31:12月14日のこと ー村長の出張報告ー
御田島村長は、意気揚々とまたしても出張に行った。その週、僕はリゾート開発に関する本を再読して過ごした。そこにあるのは夢のような世界だ。しかし裏に回れば、どす黒く汚れた世界なのかもしれない。
僕は、そのいずれの世界にも属さず、その狭間を新米の曲芸師のようにふらついて歩んでいくのだろうか。善い悪いはさておき、それではあまりにつまらない人生のような気がした。
しかし僕には、雅樂重樹や元宮杏子のように生きることはできそうになかった。それだけの能力も胆力もないことは、わかっている。それを思うと、急にあの二人に対する羨望が湧き出てきた。それは嫉妬の念を含んでいない、純粋な憧れだった。
二人は富裕な家に生まれ金銭に困ったことはないはずで、おまけに最高級の頭脳と運動能力の持ち主だ。なのに儲け話が好きそうで、危ないことにも首を突っ込んでいる懸念もある。それでも高慢さや下劣さ、あるいは怠惰で不潔な感じは、まったく受けない。爽やかで、本当に自由を体現している印象だ。生きているという感じだ。
二人は、権勢や保身や序列には興味がないのだろう。常に新しい何かを求めて疾走している。とにかく停滞が、とりわけ頭脳と精神が凍てついた状態が嫌いなのだ。元宮杏子の志向は直接的には知らないが、雅樂が凍眠国家を絶対的に敵視するのは必然だなと思った。
金曜日の定例会議に御田島村長は、大きく遅刻した。東京から寝台特急に乗ったが、途中で人身事故があったという。
「途中までは風情を楽しめたんだがねえ。資金繰りに困ったか、住宅ローンが払えなくなったのかは知らないが、飛び込み自殺には困ったものだよ」
相槌は打ったものの他人事とは思えず、僕は俯いた。村長は怪訝に思ったようだ。僕に話を振ってきた。
「平野君は、寝台列車に乗ったことはあるか」
「伯備線経由はありませんが、山陰本線で大阪行きを利用したことはあります」
村長は驚いた。
「ひと晩かけて大阪まで走るのか。自転車並みだね。早く菅沢君に山陰新幹線を通してもらわないといけないな」
菅沢というのは、僕の地元選出の有力議員だ。僕は訊いた。
「村長は、あの方をご存知ですか」
「ああ、よく知っている。今回の出張では会わなかったが」
ひどく勿体ぶって話を続けた。
「名前は明かせないが、それ以上の大物連中に面会してきたよ。君の作ってくれた計画書を見せたら、全員、目を丸くしていた。それから黒幕とも面識ができた。今の日本で、いちばんの知識人だろうな」
室見川助役が好奇心を示した。
「どなたですか」
村長は笑ってごまかした。
「これも名前を出すことは控えてほしいと念を押されたからね。この方も計画には乗り気だったよ。ただせっかちな方でね。根回しや法案の成立など待たず、できることから、さっさと手を付けろとおっしゃる」
助役は首を捻った。
「日本一の方にしては、短気ですな」
「私もそう思ったが、その方は、すでに不況に突入していると言うんだよ。株価は下がる一方で、不動産価格は大暴落するとね。これから銀行すら潰れると言うんだ」
「銀行は潰れないでしょう」
「まあ、聞きなさい。それが誰の目にも明らかになれば、政府は何百兆円も公共事業に投じることになる。早く動けば、その一部を他所に先んじてかすめ取れると強く勧められた」
村長の眼が異様にぎらついてきた。
「それからリゾートといっても観光の部分は、大して儲からないから琴浦町に任せ、段々村は早々に分離してカジノを抱え込めとおっしゃる。そのカジノは金融機能を最大限に強化したものにせよとアドバイスされた」
助役は消費者金融程度しか思い描けないようだ。
「つまり有り金をすってしまった連中にカネを貸して、わしらが取り立てをするということですな」
村長は笑った。
「そうですね。債務者を地の果てまで追い込める根性を、まずは養っておくとしますかな」
黒幕の言う金融とは
村長は自分の言葉に酔いしれていた。
「これで琴浦町から心置きなく独立して、段々村は再出発できるというわけだ。ところで来週から、また地質調査の一団が入ってくるので対応をよろしくお願いする」
助役は、村長に隠れて渋い顔になった。自宅から近いので、妻の暁子は掘削音をうるさがっているらしい。
そこで会議は終わった。僕は雅樂からの情報を思い出していた。地下に旧日本軍の坑道が掘られ湖があるというが、地質調査はそのことと関係しているのではないか。雅樂の情報が正しいとすればだが
いや、それよりもっと怪しいのが今の村長の話だ。いくら立派な計画でも、それなりの人物が詳細な検討もなく、乗り気になってくれるはずもない。それとも村長は、悪魔的な説得力を持っているということなのか。
あるいは、そもそも村長の話はすべて嘘という可能性もある。そう思うと、急に不安が込み上げてきた。もしそうだとすると、報奨金など一文ももらえないことになる。では、なぜこの村に来たのだろう。結局、僕が馬鹿だったという落ちになるのだろうか。
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