47:1991年2月のこと -英雄の会食ー

 再就職のために奔走している最中、雅樂から食事の誘いがあった。久々に地元に帰っているらしい。約束の日の夕方、黒塗りのハイヤーが迎えに来た。母は呆気に取られすぎたのか、深々とお辞儀して見送ってくれた。

 僕は皆生温泉の一流ホテルの最上階に案内され、荒れた日本海が一望できるパーティルームで雅樂重樹と元宮杏子の出迎えを受けた。

 雅樂は黒いTシャツにジーパン、元宮は袖なしの水色のワンピースを着ていた。二人とも無造作に身にまとっているだけなのに実に絵になっていた。僕は場違いな所にきてしまったことを後悔していた。その上、二人が先ほどまで愛し合っていた気配が感じられ、どうにも落ち着かない。

 硬い表情の僕を和ませようとしてか、雅樂は自らカクテルを作ってくれた。

「ここは当家のプライベートフロアです。どうかお寛ぎ下さい」

 それからしばらく食前酒を楽しみながら、世間話をした。僕は質問を連発したかったが切り出せなかった。雅樂も元宮も段々村については触れない。もやもやした気分になった時、料理が運ばれてきた。テーブルに着くと、雅樂が申し訳なさそうに言った。

「最高級のステーキセットです。コース料理だと従業員の出入りがあってシークレットな話ができにくくなりますから、どうかご了承下さい。まずは平野さんにお詫びいたします。本当にご迷惑とご苦労をおかけしました」

 本当にひどい目に遭いましたよと厭味を言いたかったが、我慢した。雅樂はワインで口を湿した。

「いろいろお聞きになりたいことが山積みでしょうが、事件の全貌は明らかになっていません。わかっていることからお話します」

 まずは村民の話題になった。推定分を含め大晦日の死者は十四名ということだ。祭りの参加者で僕と碧以外の生存者は御田島妙子、柘榴井衛門、小作屋吾一と汐里、芝刈屋朔子、石切屋保良と忠良、そして室見川信士だという。

「信士は生きているのですか。すると錬堂教授もですか」

 雅樂はうなずいた。

「大けがはしているでしょうが、亡くなってはいないと思います。恐らく不測の事態に備えて琴浦町に待機させていた者が、助け上げたのでしょう。あやふやですが、年明けに黎都大学付属病院に二名の正体不明の患者が搬送されたという情報があります」

 僕の背筋に寒気が走った。雅樂も同じ思いだったようで、しばらく黙した。その後、自分を納得させるかのように言う。

「ただ錬堂教授が目に見える悪事に手を染めたことは明白ですから、社会的生命は断たれたと見ていいでしょう。私の目的は達成された訳です。しかし安心はできません。教授の信奉者は至るところに顔ダニのように食い込み、凍眠国家の実現に向けて策を弄していますからね」

 錬堂教授と信士との関係は、まだわからないとのことだった。僕は信士のことは思い出すのも厭になったので、話題を変えた。祭りの参加者の生き死にを分けた理由について雅樂に訊ねた。

「推測を交えて申します。まず妙子と衛門は、いち早く奥の細い洞窟に逃れたので無事でした。汐里と朔子は、あの時点で酔い潰れていました。石切屋の兄弟は私に殴られ気を失っていました。思うにあの怪物は、意識を失った人間は襲わないのではないでしょうか」

 僕の推理したことと同じだった。しかし小作屋吾一は、なぜ生き残ったのだろう。それについて元宮が口を開いた

「吾一氏は巧みに怪物から逃げていましたが、とうとう洞窟の入口近くで呑みこまれそうになりました。その時、室見川亘氏が前に立ちはだかって、自分の身を犠牲にして守ってくれたそうです」

 果たして英雄的行動だったのか、自殺だったのか、単に錯乱していたのかは判断はつかない。しかし僕は最後の最後で、彼が何らかの使命感に突き動かされたのだと信じたかった。その後、怪物どもの動きはひどく鈍り、人間にもあまり興味を示さなくなった。吾一は助役の行為によって精神が覚醒したのだろう。横たわっている村民を叩き起こし、一緒に奥の細い洞窟に避難した。朝には怪物の姿は消え、大穴の水も空っぽになっていたという。

 怪物を目の当たりにした僕にとっては、納得しがたい話だった。雅樂も最初は虚言ではないかと疑ったという。

「思うにあの怪物は、数人を呑み込むと満腹になったのではないでしょうか。それ以上は特別な刺戟が与えられない限りは、人間を襲ったりはしないのかもしれません。もともと食べる必要性があまりないか、あるいはほとんどない可能性すらあります。というのも地底湖に食料が豊富にあるとは考えられないからです」

「でも雅樂さん、それではあの身体が維持できないでしょう」

「おっしゃるとおりですが、それ以上のことは私の学識では何も言えません。専門家に研究してほしいのはやまやまなのですが」

 雅樂はそこで言葉を濁した。元宮が後を継いだ。

「とにかく段々村でのことは部外者に漏らしてはならない、なかったことにせよとの政府高官からのお達しがありました。もちろん法的な根拠はありませんが、違背した場合は雅樂グループも父の会社も潰されるでしょうし関係者全員の命が危うくなります」

 雅樂の顔が珍しく曇った。

「本当に理由がわかりませんが、元宮の言うとおりです。ですから捜査も滞っています。どこからか強烈な圧力がかかっているとしか思えません。ですが日本政府や錬堂教授の一派ではないようです。私は米国だと推察していますが、証拠は皆無です。仮に当たっているにしても、これも理由は不明です。ただ、おかげで私たちは執拗な追及は免れることができるようになりました」

 雅樂は、もし全貌が判明したら僕には伝えてくれると約束した。それよりも僕には余分のことが気になっていた。それについては元宮が説明してくれた。

「村で生き残った方々は、雅樂グループと私の父の側近が協同でお世話する予定です。ただし少なくとも村兵は送検されるでしょうね」

 余分の三名については新しい事実を聞くことができた。室見川助役の教えてくれたことは虚偽だった。元宮は静かに語った。

「あの一家は戸田といい、新居浜市にお住まいでした。数年前、ご主人が現住建造物等放火罪で収監中に自死されましたが、妻の典子さんは共犯を疑われて嫌がらせを受けた上に生活苦に追い込まれました。その果てに親子心中をしようとしたところを村に連行されたのです」

 典子は子供を道連れにしようとした罪の意識に苛まれ、口がきけなくなってしまった。しかし村にいれば、少なくとも家族で生きてはいけると考え悲惨な境遇に甘んじることにしたのだった。

「でもご安心下さい。典子さんのご主人は冤罪でした。昨年、別件で逮捕された男が自分が真犯人だと自供したのです。典子さんも言葉を取り戻せそうです。それはそうと久吾屋碧さんのことは、お訊きにならないのですか」

 碧の名を口にした時、元宮の眼には神々しいほどの優しさが宿っていた。雅樂は彼女に目配せをした。

「気になりすぎて、かえって口に出せないのでしょう」

 抑えていた想いが、心の奥底から溢れでてきた。本当は碧に無性に会いたくてたまらないのだ。しかし雅樂は言う。

「まだ会うべきではありません。連絡を取ることも差し控えて下さい。碧さんは精神的に不安定になっているので心理療法を受ける必要があります。特にご両親と信じていた方に、本当の親ではないと冷たく突き放されたことに激しい衝撃を受けられたと聞いています」

 今は静かに待つしかないのだろう。雅樂は、僕を慰めるように続けた。

「元宮の調査によれば、今から二十二年前、琴浦町の寺に女の子が置き去りにされていました。警察に届ける間もなく、両親と称する男女がやって来て引き取っていったそうです。その女の子が今の碧さんで、両親というのが段々村の誰かだったのではないでしょうか。寺に残っていた写真を見ると、碧さんに似ていたといいます」

 元宮が僕を見つめた。

「でも確かな証拠はありません。ただ寺の方によれば、女の子の首に手ぬぐいが巻いてあったそうです」

 そこで雅樂は元宮の話を遮った。

「手ぬぐいには、瀬戸内海のある島の農協の名前が染め抜いてあったそうです。その島の名は、敢えて申し上げません。はっきりしないことですし、たとえ碧さんがその島の出身だとしても知らない方がいいことがあると思うのです」

 元宮はうなずいていたが、唐突に明るい声を発した。

「平野さんは英雄ですね」

 からかわれているのかと思ったが、彼女の口調は真剣そのものだった。

「苦しい闘いに勝利した後、富を得て素敵な女性と結ばれる。まさに英雄ですよ」

 その言葉に僕の心は固まった。必ず碧を迎えにいくのだと。


 




 



 

 

  

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