第17話 眠りたくないんだ

 ♢♦♢ ――デイミオン――


 早朝。

 ひとり寝台ベッドから身を起こしたデイミオンは、盗難事件についてつらつらと考えていた。ハダルクが朝の報告に訪れるときに、ともに情報を整理するつもりだ。


 いくつもの不注意が、窃盗犯にとっての好機となった。シーズンが終わってゆるんでいた警戒。管理者である副家令の短い不在。そしてなにより、宝飾品の取り扱いにおいてまったく素人だった、愛人ニービュラの存在がある。偶然にしてはできすぎている……と考えるべきだろうか?


(まあ、ニービュラを愛人と呼ぶのは、難しいかもしれないな)

 デイは皮肉げに口もとをゆがめ、ベッドに散らばる美女たちの異なった髪色を眺め下ろした。金髪、金茶、鳶色に銀色。だがそのなかにニービュラの金糸はない。彼女は、この寝室に足を踏みいれたことすらない。


 警備の薄い歌劇の場に貴重な首飾りをつけ、結果として盗難にった。ニービュラはその当事者として、責任を追及されていた。

 首飾りをつけたのは、当人によれば、『デイミオン陛下のご指示』だったらしい。それを彼女に伝えたという小姓の名前や顔を、ニービュラは記憶していなかった。ちょうど管理者の副家令も不在だったときで、王の居住区に出入りできる彼女は、何も疑わず指示どおり首飾りを持ち出して着用したとのことだった。

 もちろん、そんな指示は出していない。

 ニービュラの虚言か、あるいは盗難を計画した者に利用されたかの、どちらかだろう。

「せめて、小姓の顔でも覚えていればな……」

 思わず、つぶやきが漏れる。そうすれば、小姓のお仕着せを着ただけの部外者の可能性を除外できるのだが。

「リアナなら……」

 彼女なら、新顔の使用人たちでも即座に名前を言い当てただろう。デイミオン付の使用人でなければ、疑いをもって接しただろうし、たとえ彼本人から言われていても、家宝の宝飾品の持ち出しには慎重になったはずである。

 ……それは自然な思いだったが、つい前妻のことを考えてしまい、デイミオンは腹立たしくなった。

(どうして、たった一人の女のことを、こうめそめそと思い悩んでいるんだ? 雄竜らしくない)



 侍従が来客を告げて、ちょうどそのニービュラが面会を求めているとのことだった。デイミオンは許可を与えようとしてすこしばかり考え、長衣ルクヴァを羽織って書斎のほうへ向かった。


「今回は、私の不手際ふてぎわで申し訳もございません」

 すっかりしょげきった金髪の美女が、深々と頭を下げた。

「いろいろ、不注意が重なった。おまえだけの責任じゃない」

 デイミオンは優しく声をかけてやった。……百戦錬磨の寵姫たちのなかに、世慣れしていない女が一人混ざっていれば格好のカモと思われただろう。油断をまねいたのは自分の判断であり、彼女ではない。そういう意味だった。


 ニービュラは質素なドレス姿で、足もとには大きなカバンを置き、旅装のように見えた。

「その格好は?」

 デイミオンが尋ねると、「その……しばらく、王都内で謹慎きんしんしようと思います。弟と姉の家で……」と言った。

 さらに、言いづらそうに付けくわえる。「もともと、陛下のお世話という役目も、十分にはいたせておりませんでしたし」


「そうか」

 『お世話』というのが夜伽よとぎのことを指すなら、たしかに、そのとおりだった。「好きにするがいい。騎手団には話を通しておこう」

 デイミオンは快諾かいだくした。この美女にとって、城は居心地のいい場所ではなかったのだろう。


 が、ニービュラはなぜか急に恨みがましい口調になった。

「引きとめてくださらないんですか。陛下がお声がけくださったから、ここまで着いてきたのに」

 そう問い返されるとは思わず、デイミオンは目をまばたいた。

「たしかに、『王都に来るか?』とは聞いたな」

「そうです」

 ニービュラが念を押す。「あのとき、わが領地で……リアナさまが去って行かれたあと、城にお戻りになる陛下を、私はお慰めしたくて……」


 デイミオンは腕ぐみしたままうなずいた。「ああ」

 あのときはずいぶん気が弱っていたし、彼女の言葉に慰められたのは事実だった。リアナもこんなふうに従順に、かれの気持ちだけをんでくれれば。……だが、それはもう別の女性であって、リアナではないのだろう。

(なんで俺は、またあの女のことを考えているんだ)


 眠っていないせいもあり、デイミオンはしだいにイライラしはじめてきた。

「陛下は、私を求めてくださったんじゃないんですか? ありのままの私を……」

 切々と訴えかけてくる女性に、どうしたものかと思う。


「ニービュラ。俺がつぎにどんな女を伴侶はんりょにするかはわからないが、少なくとも使用人の顔を覚えたり身の回りを管理するくらいの器量は求めている。それを達成しようという気概きがいがおまえにあるなら残ればいいし、もちろん去るのも自由だ」

 それは、デイミオンにしてみればずいぶん優しいもの言いだったのだが、ニービュラは頬をはたかれたような顔をした。鞄をひっつかんで足早に退室する背中を目で追って、王は深く嘆息した。


 ♢♦♢ ――ロール――


 竜騎手ロールの自宅に、ニービュラが駆けこんできたのはその直後のことだった。出勤の準備をしていたロールは、双子の姉の姿に驚いてパンを取り落としそうになった。

 鞄を放り投げ、二人がけの小さな食卓にがたん!と音を立てて着席する。驚くロールの目の前で、姉は「陛下のお気持ちがわからない」とさめざめと泣きだした。


「おい、朝からやめてくれよ」

 パンをかじりつつ長衣ルクヴァのボタンを留めていく。姉は嗚咽おえつしながら、食卓用のリネンで鼻をかみ、おまけにパンを勝手にむさぼりはじめた。

 泣きながら食べるのは姉の子どもの頃の十八番おはこだったが、成人をとっくに過ぎた節年齢としになっても、まだやっているとは。


 そうこうしているうちに、いてもいないのに勝手に経緯をしゃべりはじめた。首飾り事件の容疑者として扱われ、すっかり落ち込んでいたこと。デイミオン王は変わらず優しいが、他の美姫たちのように床をともにしていない自分がかれの側にいていいのかと悩んでいたこと。それでも、離れると告げれば引きとめてもらえるのではと期待していたこと――


?」

 まったくの初耳だ。ロールは思わず聞き返した。「じゃ、デイミオン陛下の寵姫という話は、なんだったんだ?」


「それは……『おまえの気が向いたときでいい』って、陛下が言ってくださって……なんとなくそのままに……」

「気が向いたときでいいって……おまえ、それを鵜呑うのみにしてたのか?」

「陛下は、私の気持ちが固まるのを待ってくださっているものだとばかり思ってたの」

「そりゃ、ほかにあれだけ女性をはべらせていれば、いくらでも待てるだろ」

 ロールは「ハァ」とため息をついた。ニービュラには昔から、こういう夢見がちなところがある。一方で妙に潔癖なところもあって、ロールとはまた違った理由で、繁殖期シーズンの失敗を重ねていた。それにしても、夜伽もなしの寵姫とは、王も酔狂なことをする。


「あんな経験豊富な王がおまえをお求めになるなんて、おかしいと思っていたんだが、これで得心がいった。……おまえ、処女だものな」

 弟の言葉に、ニービュラはとした顔になった。

「馬鹿にしないでよ。あなただってそうでしょ」

「私はちがうよ」ロールは穏やかに答えた。


「ええと……ロールは、その、経験があるってこと?」

 涙が引っ込んでしまったという顔で、ニービュラが確認する。

「ああ」

「知らなかった。相手は誰なの?」

「おまえに言うつもりはない」

「なんでよ!」

「知る必要がないから。……じゃ、そろそろ出勤するよ」


 ロールとしては事実を述べたまでなのだが、ニービュラは怒りを噴出させた。

「どうして、そんなに冷たくていられるの?! 名家に養子に行ったから、私たちのことはもう、どうでもいいってこと?!」


 ニービュラの短気は通り雨のようなもので、適当になだめて収めることもできた。だが、ロールはふいに、事実を打ちあけようという気になった。なぜそんなことをしたのかはわからない。出勤前の、こんな早朝の、気持ちのいい秋晴れの日に。 


「私は同性愛者なんだ」かれはそう姉に告げた。「それが、おまえに言わなかった理由だよ」



 ♢♦♢ ――デイミオン――


 午前の執務のあと、侍医のドリューが診察に訪れた。執務机から移動して、カウチと一人がけソファとに対面して腰かける。彼女も五公の代理として多忙なはずだが、記憶を失っていたときからのよしみで、気軽にてくれる。


「日中、頭がすっきりしない。なにかいい栄養剤でもないか?」それが、デイミオンの相談だった。


「ふむ」

 淡青の診察衣姿、ソテツのようなツンツンした白髪の女医は、帳面を取りだして問診をはじめた。症状、頻度ひんど、時間帯。

「夜はお休みになっていますか?」

 そう尋ねられ、デイミオンは「いや、あまり」と答えた。


「では、まず不眠から取りのぞくべきでしょうね」

 そしてまた、ペン先をこつこつさせながら問診。「いつ頃から?」

「もとから、睡眠時間は少ないほうだが……悪化したのは、ここひと月ほどだ」


「リアナさまが登城するようになってからですね」

「それは……」

 無関係だ、と言おうとしたが、ドリューの指摘は当たっていた。


「なにかお気がかりなことでも? 前妻とのやりとりがストレスとか」

「そんな軟弱で、国王がつとまるか」

「正確なところをお答えいただかないと、処方につかえますが」

「……」

 問われたデイミオンは言葉に詰まった。この侍医の、歯に衣着きぬきせない話し方が気に入ってはいたが、今日はとりわけそれが胸に刺さる。

 こつ、こつ、こつ。ペン先で帳面をたたく音だけが部屋に響く。


 しばらくカウチのふちをいじって答えをごまかしていたものの、結局、あきらめてため息をついた。

「眠りたくないんだ」

 デイミオンはつぶやいた。「目が覚めた時、またあいつを忘れていたらどうする? あいつはもう、別の夫と子どもがいて、新しい生活がある。つがいとして築いてきたものはもう俺のなかにしかないのに、いま記憶をなくせばそれは永遠になくなるんだ」


 ペン先の音が止まった。

「陛下……」

 ドリューは薄墨色の目を驚きに見開いていた。「それが、美姫たちを集めておられる理由ですか? 夜通し起きているために?」

「いくらかはな」デイミオンはしぶしぶ認めた。


「記憶をなくされたことが、こんな形でご負担となっているとは思いませんでした」

 ドリューはペンを宙にさまよわせ、かける言葉を探しているように見えた。「とにかく、なにか眠れる方法をお探ししましょう。侍医として私にできることは、それくらいでしょう」


 慰めの言葉がないことに、デイミオンはひそかに安堵あんどした。アルファメイルとしての体面を保つことはかれにとって重要なことで、同情されるのは好きではなかったからだ。

「そうしてくれ。頼む」

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