第20話 虹色レフタス ②

 青年が庭のほうへ出ていくのと同時に、頼んでいた食事が届いた。主人の好みに合わせてあるらしく、豪華なイーゼンテルレ宮廷風。香りのよいカモの冷製肉に、モザイク状にゼリー寄せされた秋の野菜とカツオ手長テナガエビや玉黍貝ビゴルノーが載ったすばらしい海鮮プレート、ワインはもちろんイーゼンテルレの年代物。

(これなら、いくら待たされてもいいな)とソリオは思う。


 やがて女主人があらわれた。

「お楽しみいただいていますこと、竜の殿方?」

 庭からあらわれたのは優雅な美女だった。黒髪を複雑に結いあげ、古式ゆかしいイティージエン風のガウンを身に着けている。広くあいた襟から白い肌がのぞき、思わず目が吸い寄せられる。

「これは失礼」エビを口に詰めこんでいたドゥカスが、慌てて口をぬぐった。


「お口にあってけっこうでしたわ」美女はにこやかに言った。「竜の国のかたがたも、わが国の料理はお気に召すようで」

「すばらしい味ですよ」とドゥカス。

「実に美味です」ソリオも追随ついずいする。

「ですが、その……イーゼンテルレのご婦人が、なぜ王都にいらっしゃるのですか?」

「なにぶん、根なし草の気楽なきおくれでございますから」

 美女は歌うように優雅に答えた。庭のほうへ目をやると、郷愁きょうしゅうにかられたうれい顔になる。

「かつてはわたくしにも、立派な城がございましたのよ。もっとも、わたくしが生まれたころには影もございませんでしたが」

「それは――」

 ソリオは言いかけてやめた。副家令と顔を見あわせる。

「ほほ、どうかお口には出さないでくださいまし」美女は鈴をころがすような声で笑った。


 美女は追及をこばんだが、ソリオの頭にはひとつの推測が浮かんだ。

 かつて、竜の国オンブリアは人間の大国イティージエンを滅ぼした。その王家の末裔まつえいは、アエディクラにも歓迎されず、いまではイーゼンテルレでほそぼそと生き延びていると聞いたことがある――。


 もし、彼女がその末裔なら、願ってもない大口の顧客だった。資金は潤沢で、おまけに国外だから足がつく心配もない。かりに首飾りの所在がバレても、外交特権で逃げおおせる身分だ。二人は顔を合わせてほくそ笑んだ。


「それで、わたくしの身を飾るのにふさわしいという宝石は、どういったものですの?」

 貴婦人に問われると、二人は宝石の来歴を話しはじめた。宿屋を出る頃には契約もまとまり、すっかり石の売り手を決めていた。コーリオが提示した額より二割ほど多く、おまけに前金もはずむという。……犯罪が露見しないうちに国外逃亡をもくろむ二人にとって、願ってもない話だった。鉄は熱いうちにと言わんばかりに、渋るコーリオから宝石を取り戻すと前金をはたき返し、指定された日時の取引を胸おどらせて待つことになった。


 ♢♦♢


 数日後。

 先日の宿に、ドゥカスとソリオはふたたびやってきた。いよいよ、首飾りの取引となる。今日は例の美男子の従者はおらず、部屋には加工師のランテ一人だった。庭のほうからは楽しげなリュートの音が響いている。気まぐれな女主人はそちらにいるのだろう。


「では、あらためて」

 ランテは手慣れた様子で用具を取りだし、受けとった首飾りをじっくりと検分した。灰色のぱさついた髪が、職人らしいローブにいく筋か落ちている。

「カッティング。ファイアー。〈ウォーターフォール〉の特徴に一致しますな」

 加工師の男は、続けて奇妙なことを言った。「後で鑑定師に見せないと」


「なにを言っている? おまえが専門家だろう?」ソリオは首をひねる。宝石加工師はふつう、鑑定師も兼ねるものだと思っていたからだ。

「ま、職務上ひととおり見てはいますがね。実のところ、専門外ですよ」男は鑑定用のスコープをしまいながら言った。

「専門外? ……」

 そんなものなのか? ソリオはいぶかしんだ。


「今日は、姫君は同席なさらないのか?」ドゥカスが尋ねる。二人は姫に、可能なら逃亡時の援助もしてもらえないか頼むつもりなのだ。イーゼンテルレは、しばらく身を隠すにはもってこいの国だった。


「今からお目にかけますよ」ランテはそっけなく言った。「じゃ、ちょっと失礼」

 椅子から立ちあがった男は、庭のほうへ向かって数歩進むと、パンくずを落とすように手をはたいた。


 ――姫君への合図なのか? それにしては、ぞんざいだな。


 そんなことをソリオは思い、ドゥカスも同様らしく、二人して庭のほうに気を取られていたとき――それは起こった。

「動くな!」

 呼ばわる大きな声に、思わずふり向く。命令がなくとも、身体は凍りついたように動かなかった。庭の反対側にある続き間から、どやどやと一斉に、兵士たちが入ってきたのだ。


「ど……どういうことだ!?」

 おろおろするドゥカスに対し、ソリオはすぐに状況を察した。加工師の薄い胸ぐらをつかみ叫ぶ。

「貴様……われわれをめたな!?」

 男はすぐには返答せず、ドゥカスがあわてて尋ねてくる。「は……めた? これは罠だったのか?!」

「そうです! こいつが、あのメギツネと優男と、グルになって……」


「手を離せ、盗人どもめ! おとなしく投降とうこうしろ」

 兵士のリーダーらしき男が命じた。ちらっと確認しただけでもわかる。エクハリトス家の私兵たちだ。

「誤解です! 首飾りは、修理に出すところだったのです。この男がなにを言ったかはわかりませんが――」

 一足さきに兵士に捕まったドゥカスが見苦しく言いわけしだしたが、時すでに遅しだろう。ソリオは自分の計画が完全に失敗したことを悟った。


「クソッ……あいつらを出せ! まとめて、叩き斬ってやる」

 ソリオは片手でランテを引きずり、腰から雑用ナイフを取りだして突きつけた。なかばヤケクソだった。


「まぁ、そのように怖いお顔をなさって」

 喉元に刀を当てられたまま、抵抗もせずに男は笑った。「わたくしのもてなしが、お気に召しませんでしたかしら?」

 厳めしい中年男から、世にもたえなる美女の声。その組みあわせには、思わずぎょっとするものがあった。

「なっ」

「今からお目にかけると、申しましたでしょう」

「その声! おまえ、あの女……!!」


「ははは。そんなに驚かれると、役者冥利みょうりに尽きるというものだ」

 続いた声は、あの異国の従者のもの。これもまた、似ても似つかぬ美青年だったはず。

「クソッ!! なんてこった。全部おまえなのか。あの姫君も、従者もすべて――」

 言いかけたソリオは、近づいてくる兵士の姿にナイフを振りまわし、「寄るな!」と声を荒げた。こうなっては、こいつが唯一の人質だ。なんとか、自分一人でも脱出できないかと庭を背に後退していく。加工師の濃灰色の長髪をひっつかみ、喉もとをあらわにしようとしたが、なんと。

 髪はずるりと毛の感触を残して、ソリオの手に残った。カツラ

「待て……おまえの顔、いやその額……どこかで……」

「ようやくお気づきか」と、男。自由になった手で、ナイフを持ったソリオの手を押さえつける。

「……その薄毛! スターバウ家の家令!」

 ソリオは叫んだ。「ええい手を離せ! この薄ハゲ!」


「聞き捨てならん罵詈雑言が聞こえたな」

 男はソリオの襟首をぐっと引き寄せ、骨のぶつかる音が響くほど大きな頭突きを見舞った。かれがよろけた隙に、股間に膝を入れてしっかりとダメージを与える。兵士がタイミングよく掴みかかって、男ごとソリオをおさえつけた。


「どれどれ。仕上げはどうかな」

 あきらめ悪くもがいているソリオの耳に、妙にのんびりした声が届いた。入口から堂々と入ってくる姿は、あの、商人コーリオだった。カマキリのように揉み手をして、嬉々としてあたりを見まわす。

「おお、われらが『虹色レフタス』の腕はなまっていないようだな」


「商人! おまえもグルか……!」

「さようで」コーリオ、いやヴェスランは酷薄な笑顔をみせた。「もっとも、手前てまえはただの脇役ですよ。舞台の主役は、この男の七変化。いや、ひさしぶりに間近で見たかったものだが。残念残念」



「感心するのはいいが、早いところこいつらを退けてくれんかね」

 鑑定師ランテを詐称さしょうしていた男――スターバウ家のもう一人の養子にして家令、レフタス・スターバウはそうぼやき、心もとない額をぺろりと撫でた。

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