第15話 離れられないよ

 フィルは顎を手にあて、イディスの背後にならぶ兵士たちの顔を眺めた。髪を南部風に短く整えていることが、しいていえば特徴かもしれないが、あとはごく平均的な竜族男性というところ。

「なにか、見おぼえが……うーん?」

 兵士たちはフィルの答えを期待するかのように、そわそわと身じろぎした。だが、かれはあっさりと答えを放棄ほうきした。

「……だめだ。思いだせない」

 思いだせないというよりは、単に記憶を呼び起こすのを面倒くさがっただけだが、その言葉は兵士たちをおおいに失望させたらしかった。

「そんなぁ」誰からともなくつぶやきがもれる。


「あなたは戦った相手の顔を忘れちゃうの、フィル?」

 リアナが面白がってからかった。

「うーん、そうかも」フィルは自信なさそうな様子になる。「まあまあ数が多いから。キャンピオンのことも忘れてたし……」

「『まあまあ多い』などとは、ご謙遜けんそんを」

 指揮官となったイーディスがにこにこと話しかける。「救国の英雄、フィルバート殿が敵地をけば、そこはつねに屍山血河しざんけつが。かように恐れられておりますのに」

「おおげさだなぁ」


 二人のやりとりに、リアナはころころと笑った。

「ほら、デイとあなたが、わたしを里から見つけて王都に連れていってくれたとき。途中でデイとわたしが西の森に落ちちゃったでしょ。そこで野盗につかまって」

「そうだったね。……あぁ、あのときの野盗か。デイから身代金を取ろうとした……」

 フィルはぼんやりと思いだした。

「そう。助命嘆願を聞き届けるかわりに、軍に入るということでね。南部できたえ直してもらったの」


「どうして、命を狙ってきた相手をふところに入れてしまうのかなぁ、あなたは」

 フィルはため息をついた。「こんな有象無象じゃなくても、兵士はいるのに……」


「発想を転換するべきよ」リアナは意気揚々としている。

「命を狙ってきたということは、わたしに借りがあるということ。エサル公もしかりよ。今後はせいぜい、その借りを返してもらうつもりよ」

「まさに、王たるものの着眼でございます、閣下」

 イディスが深くうなずきながら追随ついずいした。「武術大会で私にお声がけくださったときも、まさにこのように威風堂々としておられました」


「あんまり焚きつけないでほしいなぁ」フィルはこっそりとつぶやいた。


「あなたたちには、さっそく西部での後方支援に入ってもらうわよ。バリンデス隊長の指示によく従ってね」

 リアナの声かけに、居並ぶ兵士たちは敬礼とともに「はい閣下!」と答えた。


「なにか……ずいぶん聞きわけがよくなったのね。野犬の群れみたいな連中だったと思うけど」

 自分で声をかけておきながら、リアナは半信半疑だったらしい。不気味そうに、かつて自分をとらえた野盗どもを見まわしている。

「あなたの指導のたまものかしら?」

「ははは。指導などと、そのような大層なものでは」

 イディスは快活に説明した。「ただ同じ釜の飯を食い、訓練ともなれば朝から晩まで穴を掘っては埋め掘っては埋めした仲でございます。しだいに、やつらにも部隊の成員としての自覚と絆がめざめたのでございましょう」

 目を細めて兵士たちを見る姿は、犬の調教師のような慈愛に満ちていた。


「わりと、拳で言うことを聞かせるタイプですけどね。イディスさんは」

 シジュンがこっそりと打ち明け、フィルはさもありなんとうなずいた。まあ、よその隊のことに口をはさむつもりはないけど。


「イディスは立派な隊長でしょう? ちまたでは、『あかつきのイディス』なんて呼ばれているらしいわね」

「はい閣下!」

 かつては……そう、ジェムと呼ばれていた野盗どもの頭領が、きびきびと答えた。ざんばらだった長髪も短く整えられ、かつての優男の雰囲気はみじんもない。

「南部では、『空トカゲ六頭殺し』とも呼ばれ、畏怖いふされておいでです、閣下!!」

「声がでかい」フィルは顔をしかめる。「静かにしゃべってくれ。ローズが目を覚ます」


「まあ! わたしと似てるわね!」リアナは目を輝かせた。「わたしも昔は、『野ウサギ六匹殺しのリア』と村で恐れられたものだわ」

「もったいないお言葉です。陛下と似ているなど……」イディスは照れて真っ赤になっている。「竜とは比較にならぬ、小魚くらいの大きさしかないトカゲどもです」

 そう言って、岩のような手で「このくらい」を示して見せた。ちょうどウサギがおさまりそうな拳だ。


「そうなの? ジェム?」

「はっ。平均的なサイズで、およそ6フィート(180cm)ほどございます。閣下」

 ジェムが(声だけは小さくして)きびきび答えた。「その空トカゲを隊長は、まるでシシャモの頭をもぐように、ちぎっては投げちぎっては投げ……しておいででした……、閣下」

「えっ、こわっ」シジュンが正直な感想をのべた。「素手で?」

「まあ」

「ジェムめ、大げさなことを。……やつらも弓矢で弱っておりましたから。運が良かったのでございます」

「立派に鍛錬したのね。頼もしいわ」リアナはうなずいた。


 そのようになごやかに(?)隊士たちの紹介は進んでいった。

 のちにこの隊は、『暁のイディスとリアナの猟犬ども』と呼ばれる活躍をみせるが、それはまた西部とは別の場所、別の物語である。


 ♢♦♢ ――リアナ――


 イディスと隊士たちが今夜の宿に戻ると、夫妻は家令のレフタスとともに夕食をとった。リアナが準備してあった夕食を温めるあいだ、フィルとレフタスは居間で打ちあわせをしていた。……夕食の場では仕事の話はせず、所領でのちょっとしたニュースや、レフ自身の話を聞くことを楽しんだ。レフのみやげは、今年の品評会で優勝したという地元のチーズで、この時期だけは放浪者のリカルド卿も戻って審査にくわわるのだという。そうして、元領主のお墨付きをもらったチーズにはかれの名前が焼印されるのだ。……


 食後も歓談はつづいたが、ワインのせいか移動の疲れなのか、レフタスはソファで寝入ってしまった。静かな寝息が聞こえている。


「フィル」

 娘を着替えさせている夫の背中に向かって、リアナは声かけた。「昼の話だけど。……わたしの代わりに、隊を指揮してキーザインに行ってくれない?」


 フィルは着替えの手をとめてふり返った。「俺が?」


 リアナはうなずく。

「本当はわたしが直接、一緒に行って指示も出したかったんだけど。今の状況で、すぐには無理でしょ? 先にあなたが行ってくれていれば、心強いと思って」


 さらに、念押しにつづける。「キーザイン鉱山は王国のかなめよ。人間の国より圧倒的に少ない兵力で領境を保てるのは、竜騎手たちがいるから。そしてその力に、転身金属リヴォルブは欠かせない」


 フィルは即答しなかった。……娘をベビーベッドに抱きおろし、遠くを見るような目つきになった。

 ようやく口を開いたが、それはリアナの要請とはちがう内容だった。

「『この子は王になる』と……エリサ王があなたを俺に渡すとき、そう言っていた」


 唐突な昔話に、リアナは思わず目をまばたいた。「わたしが、いまのローズくらいのとき?」

「そう」

  言いながら、娘の綿毛のような髪を撫でる。最近は、ようやく夜もまとまって寝てくれるようになった。……それはともかく、フィルがこういう昔話をするのは、めずらしい。

 自分の妻が赤ん坊だったころを知っているのって、どういう気分なのかしら。リアナはたまに不思議な気持ちになる。


「実際、エリサ王の言葉のとおりになった。あなたは今でも王なんだね。デイミオンとともに、この国を守ろうとしている」

 フィルの口調はいつもどおり平静で、褒めているのか、それとも暗に責めているのかはわからなかった。

 と、かれは近づいてきて、妻を軽く抱いた。そのままくるりと回転させ、壁にそっと背を押しつけられる。

「最初から……俺を行かせるつもりで、兵士を集めたね?」

 リアナの頬に指の背をあて、そう尋ねてくる。

「その可能性はあった」

 ハシバミ色の目を見ながら、彼女は正直に答えた。「でも……フィル、あなたが決めていいのよ。キーザインにはスタンもいるわ。かれに頼んでもいい」


「あなたは俺を甘やかすけど、責任は取ってくれないんだ」

 フィルはそう言って、彼女に頬をすり寄せた。「『竜騎手はひとびとの守護者となる義務を負う』。あなたは統率者だし、そういう男が好きなんだ」

 その言葉について考え、リアナはあいまいに首をかしげた。「そうなのかしら」

「そうだよ。……だからデイを選んだんだ」

 フィルの口調が、急に激しくなった。

「俺はデイとは違う。指揮官になりたかったわけじゃない。英雄と呼ばれたいと思ったこともない。ほかに誰もいなかっただけだ。俺しか生き残らなかっただけなんだ」

 ぎゅうと抱きすくめられ、リアナは目をとじた。

 王になることを選んだデイミオンと、英雄になりたくなかったフィル。こんなにも違う二人なのに、どうしてどちらにも惹かれてしまうのか、自分自身でもわからなかった。……だが、フィルの葛藤はわかった。元英雄としての役目を求められることに苦しんでいるのも。

「愛してるわ、フィル」

 広い背中を撫でおろしながら、そう言った。「あなたは英雄じゃなくていいのよ。今のままのあなたが好き」


 彼女を抱きしめたまま、フィルはしばらく黙っていたが、やがて「西部に行くよ」と言った。

「あなたがローズを連れてくるときには、全部終わらせておく」


 ムードからてっきり断られるかと思ったので、リアナは腕のなかでぱちぱちとまばたきをした。顔をあげると、フィルも腕をゆるめ、じっと見つめてくる。

「その……嫌なんじゃないかと思った。軍を率いるのが……」

「俺は軍人だよ。できることをやるのが嫌なわけじゃない」

 そう言って、彼女の手をくるむように握り、そこに口づけた。「でも不安なんだ。ちょっとでも目を離すと、そのすきにデイにあなたを奪われそうで」

「デイはそんなことしないわ」

 リアナは夫の勘違いがおかしかった。「倫理観とプライドの固まりなのよ。わたしの顔を見るのも嫌がってるくらいなのに」

「そんなはずない」

 フィルは言い張った。「現に今だって、事件の捜査にかこつけて、あなたを王都に引きとめてる」

「そ……」それはさすがに、ないだろう、と言いかけたが、リアナは一瞬考えてしまった。城にもろくに入れてくれないような元夫が、わたしを引きとめたがっている? ……まさかね。


「そばにいないと、安心できない」

 フィルはそう言って、彼女の服をずらし、肩口を甘く噛んだ。壁に押しつけられたままで身動きもとれず、されるがままだった。

「俺だって、あなた以外にはこんなに執着しない。デイだってそうだ。緑狂笛グリーンフルートより、どんな薬より、あなたに依存するほうがおそろしい」

 無骨な手がドレスをたくしあげ、太ももをまさぐってくる。フィルの息は、すでに興奮で荒くなっていた。「離れられないよ、リア。あなたが好きだ……今すぐ欲しい」


「フィル、待って」

 リアナは小さくあえいだ。「こんなところではだめよ。レフが……」

「寝室までもたないよ」フィルは彼女の手をつかみ、食堂の横の小さな貯蔵室パントリーに連れこんだ。

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