29:11月末から12月初めのこと -出納長の残業ー

 雅樂から四番目の報告書に対する返信が届いた。前回よりさらに奇妙なことが書き連ねてある。

「1943年、前年の初の東京空襲を受けて大本営の移転が計画され、段々村が最終候補地になった。当時の村は芋と雑穀の栽培および林業が主産業で、人口は三百人程度だったが、その大部分が立退きを強いられた」

「坑道掘削が開始されてまもなく、地下水源からと推定される大量の流水が工事を阻んだ。加えて原因不明の作業員の損耗が発生し、計画は断念された」

「人的損耗は正体不明の巨大生物の襲撃によるとの証言があったが、一笑に付された」

「終戦直後、現在価額で数十億円と見積もられる旧軍の隠匿物資が、段々村に搬入されたとの噂があるが詳細は不明である」

「また同時期に御田島全蔵という村長が、段々村にいわゆる浮浪者や孤児の収容施設を設けたとの記録あり。この人物は御田島丞介の父親であると確定済み」

 確かに興味を引く内容だったが、それぞれが現在の村の有様や凍眠国家論とどのように関連しているのかは全然わからない。最後はこのように結ばれていた。

「いろいろと奇異な事象に遭遇されていらっしゃるようですが、どうか自重なさって下さい」

 自重とは自嘲の間違いかと皮肉りたくなった。けれども雅樂が僕のために奮闘している様子は伝わってきたので、拗ねた考えは頭から追い払った。

 とにかく12月が迫っている。目の前の仕事に集中しなければならない。とはいえ遅々としてはかどらず、僕は焦りを覚えていた。完璧を目指さなくてもいいのだと自分に言い聞かせたが、僕の能力ではそれに遠く及ばないものさえ作れそうにない。雅樂からの五番目の返信をひたすら待つしかなかった。

 11月最終日に、待ち望んでいたものを碧が宿舎に届けてくれた。彼女は半ばべそをかいていた。

「ごめんなさい。いつもと違う厚みなんで、山野瀬巡査さんが封を切ってしまったの」

 僕は動揺を押し隠し、封筒を受け取った。そこには偽の領収書とともに「1990年度版 日本信用販売協会ハンドブック」という小冊子が入っていた。表紙に貼ってある付箋に「今後のご利用の参考にして下さい」とある。

 僕は努めて素っ気なく言った。

「何だ、ただのパンフレットだよ」

「そうでしょ。山野瀬巡査さんも同じことを言ってた。それにしても、ひどい」

 碧は憤りを隠さなかった。彼女が、村に染まり切っていないことがわかって嬉しくなった。

 碧がいなくなると、小冊子を急いでめくった。真ん中の三十ページほどが、巧妙に別の文書に差し替えられていた。それは詳細を極めたリゾート開発計画案だった。思わず独り言が漏れた。

「パーフェクトだ」

 翌週から僕は、これまでにないほど熱心に仕事に取り組んだ。といっても雅樂の作成した文書をほぼ丸写しするだけだったが、それでも文言などは変更する必要があって大いに頭を悩ませた。

 ある日、午後8時を過ぎても退出しない僕を訝しんでか、御田島妙子が仕事場を覗いた。仏頂面で、とげとげしく言葉を吐きつけてくる。

「まだ帰らないんですか。いつもは定時ちょうどで上がるのに。自分勝手に残業しても手当てなんか出しませんよ」

 癇に障ってはいたが、冗談めかして受け流した。

「済みませんねえ。段取りが悪いもので。もう帰りますから」

 妙子は終業点検が遅くなるので不機嫌なのかと思ったが、そうではないようだった。

「することがあるのなら残ってもいいわ。私は9時までいるから」

 僕は驚いた。特に仕事もないはずなのに、なぜ居残るのだろう。

「出納長は、いつもそんなに遅く退出されるんですか」

 妙子の表情が、ますます強張った。

「深夜になることもあるわ」

「お食事が遅いと大変ですね」

 僕は胃の負担について言ったのだが、妙子の受け取り方は違った。

「私、ずっと前から作っていませんから。料理は村兵の担当になっています。その方が村長好みの味になるようですから」

 その口調には諦観と皮肉が込められていた。碧の言ったとおり夫妻の間が、うまくいっていないことが容易に想像できた。遅くまで帰らないのは、自宅にいづらいからだろう。

 このところ妙子は、つっけんどんを通り越して鬼気迫る悲壮感を漂わせていた。それも村長との不仲が原因なのだろう。僕は夫妻が親しくしている場面を見たことがなかった。それは、いわゆる仕事と家庭を峻別する考えに基づいていると信じ込んでいたが、勘違いだったわけだ。

 僕が無言で机の上を片付けだしたので、妙子はぷいと横を向いた。その表情には、なぜか切迫した感じがある。何か言いたそうにも見えたが、そのまま立ち去っって行った。

 僕は故郷の両親を思い出していた。ある時期から仲睦まじいとは言えなくなったが、それでも協同して子供を育て進学までさせてくれた。ところが、この村の家族ときたらどうだ。ただ一緒に住んで、与えられた役割を果たしているというより演じているだけのような気がしてきた。何も生み出さず、今より少しでも良い状態を作ろうともしていない。

 村自体、村ごっこをしているだけだから仕方ないのだろうが、家族まで「ごっこ」をしている。

 それどころか個人も村民ごっこ、人間ごっこをしているだけに思えてきた。村長と助役と信士、それに碧と余分たち以外は、僕にとって良くも悪くもほとんど人格を感じない。碧については、外界とのかなりの接触があるから人間らしさを保っていられるのだろう。余分は、まともな村民として扱われていないゆえに、かえって生気や正気を感じさせるのだろう。

 他の村民たちは洗脳されたり、何かの思想や宗教に影響されたふうはないのに、精神も行動も凍てついてしまっているように見える。教育を受けさせず情報や刺戟を遮断し、村でしか生きられないように仕向けると、人々はある一定の生き方を自分で自分に強制し、それを自発的な選択と錯覚させられて受容してしまうのだろう。

 人間は、いとも簡単に、自分で自分を他の誰かが望む色に染め上げることができる。それをするのに目に見える暴力など不要だ。あなたはそのように生きるしかない、それはあなた自身が選んだ道なのですという優し気な囁きがあれば十分なのだろう。



 




 

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