第18話 近づく距離と、事件の手がかり


「処方を用意しましたよ」

 ドリューが声かけてきたのは、デイミオンが不眠の相談をしてから、二日とおかない昼のことだった。

 

 秘書官に二、三時間の休憩を申しつたえて、医師に向きなおる。不眠からの頭痛で注意も散漫さんまんになっており、ちょうど休憩のタイミングではあった。

「環境療法と言うのですかね、ちょっと趣向しゅこうを変えてみようと思いまして。お庭のほうへどうぞ」


「庭へ?」

 デイミオンはいぶかしみながらも、素直に女医のまねくほうへ歩いていった。居住区内の庭は広いとは言いがたいが、それでも掬星きくせい城のなかではもっとも贅沢に空間を使ったしつらえになっている。城の名物でもある、ティーカップ型の空中庭園が、バルコニーの先に続いていた。


「なかに入るのか?」

「いえ、ちょっとお待ちを」

 扉を押そうとしたデイミオンを、ドリューが引きとめる。「入る前に、ちょっと仕掛けが必要です」

「仕掛け?」

 ドリューが手にもった布を振ってみせた。「目隠しです」

「なんだ。仰々ぎょうぎょうしいな」

 おおよそ、なかで香でもかれているか、楽師でも待機させているのだろうとデイミオンは推測した。そういうたぐいのもので眠気を誘われたことはないのだが、今日のかれは頭痛がひどく、反論する気力をそがれていた。不眠に効果はなくとも、休息だけでもありがたい気分だった。

 言うとおりにすると、ドリューの満足げな「よろしい」という声が聞こえた。


「では、なかにお入りを。……いい忘れていましたが、〈呼ばい〉はお使いにならないでくださいね。の効果を弱めますので」

「〈呼ばい〉なしで目隠しで歩くのか? 面倒だな」

「私が先導しますから、肘にお捕まりください」

 庭園内は四阿あずまや程度の広さしかないし、つまずくようなものもなく、デイミオンはなんなくカウチにたどりついた。手をわせると、周囲にはクッションやケットの感触がある。


「ここで昼寝をしろということか」

 女医の意図を、そう理解した。「……まあいい、すこし休ませてもらうぞ」

「枕がありますので、ゆっくり頭を倒してくださいね。……そうそう」

 素直に頭を下ろすと、暖かく弾力のあるものに耳が触れた。「……ん? 枕か?」

 不審を感じたデイミオンは、思わず頭の下にあるものに手を触れた。柔らかいが、羽根枕ではない。

 触れられたことに驚いたのか、手の下でびくっと動いた。

「おい、ドリュー、まさかおまえの膝じゃないだろうな??」

「ははは、まさか。いくら治療でも、それはご免こうむりますな」

 ドリューは笑って否定した。「陛下の寵姫ちょうきのおひとりに、膝を貸していただいてるんですよ。どうです、男のロマンでしょう」

「そうか?」

 膝枕がロマンかと言われると、デイミオンには半信半疑ではある。「寝づらくないか?」

「まあ、そうおっしゃらず、だまされたと思って」

 女性の膝枕が、不眠に効用があるとは聞いたことがない。

「別に構わんが……」反論する気力もうせ、デイミオンは首から力を抜いて頭をあずけた。「おい、誰か知らんが、しばらく借りるぞ」


 投げやりな宣言に、頭上からと小さな笑い声が漏れたような気がした。だが、誰何すいかするのも面倒だ。不安定な膝のうえでなんとかくつろげそうな体勢を模索する。

 膝なんて、ちっとも枕には向いてない。よほど太った女ならともかく、厚みもないただの足じゃないか。たしかに肉の柔らかさは感じ取れるし、女性特有の甘い匂いも――……

 そこまで考えて、デイミオンは目隠しの下、かっと目を見開いた。

「膝から妻の匂いがする」


「そうですか? 気のせいでは?」

 ドリューは楽しそうに言う。「若い女性の匂いは似ていますよ。ダマスクローズに、桃に、乳の混じった匂い」


「なぜリアナがこんなところにいるんだ?」

「嫌だなあ、違うと申し上げたじゃないですか。そんなに、元奥さまの匂いに自信がおありですか」

「つがいの匂いはほかの女とは違うんだ。俺はごまかされないぞ」

「そうですか。困りましたね。じゃあ、お膝の女性には替わっていただきましょうか?」

 ドリューと言いあっているあいだも、膝の持ち主は黙ったままだ。


「嫌だ」

 デイミオンは膝にしがみついた。「この膝がいい」


 ドリューはからからと笑った。「ご随意ずいいに。ただし、目隠しは外してはダメですよ」


 間違いなくリアナだと思うが、こんなところでドリューの酔狂につきあうなど、彼女らしくない気がする。それとも、自分の体調を気にかけてくれてはいるのか。だとしたらなぜ彼女は……。


 あれこれと思い悩んでいると、ぽんぽんと軽く頭をはたかれた。子どもをあやすような手つきに、怒りと気恥ずかしさが混じったようなおかしな感情になる。

(こんなことは……リアナはやらないと思うが……)

 手を握ろうとすると、「おさわりは禁止です」とドリューの注意が飛んだ。なんなんだ、それは。


 頬の下に、まちがいなく元妻の肌の感触を感じる。薄手の服にもおぼえがある。これは、秋口によく彼女が着ている普段着だ。たしか、彼女の好きな灰がかった青緑ティールのウール……。

 とんとんと叩いてくる手の感触が気持ちよく、しだいにうつらうつらしてくる。長く嗅ぎなれた伴侶つがいの匂いに、やすらぎだけを感じる。ほかのどんな場所にもない、これこそが自分の居場所と感じられる匂いだ。


「眠りたくない」

 安堵感に包まれながらも、デイミオンはなおも抵抗した。「目が覚めて、夢だったかと思うのは嫌だ」



 ♢♦♢ ――リアナ――


「眠ったわ」

 規則的な寝息を確認して、リアナはほっと息をついた。膝のうえの頭は重く、温かい。黒髪は水気をふくんだようなツヤがあって、触ると気持ちよかった。耳に触れると、起きてしまうだろうか。


「お見事です」

 ドリューが小さな声で称賛した。「ご協力に感謝しますよ、リアナ卿」

「それは……わたしにできることだったら、もちろん手を貸すわ。ほかならぬデイのことだもの」


 結局――

 デイミオンは最後まで「眠りたくない」と粘っていたが、やがて眠りに落ちた。寝つかない娘できたえられているから、寝かしつけるのはお手のものだ。その様子に、リアナは不思議な気持ちになる。

「フィルも夜、眠れないことがたまにあるわ。似ていない兄弟だとよく言われるけど、意外なところが似ているのよね」


「フィルバート卿もですか」ドリューは苦笑した。「それなら、あなたがお二人いれば解決しそうですが、そうもいかないんでしょうね」

「……」

 女医の言葉に、リアナは考えこんだ。

「デイもこういうふうにわたしを必要としているとは、思わなかった」

 黒髪を指できつつ、しんみりと言う。「あまり弱さを見せない人だから」


「自覚していなかったのは、陛下もおなじでしょう。タマリスの外輪山より高いプライドをお持ちですからね」

 ドリューは診察衣のかくしに金属製のペンをしまった。


「だけど、こんなことに効果があるのかしら? ちょっと昼寝をしたくらいで、不眠は解消されないでしょ?」

「あれでいいんですよ。陛下には、自分自身の欲求から目をそらさずにいてもらう必要があったのです。あれが治療です」

「よくわからないけど……」


「ただ、ようやく嵐が過ぎた水面に、また石を投げ込むことにはなるでしょうね。それは、謝罪しておきます。今のうちにね」

 ドリューは意味深なセリフを残して去って行った。



 ♢♦♢


 それから数日、デイミオンと直接顔を合わせることはなく、次に会ったのは訓練場だった。竜術の制御をハダルクに見てもらっていたところで、建物の柱に寄りかかって待つ姿を見つける。

 王を待たせるわけにはいかないので、訓練を適当に切りあげ、そちらに向かう。


 元夫はむっつりと不機嫌顔のまま、腕組みをして彼女の前に立っていた。訓練を中断されて腹を立ててもいい場面だったが、あの寝顔を見てしまっては難しかった。怒りよりも、かわいさがどうしても前に出てしまう。……頬がゆるみそうになるのをおさえて、リアナはまじめな顔を取りつくろった。


「ゼンデンの家を売ったらしいな」

 それが、デイミオンの第一声だった。どこか気まずそうにも見えるのは、元妻の膝枕で寝入ってしまったことを気恥ずかしく思っているせいに違いない。本人は絶対に認めないだろうが……。


「情報が早いわね」

「金が必要なら、なぜ俺に言わないんだ」

 フィルとおなじことを言うので、思わず笑ってしまう。

「なにがおかしい」

「違うの、ごめんなさい」リアナはまだ笑ったまま、つい彼の腕をたたいた。「お金が必要だったのは事実だけど、でも大丈夫」

 そして、簡単に経緯を説明した。数は少なくとも、私兵を動かすとなれば、王に話を通しておく必要もあるからだ。


 デイミオンは眉間に深くシワを刻んだまま、お説教する口調になった。

「自立心があるのはおまえの美点だが、身内にはもっと頼るべきだ。なんでも抱え込むと、かえって心配をかけることになるんだぞ」

「うん」リアナは素直にうなずく。

「首飾りのこともそうだ。せめていくつかなりとまともなものを持っていっていれば、妙な疑いをかけられずにすんだんだ」

「うん」

「グウィナの部屋にばかり入りびたって、用意した城内の部屋も、結局、使わずじまいにしているようだし」

「うん……うん?」

 リアナはうなずきかけて、顔をあげた。「城内の部屋? わたしの?」

「ほかになにがある?」

 デイミオンはけげんな顔をした。

「だって……。わたし用の部屋があるなんて、聞いてなかったわ。執務室もなかなか手配してもらえないし」

「そんなはずはないだろう」

「あなたの差配さはいでそうなってるのかと思って、我慢してたんだけど」

「そんなはずはないだろう」

 デイミオンはくり返した。「なぜすぐに、俺に言わないんだ?」


「だって……『この城におまえの居場所があると思うな』って、言ったじゃない」

「おまえにはないが、子どもの母親にはある」デイミオンは子どもじみた説明をする。


 あるはずなのに与えられなかった部屋。単なる連絡の行き違いだろうか?

「その……ちょっと、思ったことがあるんだけど」

 リアナは考えつつ言った。「わたしの部屋を手配してくれるよう、あなたの秘書官のベーレンに頼んだんだけど。『部屋がない』と通達してきたのは、別の秘書官なの。エクハリトス家から来た……ソリオと言ったかしら」

「……」

「ソリオはエクハリトス家の家臣だから、てっきり、あなたが直々に断ってきたんだと思って……」

 それを聞いていたデイミオンも、おなじく考える顔になった。

「……家の宝飾品を管理しているのも、副家令とソリオだ。どうやら……ネズミの尻尾を見つけたようだな」


 二人は口に出さずとも、おなじ結論に達したらしかった。熱く見つめあい、慌ててどちらともなく目をそらす。デイミオンはわざとらしく空咳をしてから、「あとは、共謀か単独か……だな」と言った。


「尋問するのはちょっと待って。いい考えを思いついたわ」

 リアナはさらに考えてから、言った。「首飾りも、取り戻せるかも」

 

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