21:10月13日のこと -碧の内緒話ー
翌日、遅い時間に朝食を済ませると碧から声がかかった。
「ごみがあるなら焼きますよ」
ごみ収集は村には来ないので、村民は自宅付近で焼却している。不燃ごみは石切屋に依頼して、琴浦町の施設に持ち込んでもらうそうだ。
碧は宿舎の裏の人目につかない場所で、ぼんやりと炎を見つめていた。その後姿に僕は余分のノリコを連想した。広い意味では二人とも同じ境遇に感じられてならなかった。
僕がごみを火に投げ入れると、傍らにいた碧が素っ頓狂な声を上げた。
「まあ、顔が。昨日より腫れ上がっている」
「昨日の晩は会ってないでしょ」
「飲んでいるのを陰から見てた」
「顔を出せば良かったのに」
碧は口を尖らせた。
「だめよ。どうせ横に座れ、酌をしろと言われ、肩まで抱かれるんだから。隠れるしかないわ」
僕は苦々しい気分になった。
碧は俯いた。
「こんなブスなのに、どこがいいんだか」
僕は叱るような口調になっていた。
「碧さんはブスじゃないよ」
「じゃ、バカだ」
「違う。ブスでもバカでもないよ」
碧は寂しげに微笑んだが、その頬は赤らんでいた。
「お口が上手ね」
僕は軽口めかして言った。
「村には他にも若い女の人がいるんだから、宴会に呼んであげればいいんだよ。そうすれば碧さんが厭な思いをしなくても済むかもね」
碧は真剣な表情になった。
「柘榴井三月さんなんか恐ろしいでしょ」
「そうだねえ。村兵のエリさんも怖そうだ」
碧は少し明るい口調になった。
「エリさんは本当は普通の人よ。よく頼まれ事をされるから知ってるの。冗談も通じるわ。ただ村兵だから一線を引いているだけ」
「そうなのか。じゃあ、畑仕事や草刈をしている女の人はどうだろう」
「小作屋汐里さんと芝刈屋朔子さんね。小さい頃は一緒に遊んだりもしたけど、今じゃ話もできない」
「それって、どういうことなの」
「だって子供の時から一日中、仕事をさせられるんだもの。あの二人、学校はほとんど行っていない。村から外に出してもらえないし、周りから言われたとおり動いているだけ。汐里さんも朔子さんも、近頃は喋るどころか笑うことができなくなってる」
僕は言葉を失っていた。碧は村外との折衝や手続きをしなければならないため、最低限の教育は受けられ、わずかな自由は与えられているのだろう。
「もったいないな。能力を引き出してあげれば、村は稼げるようになって、ご両親も助かるだろうに」
「だって村長さんのために村民がいて、村長さんの都合で役割をもらっているのだから、誰かが勝手なことをしだしては困るでしょ。それに稼げるような人は村の外に出て行ってしまうかも」
あるいは村長に盾ついたり、村の在り方を変えてしまう存在になるかもしれない。そのようなことを防ぐためにも村民に教育は受けさせない。まして自分で考えたり、あるいはその上で他者と対話を行なうことは望ましいことではない。
碧の話を聞きながら、僕は以前、室見川助役から聞かされたことについて理解を深められるようになっていた。
結婚や出産を自由にさせれば、村民の生き方や村民の数を管理しきれなくなる。その結果、村民数が不用意に減れば、役割の遂行に支障が生じることになる。逆に不用意に増えれば、村つまり村長の富と力を削ぐことにつながりかねない。
従って村の人口は含みとしては減少を目指しつつ、当面はある一定数を保つ。ただし各役割に従事する人数は、事情や村長の意向で増減することがある。最初の出勤日に助役が話してくれたように、村に適任者がいないので僕は招き入れられたというわけだ。
碧の話はたどたどしく内容の把握には手間取ったが、要約すると以上だった。
「私なんか本当は無駄な人間なのよ。カネばかりかかって、ろくに役割も果たせないんだから」
碧のその言葉には胸を衝かれたが、僕は慰めることすらできない。そのような考えを仕込まれてきた碧が気の毒すぎた。
結局のところ村民はコストでしかないという考えは、まさに凍眠国家論を連想させた。絶対に段々村と異様な国家論は無関係ではないと確信した。
黙り込んだ僕を碧が見つめている。
「平野さんは、今年いっぱいしかいないのね」
「ああ。そういう約束になってる」
心なしか碧が肩を落としたような気がした。気まずい沈黙の時間が続く。僕は無理やりに話題を持ちだした。
「しかし昨日は参ったよ。犬のことで、あんな目に遭うとは。これからは気を付けよう」
碧は柔らかな表情を取り戻した。
「私、犬嫌いじゃないよ」
「えっ、そうなんだ」
「外に出れば、どこにでも犬がいてかわいいと思う。他の人もそうなのかもしれない。ただ昔から犬を入れないというのが村の掟だから、それに縛られているだけでしょう。村に追い込まれて、村に合うように自分で自分を固めてしまっているのよ」
ごみが燃え尽きた。僕たちは肩を並べて、燃え滓から上がっている煙をしばらく見つめていた。
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