49:1995年6月のこと -事件の全容(要約)-
往時は豊かだった段々村は、寛永の頃になると見る影もなくなっていた。村民は守り神である怪物が斃されたせいだと考え、いつしか犬は災いをもたらす存在とされるようになった。
深刻な停滞にもかかわらず、段々村では新分野への挑戦や新たな市場の開拓は行われなかった。なぜならそれらは、御田島家の財力を削いだり権力を弱めるおそれがあったからだ。従って村は衰える一方になった。
貧しさによる離村者や死者の増加で人口は減少し、さらなる生産力の低下を招いた。廃村を回避するため村のすべての生産物を庄屋の御田島家に集中させ、必要に応じ村民に配分する仕組みが作られた。
しかしその仕組みは変質していった。生産力が上がらない中で一人当たりの配分を保つには、人口を一定に保つしかない。まして生産力が低下するのであれば、人口を減らしていくしかない。結果として村の存続のために最低限、必要な役割を設定し、それを果たすだけの村民がいればいいということになった。つまり仕組みの目的が、いつの間にか役割別の人口管理にすり替わってしまった。
それに伴い人身御供の性格も変貌した。役割を果たすために必要な村民数は歳月の経過とともに変動するため、不要になった村民を生贄にすることで人口の調節を図るようになった。そのうちに人身御供は御田島家の威光を誇示し、村民を威迫する手段としても使われるようになった。さらに時が下ると、村にふさわしくないと判断された者も犠牲にされるようになる。
以上のことは御田島家の富を殖やすことにはならないが、少なくとも富の減少を防ぐことはできた。そして御田島家の権力は、ますます増大することとなった。しかし御田島家は、それを誇示することは注意深く避けた。たとえ反乱は起きなくとも村民の大量離村を招くことになれば、御田島家の生活が成り立たなくなる。従って、すべてが自然発生的で仕方がないことだと村民に信じさせることに全力が注がれた。
さて人身御供の対象者の選定は、御田島家の側近の協議で行なわれた。側近といっても制度上の存在ではなく、御田島家と特別な人間関係のあった者に過ぎない。実際に手を下すのは神職だが、それも対象者を大穴に落とすだけで殺害するのは怪物だ。誰も血を見なくともいい。つまり誰も決定的な責任は感じずに済んだ。これを雅樂は「不責任」体制と呼んでいる。
そしていつの頃からか余分という存在が生れた。これは村にとって必ずしも必要でない役割を与えられ、いわば飼育されている人々である。予備村民とも言えよう。人身御供の候補が不在の場合、犠牲者となることを想定して作られたのだろう。
しかし時代が下るに連れて村の在り方も変貌していく。幕末には人身御供の儀式は途絶えたようだ。やがて洋風の村役場や学校も建てられ、犬を忌避する風習も次第に薄れていった。貧しさからは脱せなかったが、ごく普通の村に変わっていく。
1943年に村に大本営移設が決まると、村民たちの多くが立退きを迫られた。ほどなくして計画は白紙に戻ったが、何らかの恩恵を期待していた残る村民たちも当てがはずれ続々と村を離れた。最後まで留まったのは御田島一家と柘榴井宇目だけだった。
御田島家は支えてくれる村民を失ったが、自力で生活することは思いもよらなかった。田畑を耕し、物を作り、商いをすることは、すべて自分たち以外の村民がすべきことだと考えていた。それどころか村民がいなければ仰ぎ見られることもない。当時の村長だった御田島全蔵にとって村の再興は急務だった。彼は言い伝えや文書で残る昔の村の完全復興をもくろんだ。
彼は次のように考えていた。村と村民は自分のためだけに存在すべきだ。法令に則ったり民意を汲みあげることは、御田島家の権威の低下につながるので不要だ。教育の振興は村民の流出を促進するとともに御田島家に対抗できる人物を生み出すゆえ抑制されなければならない。村民にそれぞれの役割が果たせるだけの知識を与えるに留めるべきだ。産業の発展は、御田島家が有する資産の毀損につながるおそれがあるため望ましいものではない。
とにかく御田島家の力を削ぐようなことは許しがたいというのが、全蔵の考えだった。力とは権力や財力や権威などを指すが、全蔵はそれらすべてを包含した意味で権勢という言葉を使った。なぜなら力の保有や行使や発現には責任が伴い自己鍛錬と深い思考が不可欠だが、全蔵は「不責任」の御曹司のままでいたかったからである。たとえて言うなら、村民が自動的に送ってくれる風に乗って呑気に浮遊するだけの存在でありたかったのだ。
従来の村民がほぼいなくなり村の運営の仕組みも消えたことで、純化した村を建設できると全蔵は考えた。新しい村民の確保と村の再建に必要な資金調達の方法を模索している内に終戦になった。しばらくして数人の旧軍人が、軍の隠匿物資を村に持ち込んできた。人目の届かない場所で密かに分配しようとしたのだろう。物資の内容は貴金属、宝石、麻薬など金目の物ばかりだった。
旧軍人の中に三蔵門彰春という学徒兵がいた。彼の先祖は段々村の僧侶で寺は小作屋の住んでいた場所にあったが、廃仏毀釈運動で寺は破壊され一家は村を追われたのだ。そのような縁で彰春は全蔵と気脈を通じるところとなり、全蔵の愛人だった柘榴井宇目を巻き込んで隠匿物資の横取りが企てられることになる。
旧軍人たちは言葉巧みに柘榴峰の洞窟に誘い込まれ、次々に大穴に落とされた。その後、彰春と全蔵は闇ルートで隠匿物資を売りさばき、巨額の利益を山分けした。
その過程で彰春は全蔵の復興構想を知り、強い興味を抱くようになる。それを発酵させ、さらに発展させたものが凍眠国家論だった。
終戦後の社会は浮浪者、失業者、孤児で溢れていた。全蔵は彼らを村に誘き入れ役割を与えるとともに最低限の衣食住を与えた。その上で彼らに、社会に不必要で不適格であると思い込ませる工作を行った。また村民の意識統制のため犬を忌避する風習をよみがえらせ、併せて村長の権勢を誇示し人口の調節を図る手段として人身御供の祭りを復活させた。
三蔵門彰春は、多数の学者を輩出した京都の錬堂家に養子に入り、ここに錬堂彰春が誕生する。彼は黎都大学に多額の寄付を行ない、若くして教授の地位を得る。
自分に感化された教え子たちが国家を自在に操り、凍眠国家を実現させていくのが彼の望みだった。国家には気脈が通いあった有能な者だけ存在すればいい、他の国民は財政の負担になるだけだというのが彼の信念だった。それは官学に対する劣等感と敵愾心に由来するものであったかもしれない。
1961年に錬堂彰春は段々村を訪問している。凍眠国家論を深化させるための実地調査であったようだ。滞在中に彼は村の女性と関係を持つ。彼が村を去った後、女性は男児を出産するが間もなく柘榴滝に身投げした。自殺の理由は定かでないが、想定外の出産だったため男児が人身御供にされることを自身を犠牲にして食い止める意図があったとも考えられる。
男児は信士と命名され、母親と血縁関係にあった室見川家に引き取られた。全蔵は自分の大罪を知る錬堂を無用に刺戟することを避けたのだろう。
ある時期から信士は本当の父親の名を知り、彼からカネをもらうようになる。錬堂の意図は不明だが、親心というより口止め料のつもりだったのかもしれない。
なお柘榴井三月の両親は、御田島全蔵と柘榴井宇目である。信士と三月はその出自ゆえ全蔵に別格の扱いを受けて育ち、成人後はいわば側近となった。それは御田島丞介にも受け継がれることになる。
やがて宇目に続き全蔵も亡くなると、丞介が帰村する。それは彼の本意ではなかったが、すぐに状況に馴染んでしまう。何もしなくてもすべてが整い、村民は自分を仰ぎ見てくれるのだ。村にいる限りは誰にも頭を下げなくていいし、本気で謝る必要もない。
その反面、琴浦町への敵意が極限まで膨れ上がっていた。段々村と琴浦町は大昔は敵対していた。その記憶は代々の御田島家当主に伝えられ血肉化していた上、琴浦町での扱いが村にいる時とあまりに違うため憤りが募ったようである。それは当然のことだが、権勢ある家柄の出身で、日本を代表する企業のエリートを自負していた彼にとっては屈辱と感じられたのだろう。
琴浦町は段々村に対し何もしてくれない。これが丞介の口癖だった。当たり前である。旧村域はすべて御田島家の私有地だったのだから。そう愚痴る時、彼は村が実在しているように錯覚していたのだろう。とうとう彼は琴浦町域を我が物とするために、妙子に無謀な投資を実行させる。結果は巨額の損失をこうむっただけだった。
損失を一気に取り戻し、併せて琴浦町に対する積年の恨みを晴らす方法を丞介は考えることになった。それが果たせるなら村を棄ててもかまわないとすら思った。債権者に追い詰められて半ば錯乱していたのだろう。ついに地底湖の水で町を押し流し地上げさせるという計画を思い立つ。
けれども自分が首謀者となることは避けたい。そのために罪を転嫁できる人間が必要になった。それは平凡で無名だが無能ではなく、地上げを思いつきそうな経歴を持ち、何らかのことで人生に躓いて村に来ざるを得ない事情があり、最後の祭りにふさわしく伝説の武士と関連付けられる者であれば最高だ。
この難しい条件に適合する平野真守という人物が、偶然にも見つかった。もし見つからなければ条件を緩めるつもりだったのだろうが、これで丞介の計画は実行段階に移った。当初は誇大妄想狂の思い付き程度だった計画は、カジノリゾートというコンセプトを得て最終的に悪魔的なものとなる。得体の知れない人物や団体も興味を示しはじめた。
その計画の一端は、丞介がたまたま接触した錬堂彰春の知るところとなった。彼は計画の横取りを図ったが、理由は大金を必要としていたからだ。というのも彼は気脈を通じた政治家や官僚を操って株価を一瞬だけ暴落させ、すぐに高騰させることによって巨利を得ようとしたが失敗した。大損害をこうむった人々の中に錬堂が主導したことを知った者がおり、損失補填をしないと身の安全は保障できないと脅されていたのだ。
雅樂は平野の報告書から大きな陰謀の存在を読み取ると、内容を知るために錬堂彰春の懐に入った。もともと雅樂は錬堂から高く評価されながらも、凍眠国家論の是非を巡って袂を分かち一派に取り込まれないように身を処してきた。しかし事態の推移を座視するわけにいかず、表向きだけ錬堂に屈服したのだった。
錬堂はカジノリゾート計画に支援を惜しまない代わりに、大晦日の祭りの見学をさせてほしいと御田島丞介に申し出た。祭りの存在を知っていることを丞介は不審に思ったはずだが、錬堂は全蔵にほのめかされたとでも言い抜けたのだろう。
村兵の供述によれば、祭りの後、丞介は車で送るように指示をしていた。けれども行先は教えられていないという。
琴浦町は濁流に押し流され、祭りは何事もなく終わるはずだった。しかし地底湖の決壊は阻止され、怪物が大穴から出現するという予想外の事態になった。やむなく錬堂と信士は村民の幽閉を図り、五千万円を奪って逃走したように見える。しかし当初から、そのつもりだった可能性が高い。口封じのために雅樂をも閉じ込める気だったのだろう。
そう考えないと信士が、草焼き用の火炎放射器を持ち込んでいた説明がつかない。少なくとも雅樂と平野を殺害して死体を焼き、後に行なわれるかもしれない捜査を攪乱する狙いがあったのではないか。
なお御田島丞介と柘榴井三月は、互いに兄妹とは知らなかったようである。また丞介は信士が錬堂の子であることも知っていた形跡はない。
ダンと怪物については何も記述がなかった。雅樂にも説明がつかないのだろう。最後はこのように結ばれていた。「事件発生以降、旧段々村に米国国防総省が強い関心を抱いているという噂があるが、仮にそれが本当だとしても理由は不明である」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます