1:1989年までのこと -なんとなく閉塞した人生ー

 僕の名前は平野真守ひらのまもるといい、鳥取県の小さな村で生まれ育った。後に村は隣町と合併して地図から消える。

 幼い頃、家は半農半漁だった。祖父と父が漁をし、祖母と母が細々と米や野菜を作っていた。

 僕が六歳の時、祖父と父は荒れ模様の海に出た。家族が危惧したとおり遭難し、父は救助されたが祖父は亡くなった。葬儀の席で近所の人が酔っぱらって、貧乏だから無理したんだと言い放った。祖母は自責の念に駆られたのだろう、心労のあまり寝込み、そのまま帰らぬ人となった。

 舟を失ってから父は漁を諦め、近くの町の工場で働きだした。近く僕の妹が生まれるので、生活を安定させたかったのだと思う。

 しかし学歴がなく要領もいいとはいえない父は、かなりの苦労をしたようだ。漁師の時の父は酒はほどほどで、よく笑う人だったが、勤めをはじめてからは陰気な感じになった。

 休日には母の農作業を手伝うでもなく、朝から酒を飲んでいた。母は次第に無表情になり、家の中には重苦しい空気が漂うようになった。

 家は古く小さく、日本海を吹き渡ってくる風のせいで傾いでいた。扉も襖もきちんと閉まらなかった。ある時期から、友だちに家に来られるのを避けるようになっていた。トイレが汲み取り式で便壺の中が丸見えだったからだ。

 高校へは海沿いの国道を自転車に乗って通った。波飛沫で自転車は、すぐに錆びた。土日には、母の農作業を手伝わざるを得なかった。ある日、長靴を履き泥だらけになっている姿を、好意を抱いていた同級の女子に見られ笑われた。

 その日の昼食の折、母は僕と妹の前で呟いた。

「こんなところにいても仕方ないよ」

 僕は聞こえないふりをした。小学生の妹は、神妙な表情になった。外で飼い犬が、くーんと寂しそうに鳴いた。父は酔い潰れて寝入ったままだった。

 僕は大阪の私立大学に進んだ。とにかく都会に出たくてたまらなかった。両親は相当な無理をしてくれたと思う。専攻はリゾート開発だった。実のところ、そんな分野に興味はなかったが、とにかく芋臭い雰囲気がするものは厭だった。

 卒業後は西宮の不動産会社に就職し、営業に配属された。バブル景気の真っ只中で会社の業績はうなぎ上りだった。毎回、ボーナスは恐縮するくらいの額をもらった。僕はイタリア製のダブルのスーツに身を包み、毎晩、遊び歩くようになっていた。

 入社二年目、年明けの合コンで、僕は将来の幹部候補と紹介された。もちろん幹事の冗談だったが、すぐに飯沢由衣子いいさわゆいこという女性が上目遣いでしなだれかかってきた。

 幹事は面白がって由衣子に言った。

「平野君のご先祖は、倉吉藩の武士だって」

 これは親戚から聞いたことだが、何も裏付けはない。よけいなことを口にしなければ良かったと後悔した。

「すごいじゃないですか」

 由衣子は目を見開き、訊きもしないのに自分の父親は大津の会社経営者だと言った。全然、社長令嬢風ではなかったが大袈裟に驚いて見せると、由衣子は舞い上がったようだ。

「私、宝石販売の会社に勤めているの。だから、いいものを見定める眼を持ってるわ」

 僕の自尊心はくすぐられた。それから会話が弾み、二人きりで会う約束ができた。二回目のデートで早くも男女の関係になった。

 由衣子と会う場所は、彼女の希望に沿い高級レストランや一流ホテルばかりだった。その上、ブランド物の服やバッグや靴を次々にねだられた。とうとう新車のスポーツカーまで買うはめになった。

 当然、支払いに追われはじめ、生活費にも事欠くようになった。消費者金融に通いだした時は、さすがにまずいと思ったが、由衣子を失いたくはなかった。彼女は美人でもなく可愛くもなく、頑なな性格で物言いはきつかったが、漠然と結婚を考えるようになっていた。とにかく身体の魅力に取りつかれていた。

 けれども踏ん切りはつかなかった。彼女の住むマンションの一室は、いつも散らかり台所の流しには汚れた食器がたまっていた。その部屋の澱んだ空気が、僕をためらわせていた。

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