第25話 国王の醜聞

 ♢♦♢ ――フィル――


 話は、美女の罠に遭いかけた夜まで半日分さかのぼる。


 フィルが胸に抱えていた女性を突きとばすと、建物の陰から男が出てきて、「おっと」と彼女を支えた。ひょろりと細長く、もつれたような黒髪。ハートレスの兵士、スタニーだ。

「もう帰っていいよ、お疲れさん」と声をかけられ、ネリと名乗った女性は軽くうなずいて立ち去った。すっかり、プロの身のこなしに戻っている。


「なんなんだ、こんな気の抜けた美女の罠ハエトリグサは。おまえらしくもない」

 夜に溶けるように消えた女性の背中を見おくって、フィルは言った。

 元部下はいつもどおりに肩をすくめる。

「あなた相手に本気で仕掛けたら、バレたときに殺されるでしょうが」

「逃げ道ってことか? 姑息こそくなやつだな」

 この種の罠には耐性があるし、今はさほど重要な情報を握る立場でもない。それはわかっているだろうに、いったいなにが目的なのかと、フィルは怪しんだ。

 街灯に身をもたれさせて、腕と足を軽く組んで問う。

「で、誰の命令なんだ?」

 スタニーは片方の眉をあげた。「わからないんですか?」

「わからないから聞いてる」

 答を引きのばしたいような間があったが、結局、あきらめたような答が返ってきた。「あなたのお兄さまですよ」

「デイが?」フィルはハシバミ色の目をいっぱいに開き、驚きをしめした。「どうしてまた俺に……ああ、そうか」

 ようやく目的に思いいたる。あまりにも突拍子とっぴょうしがないので、すぐには思いつかなかった。「俺に浮気させて、リアナと別れさせるつもりなのか」

「残念な現実ですが、正解です」

 スタニーは言葉そのままのうんざりした顔で言った。「リアナさまとの別離がずいぶんこたえたんでしょう。俺に頼むあたり、人選が悪いと思いますがね。ほかに間諜の心あたりがなかったんでしょう」

「へえ……驚いたな。デイはそういうことはやらないと思ってた」

「てっきり気づいたものだとばかり思ってましたよ。女を味見もしなかったじゃないですか」

「今はリアナがいるからな」

「さようで」

 ヂッという音を立てて、羽虫が街灯のなかで燃え尽き、小さな影を残した。

 やる気のない罠といい、嘘とは思えないが、フィルはすぐには信じがたかった。あのプライドの高い男が、美女を使って工作? ねんごろになったところで、浮気の証拠をおさえてリアナに突きつけるつもりだったのか?

 デイミオンの高慢なまでの潔癖さとは、かけ離れた浅い策だ。もちろん、フィルが火遊びをすれば大喜びでリアナに言いつけることは想像にかたくないが、わざわざ策をろうして露見するような愚はおかさないだろうと思っていた。

 同時に、スタニーは工作が裏目に出ないよう、わざとフィルに見破らせたのだろうと想像がついた。ことが大きくなり過ぎては、国王の醜聞になりかねない。小火ぼやのうちに関係者で話をおさめるつもりなのだ。


「いいゆすりの種ができたと思ってるんでしょ? あんたはお兄上が嫌いだから」

 スタニーに問われ、フィルは意外にも眉をしかめた。

「いや。よくない傾向だな」

「そうですか?」スタニーはぎょろっと落ちくぼんだ目を向ける。


「デイにはもっと、プライドを気にして平常通りにふるまってほしいんだけど。こういう弱ったところを見せると、リアナが心配してそっちに注目が行ってしまうだろう? それは困る」

「……」

 テオあたりなら、「わっ、ドン引き」と言いそうな表情だったが、スタニーはそれを口に出さない分別ふんべつがあった。

「まあそれなら、落としどころはあるというわけです。俺は作戦の失敗を報告したくないし、あなたはリアナさまの注意をかわいそうな元夫に向けたくない」

「そういうことになるな」

「俺は作戦の進行を適度に報告しつつ、お兄上の頭が冷えてきたら、『こんなことをしても夫婦の別離は狙えない』と進言する。お兄上も考えなおす。これで丸くおさまります」

「よし。それでいこう」フィルも満足してうなずいた。二人はその夜、そこで別れた。



 ところが、さすが二枚舌というべきか――スタニーはそれを、王宮に報告していたのである。そこで、デイミオンは計画の失敗を知ることになった。

 ここから話がどうひろがっていったのかは、実のところよくわかっていない。少なくとも実行者のスタニーではないはずで、少ない関係者のだれかに違いはないのだが、それは後世でも謎(と、おあつらえむきの陰謀論)のひとつとなっている。妥当な推測のひとつとしては、寵姫の後ろ盾であった王都の貴族のひとりが、望みどおりの栄達えいたつを得られなかった腹いせに噂を吹聴したという。だとすれば、王にとっては一種の自業自得となったわけであった。


 ともあれ、デイミオンの玉座を揺るがしかねないスキャンダルは、『国王が元妻を夫から取りもどすべく、美女を使ってはたらきかけた』という小さな事実からはじまった。

 そして娯楽のすくない秋の王都で、噂は野火のように広がっていった。竜騎手たちが領地に帰省していたために城下に目が届きにくかったことも一因だろう。囲っていた寵姫たちに王が急に暇を出したことや、つい先ごろ起こったばかりの首飾り事件も、格好の材料となった。

 有名な黒竜王アルナスルの悲劇とおなじ構図ということもあって、庶民たちもこぞって噂を話題にあげた。酒場では男たちが下世話な推測を披露し、庶民向けのあけすけな芝居ではこの十年にわたる国王と元王妃と元英雄の三角関係が面白おかしく演出されはじめる。庶民が喜ぶ筋書きでは、先に愛をはぐくんでいたのはフィルとリアナであり、弟の妻に横恋慕した王がリアナを無理やり王妃とした――そんなメロドラマがもてはやされた。しだいに、フィルバートが西部にいることについても、『国王は政情不安定な地域に現夫を追いやろうとしている』と尾ひれがつくようになっていった。



 ♢♦♢ ――デイミオン――


 工作の失敗が王の耳に入ってから半月後。すでに城下での噂も、城勤めの多くが知るようになり、王の前では態度に出すまいとむなしい努力をしているらしい。

 その日の天空竜舎は、異様な緊張に包まれていた。

 強い風が下生えの草をちぎり、うずまく流れにのせて巻きあげていた。いくつもの大きな〈呼ばい〉に取り囲まれて、デイミオンは虚空をにらみつける。日がな昼寝ばかりしているアーダルも、見知らぬ気配に目を覚ましたらしい。背後でのそりと首をもちあげた。


 ある重要人物たちの訪れを待ち構えていた。かれらは簡単に領地を離れられないため、南部大公のように〈呼ばい〉を使い、化身であらわれるはずだった。


 エサル公の化身はみごとな鷹だが、集まってきたのは伝令竜バードとは言いがたい異形の竜たちだった。

 小型の飛竜に似ているが、頭部が溶岩のように燃えているもの。泡立つウミウシのような光輝くもの。大きさのちがう眼球の寄せ集めに触手が生えたようなもの。言いあらわすのも難しい生物がギチギチ、シューシューと異形の鳴き声をたてて天空竜舎の上空に停止した。いったいこの姿かたちでどうやって飛行するのかと不思議になるが、飛竜よりもはるかに早く、また粘りづよく飛ぶと言われている。過酷な辺境を生きる原始竜たちだ。


 東部領は王国のほぼ東半分を占め、もっとも広大な版図を持つ。その大部分は、原始竜が棲む荒野である。エクハリトス家のなりたちは、そもそも東夷とうい(東から来る異形のものたち)を討ち国土を広げた王にはじまっている。そしてかの家はいまでも、異形のものたちから王国を守る役割をになっている。

 その、極東の戦士たち。『防人さきもりの王』と言われるタムノールの側近たちがやってきた。

 州都に姿を見せることさえめずらしい年長の戦士たちだ。前に王城に姿をあらわしたのは、すくなくとも百年は前のことだろうと思われる。北部の三老人たちほどではないはずだがかなりの高齢で、現代の常識については聞く耳持たない。


〔この不名誉をなんとする、デイミオン〕

 小型竜を通して、戦士の〈呼ばい〉が響いた。

伴侶つがいを〈ハートレス〉などに奪われたあげく、奸計かんけいを用いて取りもどそうとするとは〕

州都シグナイまでえた匂いが届いたぞ〕

〔〈血の呼ばい〉で選ばれたわれらの王が、このようなていたらく〕また別の声。

〔嘆かわしい〕

〔じつに嘆かわしいぞ、デイミオン〕これもまた別の声。

〔タムノールの勇猛さがあれば、姦通した妃を斬って捨てておったろうに。イスタリオンの悪い性質が受けがれたな〕

 男たちの名前を出され、デイミオンは眉を寄せた。極東公タムノールはかれの高祖父にあたるのだ。一度も顔を見たことはないが、エクハリトス家の顔をした美しい壮年の戦士だという。

〔あるいは雄竜らしく間男を斬り捨てるならば、われわれも文句は言わん。しかし、おまえのやっていることは間男そのものじゃないか〕これは最初の声。

 悪夢のなかに出てくるような生物たちが、くちぐちにまくしたててくる。いくら異形の姿でも中身は親戚の老人たちなので、デイミオンはうんざりするだけで、恐ろしいとは思わなかった。


「胸を張ってやったおこないではありませんが、私にも愚行をおかす権利くらいある」

 デイミオンは腕組みをしたまま言った。「自分の伴侶つがいを取りもどしたいのです。そのためにやったこと。辺境のご老人に口を出されるいわれはない」


〔あきれた言い草〕

〔あの若造にも非がある。王の妻を盗ろうなどとはなんたる不届き〕

〔竜祖の加護なき悪童めが〕

〔〈ハートレス〉の子など、やはり育てさせるのではなかった。レヘリーンの惰弱さにはあきれる〕

〔それでも、三人も子をなしているのだから、功績はあるが〕


「弟や母についての話なら、かれらのところでやってもらえませんか」

 デイミオンはイライラと言った。フィルバートを憎たらしく思う気持ちは、なんら向こうと変わりないが、弟であり対等な男同士という前提をくつがえさせるつもりはない。そうでなければ、フィルを大事に思うリアナとのあいだにいっそう溝を深めるだけだ。


〔どうやって汚名をそそぐのだ?〕

〔エクハリトスの雄竜たるもの、未練がましい言いわけは聞きたくないぞ〕

〔われわれ防人さきもりの円卓会議で、おまえを家長から罷免ひめんすることも考えている〕

〔そうなれば、王の〈血の呼ばい〉も消失するのだぞ。いかにする〕

〔応じよ、デイミオン〕


 まったく……うるさいジジイどもだ。

 なんと言って追いはらったものか。いっそ焼き払ってやりたいと思ったわけではないが、主人の心を読んだようにアーダルが首をもたげ、威嚇も遠慮もなくゴオッと炎の息を吐いた。小鳥のように逃げまどう小型竜たちの姿に、すこしばかり溜飲が下がる。

 久しぶりに炎を出したアーダルは、ゲフッと満足げな息を漏らして目を細めた。


〔われらを攻撃するのか! デイミオン!〕

「アーダルは、巣のなかで騒がれたくないだけですよ。私もおなじだ」

 デイミオンはそっけなく答えた。「警告は受けとりました。だが、あなたがたの権威で玉座に就いたわけではない。アルファメイルに挑戦するのなら、それなりの覚悟はもっていただきたい」


〔なんというやつだ、この恩知らずめ〕

〔懲罰はまぬがれぬぞ!〕

〔わが竜がここにいたら、おまえとアーダルなど炎の柱にしてくれる〕

おごれる黒竜王。覚悟しておけよ〕

〔おまえもいずれは、より強い若者にとって代わられるのだぞ〕


 小型竜たちはまだバタバタと暴れたりない様子だったが、デイミオンは「話は終わりです」と告げて踵をかえした。


「偏屈ジジイどもめ」そう小声で吐き捨てて、居住区へと戻っていく。怒りと恥辱をおぼえたのは、老人の小言よりもむしろ、ことが露見しておじけづいた自分自身に対してだった。

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