第48話 わがまま姫の帰還

「危ない!」

 覆いかぶさってきたのがデイミオンだということは、すぐにわかった。だが、状況が見えない。

「なに……」リアナは毛織ウール長衣ルクヴァの下でつぶやきかけた。皿が割れるような、高く金属的な音が響きわたる。リアナからは見えなかったが、破壊されたものは窓だった。


 相続候補者たちと五公、それに王が集まった大広間。その高い天井は術室とおなじく、ドーム状のガラス屋根となっている。ただ、術室のほうのドームと違ってこちらは採光のための小さなもので、色違いのガラスを寄せた見た目は薔薇窓ステンドグラスに近い。

 天頂には古竜が出入りするための天窓があるが、いまは閉じられ、周囲をその美しい薔薇窓が取り囲んでいる……はずだった。そこに、なにかが勢いよくぶつかってきた。鉄骨で補強しているわけでもない飾りガラスは衝撃で粉々にくだけ、ドーム下めがけて散っていく。 

 色とりどりの透明な破片が竜たちに降りそそぐ光景は、美しいとさえ言えた。――もちろん、鑑賞しているひまがある者などいなかったが。


 ガラスは黒竜の火でも蒸発しないと言われているので、その場にいたのがデイミオンたちだけなら破片をふせぐことはできなかっただろう。

 デイミオンが風を起こしていったん破片を巻きあげ、部屋のすみにむかって押しやった。地面に落ちた破片は、赤竜のライダーたちが集めて接着した。半透明のガラスが、子どもの粘土細工のような形になって転がる。……あとで聞いた話になるが、災害時むけの連携訓練が、意外な場所で役立ったらしい。


「なにが起きたの?」

「飛竜が一頭、窓をぶち破って落ちてきた」

 リアナの上から身体をどかしながら、デイミオンが説明してくれた。ふれあうほど近いので、かれの〈呼ばい〉が周囲を探っているのが感じとれる。敵襲の気配ではないが……。

「あそこだ。……誰か乗せているな」


 デイの言うとおり、大広間の中央……天窓の真下あたりに、褐色の飛竜が一頭、うずくまっている。鞍上あんじょうには人影が。

「ヴィク!」

 まっさきに声をあげたのは、グウィナ卿だった。「どうしたの、あなた、こんなところで!」

「あ、母さん」

 飛竜からよろよろと降りてきた青年がふり向いた。グウィナとおなじ、輝くような赤毛とアイスブルーの目。彼女の息子、ヴィクトリオン卿だ。

「あの天窓は、飛竜が入ってくるようにはできていないのよ! それを……なんということを……。ケガはないの?!」

「ああっ」

 ヴィクは、母親の叱責を聞いて別のことを思いだしたらしい。ふたたび背後を向くと、飛竜の首にすがりついた。「俺のロアリング・ダイナソー三世が! 無事か!?」

 褐色の、なかなか立派な体格の飛竜が「グォッ」と悲しげに鳴いた。翼と一体になった前肢をぶらぶらさせていて、そこが痛むらしい。傷は見えないが、打撲か、悪ければ骨くらい折れていても不思議ではない。


〔小さなトカゲ、痛かった〕

 真上から見守っていたレーデルルが、叱責しっせきするように「シュッ」という鼻息をたてた。〔巣立ったばかりの子、いたずら、そのような、ほんとうによくない。立派な羽ではない〕


「あっ、なんかわかんないけど、ルル怒ってんな」

 ハートレスのヴィクには、竜の言葉が聞こえない。だが、その剣幕でなんとなく意思は通じたらしい。

「飛竜をケガさせたから怒ってるのよ」

 腰に手をあてて、リアナも説教する口調になった。「『羽の抜け変わった、立派な成竜おとなのやることじゃない』ですって」

わりぃ悪ぃ」

 ヴィクは頭をかいた。「でも、いたずらじゃないんだよ。俺はちゃんと、飛竜用の発着場に降りるつもりだったんだ。それを、わがまま女が……」


「そうそう、わがまま女の話だったわ。無事でしょうね?」

 リアナはそう言って、飛竜のほうに近づいていく。と、ヴィクのほうがさきに手を貸して、鞍上あんじょうからもう一人が降りてきた。騎竜用のコートとズボン、ブーツという格好だが、女性のようだ。


 おお……。

 相続関係者――つまり、ニシュク家に近いものたちが、その姿にいっせいにどよめいた。

 ほっそりと小柄で銀髪、星を映したようにきらめく青い瞳。

 ヴィクにつきそわれて立っていた女性は、かれらにとって一種、崇拝にちかい敬意をいだかせる存在だったのだ。


 そんな自分の発する効果をよく知っているのだろう、銀髪の佳人はたおやかに歩いてきて、見るものをうっとりさせるような微笑みをうかべた。

「みなさん、お静かになさって。たいしたことではありませんから」


「たいしたことですわよ、ガラス窓をぶち破ってのご登場というのは」

 リアナは皮肉げに返した。「あなたのご実家だから、まあ、窓を壊そうと壁を燃やそうと自由だけど。……ヴィクトリオン卿?」


 リアナがうながすと、ヴィクは心得こころえたようにうなずいた。

「エンガス卿より〈血の呼ばい〉を受ける後継者、アスラン=アルテミス・ニシュク卿。上王リアナ陛下の命をうけ、私、ヴィクトリオン・トレバリクがお連れいたしました」


 やや離れたところで、五公やその候補者たちも予想外の来客に驚いていた。

「姫……」

 とひとことつぶやいてぼう然としているのは、アマトウだった。かれにとっては主君の娘なので、昔の呼び名が抜けないらしい。当人から長く連絡を受けていないのが見てとれた。

「変わった意匠いしょうの薔薇窓だったのに、残念だね」と、エピファニー。あいかわらず建築物が気になるらしい。

「アーシャ姫……あのわがまま姫ですか?」

 ドリューは半信半疑はんしんはんぎの様子だった。「ずいぶん、お変わりになりましたね。こう、髪を輪っかにってませんでした?」


「アーシャ姫! どうしてこんな危険な方法で入ってらっしゃったの!!」

 グウィナが血相を変えて怒った。「緊急着陸にしても、場所というものがあるでしょう?!」

「古竜用の天窓を開けてくれるよう、〈呼ばい〉で頼みましたのよ。まにあいませんでしたけど」アーシャは言わずもがなのことを言った。

「飛竜なんだから、前庭にでも着陸させたらよろしいでしょう!」

「だって、もたもたしてたら相続会議が終わってしまいますし……。それに、あの女の度肝どぎもを抜かないといけませんでしょ?」

 アーシャはかわいらしく首をかしげた。肩口で切りそろえた銀髪が、さらりと揺れる。貴族女性の尼削ぎセミロング姿はめずらしい。ましてこれほどの美貌の持ち主となれば、印象的だった。


「度肝どころか、内臓が全部出るところだったけどな」ヴィクがぼやいた。

「あの女って、どの女よ。まさか、このわたしのことじゃないでしょうね?」リアナもすかさずつっこむ。

 

「まあぁ、こわぁい」

 アーシャはレヘリーンそっくりの反応を返した。「わたくし、暴言には慣れていませんの。デイミオン陛下さまもごぞんじでしょ?」

 そのぶりっ子には腹立たしさをおぼえるが、リアナは勝者(?)の余裕で「ふん」と流してやることにした。どれほど不愉快な女であろうと、アスラン=アルテミス・ニシュクはリアナにとって他人であり、義理の母ではないだけマシだろうと思ったのだ。


 女たちのやりとりを黙って聞いていたデイミオンは、男らしく整った眉をひそめてため息をついた。「とにかく……みな無事だな? ケガ人はいないか?」


 ♢♦♢


 ありがたいことに、みな無事だった。

 五公と王は円卓にもどったものの、竜騎手たちの一部は片づけに追われていたし、子どもたちは急にあらわれた飛竜に気をとられて騒がしかった。

「僕、飛竜に乗りたい」

「僕も」

えさをやっていい?」

 アマトウとハズリーの息子たち、それ以外にも数名の男児たちが、そわそわと飛竜のまわりに集まった。

「その前に、竜医師に見せてやらないと」

 ヴィクが飛竜の首を撫でて言った。「ガキどもも見にくるか?」

 すっかり退屈していたらしい子どもたちは「わっ」と声をあげてよろこび、大人たちも顔を見あわせた。


「サフィールの相続も終わったから、子どもたちはもういいでしょう」

 グウィナは親たちにうなずきかけてやった。「ヴィク、めんどうを見てやってくれる?」

「はいはい」

 ヴィクが引率いんそつして、子どもたちは大広間から出ていった。あれくらいの年齢だった頃もあるのに、すっかり頼もしい。リアナも目を細めて見おくった。


 子どもたちがいなくなると、場にようやく厳粛げんしゅくさが戻ってきた。エサルによって会が再開される。


「その……リアナ陛下。あなたが呼んだお客人というのは、アスラン卿のことだったのか?」

 かれはもっともなことを尋ねた。「いったいなぜ、彼女をお呼びもどしになったんだ? しかも、今日のこの場に。経緯を説明してはくださらないか」

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