第19話 虹色レフタス ①

 

♢♦♢ ――ソリオ――


 エクハリトス家は東部の大貴族であり、その使用人もまた非常に多い。ひとつの都市がまるまるこの家と関連の職業で占められているというほどで、当然ながら、いろいろな職位があり、さまざまな人物がいた。


 だからなかには、犯罪をもくろむ者もいる。最初から邪心をもってやってくる者もいれば、エクハリトス家の富を前につい魔がさしたという者もいる。秘書官のひとり、ソリオは後者だった。

 一年ほど前だったろうか、ヒュダリオンの妻の宝石に手をつけた女中がいた。さいわい闇に流れる前に取りもどしたのだが、そのときにソリオは交渉役をつとめ、の仕事をする宝石商と知りあうことになった。皮肉なことだが、このときに彼は『自分ならもっと、足がつかないように完璧に盗める』ということに気がついた。

 契機となったのは、やはり警備のゆるみと、リアナ王配の不在である。王の部屋に出入りする寵姫たちを見て、これは千載一遇の好機チャンスではとひらめいたのだ。

 副家令のドゥカスはまじめな男だが賭博とばくの悪癖があって、かなりの額を年金から前借している。計画を持ちかけると、すぐに乗ってきた。


 そして今、ソリオの手もとには〈ウォーターフォール〉がある。


 二人は宝石を金に換えるため、裏の宝石商の指定した屋敷に出向いたところだった。一介の商人にしては立派な門構えで、門の前には用心棒らしき〈ハートレス〉たちが数名うろついている。

 応接間に通され、しばらくして恰幅かっぷくの良い中年男が姿を現した。男は慇懃いんぎんに、毛皮商のコーリオと名乗った。


「宝石商のポランが顔をつないだと聞いたが……信用できるのか? そもそも、あきない違いでは?」ドゥカスがいぶかしむ。


「なに、商人同士のつながりですよ」

 コーリオはうさんくさい笑みを浮かべた。「宝石加工師をお探しでしょう。こちらで呼んでおきましたよ」

 手招く先には、もう一人の男が立っていた。濃灰色の長髪、痩せて気難しそうな、いかにも職人然とした中年男だ。商人は、ランテという加工師だと紹介した。

 鑑定用のレンズでじっくりと見分してから、加工師は「素晴らしい石だ」と請け合った。「いくつにでも分割して、お好みの形に仕立てなおしますよ」


 ドゥカスとソリオはそっと顔を見あわせ、うなずきあった。「くれぐれも、内密に頼む」

「弟子もいない、男一人の工房です。心配いりませんよ」コーリオがみ手をしながら口をはさんだ。

 そのまま商談に入る……とはいかなかった。

 加工師はコツコツと石を叩きながら、しばし考える風情になった。

「しかし、惜しいですな。これほどの貴石いし、割るごとに価値が下がってしまう。……どうです、丸のまま売るという話は?」


「それじゃ足がつくだろう」コーリオが渋い顔をした。

「ひとつ、いい伝手つてがあるんですがねぇ。絶対に足もつかない、大型の顧客がいるんですよ。イーゼンテルレのお偉いどこで……」

 加工師が食い下がる。

「だめだ、だめだ」

 コーリオは最後まで言わせなかった。かたくなに首を振り、加工業者を部屋の外へ追い立てていく。ドゥカスとソリオは、またも顔を見あわせた。


「まったく、油断も隙もない。あいつらときたら、儲けのことしか頭にないんだ」

 戻ってきたコーリオはそう呟き、いかにも厄介払いをしたというふうに手をはたいた。そして計算高い笑みを浮かべ、二人と、宝石とに視線を戻す。

「重要なのは安全な取引ですよ。ねぇ旦那がた? まったく。あいつ以外にも腕こきの加工師はいますから、ご心配なく」


 それから三人は商談にうつった。

 なにしろ、モノは国宝級だ。ちょっとした騎手団がまるごと買収できるほどの金額が提示され、ドゥカスが息をのむ様子がつたわってきた。

 だが、ソリオは渋った。〈ウォーターフォール〉の価値を考えると、それでもずいぶん買いたたかれていると踏んだのだ。

「もう少し色がつかないのか? こちらは危険な橋を渡っているんだぞ」

「そうは申しましても、やはり、安全第一ですからねぇ。関係者にも相応の口止め料が必要となりますし」

 商人はしたり顔で、まともに取りあうそぶりは見せなかった。

(おまえもをかすめ取るつもりなんだろう)

 ソリオはそう言いたくなる気持ちをこらえる。


 〈ウォーターフォール〉をビロードでそっとくるみ、コーリオは「では、こちらはお預かりいたしますよ」と言った。

「……あぁそれと。さっきの男が接触してくるかもしれませんが、どうぞ甘言にお耳を貸されませんように。安全第一で、ね」


 ♢♦♢


 どことなく納得いかない思いを感じつつも、ひとまず宝石が手を離れたことで、ソリオは屋敷を出るとほっと一息ついた。年長のドゥカスのほうは、落ちつかなげに周囲を見まわしている。誰かに見られたらと心配しているのだろう。

 家の竜車を使うわけにはいかないから、大きな通りまで出て車を拾う必要があった。二人は足早に通りのほうへ向かいかけたが、つと建物の陰から呼びとめられる。


「失礼」

 思わずふり向くと、身なりのいい青年が立っていた。とき流した金髪に海老茶色のジャケット、手には象牙のステッキ。王都でもなかなか見ない、洒落た格好の若者だ。

「なにか?」ソリオは警戒する。


「私はある女性のつかいのものです。鑑定師のランテから、あなたがたがお持ちの品物についてお尋ねするようにと頼まれまして」

 美青年はあたりをはばかりながら言った。

 男のなまりに、ソリオは聞きおぼえがあった。「イーゼンテルレの者か」

「……」

 言い当てられて、男はかすかに動揺したように見えた。「このことはご内密に」


「あいにくだが、なんの話かわからないね」ソリオはそっけなく答えた。「では、先を急ぐので」

「いや、待て」ドゥカスが彼を引きとめた。「話を聞いてみようじゃないか」

「ドゥカス様……信頼できる伝手以外には売らない。そう二人で決めたでしょう。金が手に入るまでは、身をつつしまなくては」

「もともと、あの商人には鑑定師を紹介してもらうだけの予定だったんだ。顔がつなげたなら、もう利用価値はないだろう」

 ドゥカスが粘った。どうやら、ソリオ以上に欲の皮が張っているらしい。

 ソリオはしばらく悩んだものの、結局、青年の話を聞こうかというつもりになった。どうせ、宝石はいま手もとにないのだ。かりに罠だったとしても、実物を奪われる心配はない。宝石の捜査だったとしても口裏を合わせて逃げおおせることができる。そう思ってのことだった。



 二人が案内されたのは、宿屋の一室である。

「おお、これは立派な」

 ソリオが思わず感嘆すると、副家令は「ふん、こんな安宿」と言った。

 が、安宿ではない。王都に家をもたない下級貴族や高位役人たちが、シーズンのために逗留とうりゅうするような高級宿だ。


 青年は我が家のように慣れた様子で使用人を呼びつけ、客人のための食事を用意させる。そして、二人を宿泊部屋へと招いた。長期宿泊者向けの美しい離れで、オリーブやレモンの木が心地よい陰を作っている。


「マイ・レディ?」青年は呼ばわったが、庭のほうからかすかな葉ずれの音が聞こえるだけだった。

「まったく、気まぐれな方だ」

 みごとな金髪をかきあげ、ため息をつく。「失礼。主人を呼んでまいります。おそらく起き抜けでらっしゃるので、少々、お待ちを」

(ふん、気障きざったらしい男だな。女主人の愛人にちがいない)とソリオは面白くなく思った。

「かまいませんよ。主人の気まぐれには、われわれも慣れておりますからな」

 副家令が笑った。

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