第16話 おまえが、どこにも見えないよりはいい


「退屈ねぇ」

 城内の一角、グウィナ卿がもつ豪華な応接室。明るく快適な部屋で、リアナは長卓テーブルに頬づえをつき、秋の日差しを浴びていた。部屋の主が不在のあいだ、彼女の好意で使わせてもらっているのだ。


 竜騎手たちは繁殖期シーズンを終え、領地に戻る者が多くなった。リアナをイビっていた若手の団員、ニールンとシディウスはまだ(下っ端なので)団内にとどまっていたが、なぜかリアナを見るとおびえたように逃げだしてしまう。幼稚な嫌がらせに遭わずにすんだのは助かったが、正直、拍子抜けしてしまう。


 騎手団での業務も少なくなり、リアナは空いた時間をもてあましていた。

 もちろん用事があるから登城しているのであって、なにもしていないわけではないが、書類の確認ばかりというのは気が滅入る。

 

「白竜卿は余裕がおありになる。城内では、例の首飾りの犯人探しにやっきになっているというのにな」

 嫌味な口調で返してきたのは、南部領主のエサル公である。「うわさでは、寵姫をおとしいれるためのあなたの策略さくりゃくだとか」

 二人は大きな長卓をはさんで、向かいあっていた。その前には書類と、巻物、書籍がいっしょになって置かれている。リアナとエサル公は、南部に設置されたアカデミーの運営について協議中だった。責任者のひとりエピファニーもいるが、窓際のソファにすっぽりおさまって読書中。隣に、かれ自身とほとんど変わらないサイズになった仔竜ゴールディがうたた寝している。


「まーっ、失礼ね」

 リアナは憤慨ふんがいした。「そんな陰険なことしないわよ。首飾りが欲しかったら、城を出るときに持って行ってるわ。だいたい、そんなことでデイの恨みを積み増したくない」

「ま、そうだろうが」

 エサルはあっさりと引き下がる。「そう思っているやからもいるということだ。注意めされることだな」


「そうなのよね」リアナは嘆息した。「デイにも疑われてるみたいだし」

 最近のデイミオンは、まるで彼女を監視するのが仕事だとでもいうように、城内のどこにでもあらわれた。

 フィルは、『事件の捜査にかこつけて、あなたを王都に引きとめてる』と言ったが……そんなことがあるのだろうか。親のかたきのようににらまれている気がするが……。


 思案するリアナを、エサルはにやにやと薄笑いで観察していたが、「それより」と声かけた。

「暇だというなら、茶でもれていただこうか? 年長者をうやまう心を持ちあわせておられればの話だが」

「あいかわらずひと言多くていらっしゃるわね、エサル公」

 文句を言いつつも、リアナは立ちあがった。

 テーブルの脇にはティーワゴンが置いてある。紅茶好きのエサルのために用意されていたもので、いつもは彼みずからきょうすることが多い。使用人でなくわざわざ彼女に命じたのは、ふだんの意趣返いしゅがえしというつもりなのだろう。やらせておいて、やれ湯の温度がどうだ、蒸らしがどうだと因縁いんねんをつけるにちがいない。


 ――そのつもりなら受けてたとうじゃないの。

 リアナは茶の準備をはじめた。暖炉横にかけてある薬缶ヤカンに、竜術で水をそそぎ、熱する。 

「湯くらい持ってこさせればいいのでは?」案の定、エサルが口をはさんでくる。

「これも訓練よ。最近どうも、カンがなまっている気がするわ」

「白竜術の?」

「そう。天候予知もはずすし」

「頼りないことだな。いま、王都の天候に責任があるのは貴公だぞ」

「わかってるわよ。だからこうやって訓練してるんじゃないの。……お湯は沸かしすぎないほうがいいのよね?」


 湯気のたつケトルを鍋敷きでつかみ、ポットにそそぎかけたときだった。 

「入るぞ」

 ガチャッ、と急にドアが開き、リアナの注意が湯からそれた。


「あつっ」

 ポットからはねた湯が指にかかってしまった。ケトルを取り落とすほどではなかったが、思わず声が出た。

「なにをやっているんだ……」エサルがあきれたように言い、鍋敷きごとケトルを取りあげる。


「デイが急に入ってくるからよ」

 リアナは不注意を元夫に責任転嫁した。そのデイミオンはといえば、なぜか急に入ってきて、びっくりした様子で彼女の手もとを見ている。手を伸ばし、なにか口を開きかけたが、エサルのほうが早かった。

「うちの息子より術制御が下手でおられる。どれ、手を見せなさい」

 リアナが言われたとおりにすると、新しいナプキンを指の下に沿えた。「ほら、流水を出して冷やす。私にかけないでくださいよ」

「うーん」

 床が濡れるので、バルコニーに出て指を冷やした。外気ははっとするほど冷たく、水を出さずとも十分な気もする。……レーデルルの弾むような気配とともに、どこからともなく水があふれ、肘をつたって地面に落ちていく。術の制御自体はうまくいっているようだ。ではなぜ天候予知だけが外れるのか……。リアナは首をひねった。


 湯がかかったところは赤くなっていて、さわるとひりっとした。室内に戻ると、すでにエサルが茶を淹れて王にふるまっているところだった。エピファニーも起きてきて、ちゃっかりと茶をもらっている。


「まったく世話の焼ける。フラニーの爪の垢を煎じて飲んだらいかがか」エサルがさっそくの嫌味を言う。

「そうやって、よその子と比べてばっかりいると、我が子にも嫌われるわよ」

「心配していただかずとも、うちの子たちは優秀だ」

「口ばっかり出して、家でさぞかしうっとうしがられてるでしょうね、想像できるわ」

 言いあっていると、なぜかデイミオンの視線を感じた。

(……なに?)

 元夫とはいえ、いまは王と臣下の関係だから、エサルの前でぶしつけに尋ねるのははばかられるが……


「それで……陛下。ご用向きをお伺いしましょうか?」

 リアナの代弁というわけではないだろうが、エサルが問う。デイミオンは手にもったカップを口に運ぶでもなく、立ったまま、「いや……グウィナに会いに来ただけだ」と言った。


「ほう。黒竜将軍なら、王都の外に出張なさっていたと思いますが」

「……」

「……」

 エサルとデイミオンはそろって黙りこみ、リアナは両者を交互に見あげていぶかしんだ。


「ん? なに? 変な空気だね」空気を読むということをしないエピファニーが、あっさりと沈黙を破る。

「リアナに会いに来たなら、素直にそう言えばいいのに」


「貴殿は……まあいい」

 エサルがあきれたように首をふった。「そろそろまとめに入ろう」 

 紅竜大公のその態度には、『なにがあっても、もうこの元夫婦のことには首を突っこむまい』という固い決意のようなものが感じとれた。


 ♢♦♢


 今日はローズを連れてきていないので、エサルとの打ち合わせが終わったらすぐに帰宅する予定だった。それで、最後に愛竜の顔を見ていくことにする。天空竜舎への入口は数か所あり、かつては王の居住区から直接上がる階段を使っていたが、今では飼育人たち用の通路を使っている。飼料や資材を運びこむために、城の外部を通るルート。これはこれで、開放感があっていいとリアナは負け惜しんでいる。


 白竜レーデルルは夫とともに日向ぼっこをしていたが、主人ライダーがやってくるとすんなりした優美な首をもたげた。


〔熱い水、熱かった。気を付けなくては〕

 先ほどの出来事を、優しくいさめられる。

「本当にね」

 リアナは笑った。「お母さんになったんだから、あなたみたいに、しっかりしなくちゃね」

〔そう〕

 ルルは首肯して、うっとりするほど美しい虹色の瞳をまばたかせた。〔羽毛の仔は?〕

「ああ……ローズなら、今日は連れてきていないわ。だからもう巣に帰るの」

〔身体をきれいに舐めてあげて。魚はやわらかくして〕

「そうするわ。ありがとう」

 愛竜の育児アドバイスを翻訳すれば、「お風呂に入れて、離乳食をあげてね」となるだろうか。古竜のメスは育児に熱心でない個体が多いなか、レーデルルはめずらしく愛情深いタイプだった。


 どうしても優先順位の最初が娘になってしまうが、ルルも大切な相棒であることに変わりはない。飼育人に頼んで世話を交代させてもらい、寝ワラを替えたり便のチェックをしたりしていると、見慣れた長身に気がついた。


「デイミオン」

「……」

 元夫はあいさつをするでもなく、むっつりと無言のまま、竜の世話をするリアナを見ている。


「そこに糞が残っているぞ」

「わかってるわよ。姑みたいな指摘ね。それとも、エサルみたいって言うべきかしら?」

 リアナはあきれ声で返した。もっとも、エサルはともかく、義母レヘリーンは掃除にうるさいタイプではないけれど。

 デイミオンだってそういうタイプではない。単に、リアナに嫌味が言いたいだけなのだろう。


 それにしても……

 フィルの言葉をそのまま信じているわけではないが、彼女の行くさき行くさきにデイミオンがあらわれるのは事実だった。さっきだって、グウィナの顔を見に来たわけではないらしいし。

 それでいて、苦虫を噛み潰したような顔をしているのだから、意味がわからない。

「文句があるなら、どうしてずっと着いてくるの?」


 すぐさま、鬼のような反論が来るかと思ったが、デイミオンはやはり黙っていた。本当に、彼らしくない。デイミオン・エクハリトスは大声でしゃべり、足音など気にせず大股に歩き、言いたいことはなんであれ率直に言う。そういう男だと今まで思ってきたが、違うのだろうか。

 リアナが黙って答えを待っていると、デイミオンは子どものようにそっぽを向き、ぼそぼそと言った。

「文句はあっても……おまえが、視界のどこにも見えないよりはいい」


「それって……」

 わたしを見ていたいっていうこと?

 それとも、監視しておきたい理由でもあるの?

 そう聞くつもりで口を開いたが、デイミオンの複雑そうな顔を見ると、言えなかった。


 なにかもっと別のことを話そうとしたものの、元夫は怒ったように「今日はもういい」と言い、踵をかえして居住区のほうへ去っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る