」

「もちろんです」

「今日は、何の御用ですか」

「暇なので、話し相手が欲しくて寄っただけです」

 腹に力を込めて本番の質問をぶつけた。

「久吾屋碧さんは、どうなったのです」

 意外にも山野瀬は平然としていた。開き直りというより通常業務をしただけと思っているらしい。

「柘榴峰に行きましたよ。明日の祭りの主役だそうです」

 主役とは、やはり今回の人身御供ということなのだろうか。それが現実に起こることなのかどうか、いまだに判断ができていない。さすがに山野瀬に正面切って質す度胸はなかった。

 そして、もし本当のこととしても僕は対象者ではないとわかって胸を撫で下ろしていた。実に情けないことだ。

 その時、役場の灯りが消えた。唸りを上げていたヒーターも止まった。山野瀬は事も無げだ。

「電気も止まりましたなあ。ちと早いような気もするが、人がいないんだから無駄は省かないといけないのでね。なんなら交番には発電機も石炭ストーブもあるんで温もっていきませんか。お茶くらい出しますよ」

 僕が口先だけの申し出を断ると、山野瀬は敬礼をして去って行った。

 もう役場に留まる理由はない。外に出ると、烏が意味ありげに柘榴峰の周囲に群れ飛んでいた。焦燥感が全身を満たした。碧の身に何が起きるかわからないにしても、彼女を救い出さないといけない。

 足早になった途端、村兵のゴウとすれ違った。これも滅多にないことだ。丁寧に挨拶してくれたが、それは自分の存在を誇示しているかのように映った。僕は、それとなく見張られ行動を牽制されていると直感した。山野瀬が唐突に役場に現れたのも、そのためだったとしたら納得できる。

 僕が予想外の行動に及べば、必ず手ひどい仕打ちが待っているのだろう。人身御供の対象でなくても、僕にも何らかの危機が迫っているのではないか。

 宿舎も停電していた、水も地下からポンプで汲み上げているので一滴も出ない。幸いガスは使えたので、雪を融かして生活用水を作った。あとわずか一日半だが、先が思いやられた。一体、何をどうすればいいのだろう。

「ダン、助けてくれ」

 思わず口をついた言葉が、僕の身体を軽くした。まず久吾屋で、明日まで凌げるだけの飲み物と食料を調達した。それから作業服を脱ぎ捨て、碧が褒めてくれたアウトドアウェアに着替えた。数多い上着の内ポケットに貴重品を収めると、自分が戦士になったような気がした。実に頼りない戦士だと自覚はしていたが。

 愛用のナップサックに下着類を詰め、絶対に手放すまいと心に決めた。自分でも妙なこだわりだと思ったが、大袈裟ではなくそのナップサックが自分の生きてきた証のように感じていた。

 それから宿舎の隅々まで掃除して過ごした。薄暗くなると僕は缶ビールを開けた。禁酒すべきだったが、不安を紛らわすにはそうするしかなかった。飲みはじめると気分が和らいできて、心配し過ぎのように思えてきた。明日になれば、平穏に村を出られるのではないか。一千万円の小切手を懐に駅弁を味わいながら、のんびり帰るとしよう。

 すぐに甘い考えを戒める心の声が聞えた。丸太のように扱われた碧のことを思い出せ、お前が見張られている意味を突き詰めて考えてみろ。そこから暗い思考の連鎖が、延々と続いた。

 碧を救い出すために自分に何ができよう。たったひとりで柘榴峰に乗り込んで、映画の主人公のように大暴れできるはずもない。無事に外に出られたら警察に駆け込むしかあるまい。しかし、それでは手遅れかもしれない。そもそも僕が無事でいられる保障はあるのか。

 では、どうすればいいのだ。答えは見つからなかった。考えが堂々巡りする内に夜は暮れていく。灯りも暖房もない部屋でに、僕の吐く息がかすかに白く浮かぶ。まるで霊魂が体内から抜け出ているようだ。

 指先が痛くなるほど冷え込んできた。毛布の上に蒲団を重ね頭から被ると、いつの間にか眠りが訪れていた。

 


 

 



 

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