第5話 デイミオンの新しい日常

 竜騎手団の副長であり、王の右腕でもあるハダルクは、早朝に王の居室をおとずれた。

 紙ばさみを脇にかかえて入っていくと、広い寝台の前で足をとめた。黒竜の王が気だるげに半身を起こしているのが見える。そのまわりには、裸の美女たちが数人、すやすやと寝入っていた。

 このくらいで驚くようでは、竜騎手団の要職などつとまらない。ハダルクは手慣れたふうに「こほん」と空咳をした。

 デイミオンはちらりと副官に目をやってから、「そら、朝寝はここまでだ」と女性たちに声をかける。「全員起きて、退出してくれ」


 美姫たちは猫のように伸びあがったり髪をかきあげたりしながら起き上がった。ハダルクの存在に気がつくと、かわいらしく恥じらいつつドレスを手にとる。寝台のまわりに脱ぎ捨てられていた服を探すのは容易ではないようで、女性たちの手が色とりどりの衣服をつかんであちらへこちらへと行き来した。


 おたがいに手伝いあいながら手早く、しかし優雅に服を身に着け、王にあいさつをする。「昨晩も素敵でしたわ」とか「おなごり惜しくて今日も仕事が手につかなさそう」とか。

 デイミオンはにこやかにあいさつを受け、「仕事があるんだ。また夜に来い」と美女たちを送りだした。


「今は何人いらしてるんです?」美女たちの背中を見送りつつ、ハダルクが尋ねた。

「五人……六人か?」

 デイミオンはあくびをかみ殺しつつ答える。「最初は、ひと晩に一人ずつ来るように言ったんだがな。二人ずつ来れば、そのぶん同衾どうきんする日が増えるとかなんとか。それで、気づいたらこうなっていた」


 それは、また、ごりっぱなことで。

 竜の国では、漁色は悪徳とはみなされていない。ハダルク自身も若い頃にはそれなりの女性経験があったので、王をとがめようとは思わなかった。


「お楽しみになっているようで、けっこうですね」

「楽しいぞ」

 デイミオンはそう言ったものの、端正な顔には感情が乏しかった。「楽しいと思ってやっている」

 眠気のせいなのか、それとも前妻を思ってのもの憂さなのか。


「今日はリアナさまがいらっしゃる日ですが。アロミナさまを連れて」

「そうだったな」

 デイミオンは裸のまま起き上がり、長椅子にかけられていた昨日の長衣ルクヴァをそのまま着はじめた。


 着衣を待つあいだ、ハダルクはそっと部屋を観察した。リアナと過ごしていたころの落ちついた明るい内装は、寝台ベッド以外、すっかり変えられている。

 壁はダークな色あいに塗られ、狩猟しゅりょうの成果とおぼしい下級竜の頭のはく製があった。それから、高価なタペストリーに金属鎧にボードゲームに、独身男性が好きそうなあらゆるものがそこにあった。


 優雅な独身生活をうらやむには、自分は年を取りすぎているようだった。

(まあ、陛下にも……気分転換が必要ということだろう)と、ハダルクは思った。自分の元を去った女性の痕跡こんせきを残しておきたくないというのも、わからなくはない。


 デイミオンが更衣をはじめると、さらに入室をもとめる声がかかった。王の居住区に立ち入ることのできる者は限られている。ハダルクは一瞬、リアナだろうかと思った。が、入ってきたのは妻のグウィナだった。


「あらっ、ハーディ。ここにいらしたの」

 勤務中によく身につけている、長衣ルクヴァに似た女性用の隊服姿だ。


「閣下」

 ハダルクは会釈をした。五公であるグウィナはかれよりはるかに格上の貴族である。なので公的な場では、妻に対してあらたまった態度でいるようにしていた。

 グウィナは目だけで優しく微笑むと、甥に向きなおった。

「よかったわ、ちょうどご報告があるのよ」


「なんだ?」

 シャツのボタンを留めながら、デイミオンが尋ねる。


「リアナさまが騎手団に入ったの。そのご報告」

 グウィナは笑顔だったが、告知されたほうの男たちは衝撃だった。ハダルクは礼儀も忘れて「えっ」と間抜けな声を出したし、デイミオンは靴を食べろとでも言われたような顔をしている。


「なん、だと?」

 デイミオンはボタンに手をかけたまま凍りついた。「リアナが……なんだ?」

 ようやく絞りだした王の声はかすれている。


「ですからね、リアナさまが竜騎手団に入団したいとおっしゃったのよ」

「竜騎手団に入団!? 許可したのか?!」デイミオンは目をむいた。

「許可したわよ」

 グウィナはにこやかに答えた。「ちょうどロカナンが抜けて、白竜のライダーを補充したかったし……。それに、女性の社会進出は喜ぶべきことですものね」

「なぜ俺の許しもなく、そんなことを認めたんだ!」

「許しって……。騎手団の編成は、団長であるわたくしに一任されていると思ったけれど?」

「それはライダーの話だろう!!」

「あら、リアナさまは普通のライダーじゃなくって? 竜の前には領地の多寡をとわず、すべてのライダーは平等。それが竜騎手団の信念よ」

「そんなことを言ってるわけじゃない! あいつは俺の……」

 言いかけたデイミオンは、気まずそうに中断して咳ばらいでごまかした。


「閣下」ハダルクはやや遠慮がちに、妻の発言をさえぎった。

「乳飲み子がいるような女性を、ライダーの任務につけるわけにはいきませんよ」


「後方任務だっていろいろありますでしょ?」

 グウィナは手ぶりであれこれと示した。「産後の復帰は、早ければいいとはもちろん思いませんけれど、肩慣らししておくのはいいことだわ」


「なんてやつだ」王は、言葉どおりあぜんとして色を失っていた。



 ♢♦♢ ――デイミオン――


 そういうわけで、デイミオンは憤然と城内を歩いている。ハダルクが先ほどうながしたように、リアナが子を連れて面会に訪れているのだ。


 それでなくとも前妻に会うという気の重い予定に、さらに先ほどのニュースが重なって、かれの機嫌は雷雲のように不安定だった。王の通る通路、脇にしりぞいた使用人たちが思わずぎょっとするほどに。


(ようやく、この生活にも慣れてきたというのに――)


 つがいの誓いを解消してからというもの、デイミオンは、妻がいてはできないようなことを思いつく限りやってみた。

 部屋をちらかし、風呂の後に濡れたままベッドに入り、寝具の上でぽろぽろ食べこぼす。服も着ずに好きな格好で過ごしても、嫌な顔をする女はいないのだ。最高じゃないか?


 さらに、独身男性がやるあらゆるくだらないことをやった。

 女性たちを呼んではべらせる。独身男たちと徹夜のパーティ。そう、家庭があるうちは遠慮していた悪友たちともひさびさに旧交を温めた。賭けヴァーディゴに狩猟もやった。どれもひさびさで、デイミオンはおおいに楽しんだ。


 ――よしよし、悪くない兆候だ。

 最初のころはたしかに、そう思ったはずだ。美姫たちと夜を過ごすのも、妻では得られない興奮があった。彼女たちの献身と称賛は、妻の裏切りで傷ついた自尊心をおおいに取り戻させてくれた。もちろん、野心をもって追従ついしょうする女もいるだろうが、かまうものか。野望をかなえるのも、しりぞけるのも、王である自分の思うがままのはずだ。


 だが、時おり――部屋のなかにあのからかうような声を聴いてしまう。くすぐったくなるような快活な音のなかに、ひとさじぶんの皮肉がきいた声。

『どうして、カワウソみたいにびちょびちょで歩くの? 床が腐って抜けちゃうわ』


 畜生。床が抜けたら、そのときに考えればいいことじゃないか? すくなくとも俺の仕事じゃない。


 それから、また部屋をちらかし、濡れたままベッドに入り、食べ散らかし、最初のときほど面白くないことに気づいた。美女との同衾どうきんでさえ、くり返すごとに刺激も満足感も減っていく。


 『お楽しみになっているようで』とのべたハダルクに、自分は『楽しい』と返した。本当はそのあとにこう続けたほうがよかったのかもしれない――「だが、やすらぎはない」と。


 それでも、ほかにどのように新しい日常を過ごせばいいのか、デイミオンはいまだわからないでいる。

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