第21話 彼女は輝ける星


 ♢♦♢ ――デイミオン――


 掬星きくせい城は夜。

 エサル公が明日、領地に戻るということで、別れの正餐がおこなわれた。五公の成員が王とともに集い、しばしの別れを惜しむ。

「リアナ卿の姿がないな」

 と、エサルが言った。なんだかんだ、気にかけてはいるらしい。

 食事が済むと、デイミオンは公たちをしばし、引きとめた。広間を出た回廊の前で、彼女の到着を待つ。


 星がすくえるほど高い城の、その回廊は星空を背景にぐるりと広間を取り囲む。刻み模様の入った円柱を額縁にして、白くたなびきながら近づいてくる竜が見えた。

「レーデルル。それに、リアナさま」グウィナが呟く。

「主役は遅れてやってくるものだね」エピファニーも笑った。


 真珠色のウロコが、星の明かりを受けて乳白色に輝いている。朱鷺トキ色の背鰭クレストが柱のあいだいっぱいに広がり、くるりと旋回すると、ぴょんと飛び降りてくる人影がふたつ。

 先に降りてきたのは、エリサだった。夜の騎行が楽しかったらしく上機嫌で、転がるようにしてデイミオンに飛びつく。

 後ろから、遅れてリアナが降りてきた。レーデルルは主人たちを下ろして、そのまま上昇していく。天空竜舎に戻るのだ。


 デイミオンは片手に養女むすめを抱きあげると、術を制御して、リアナがスムーズに降りられるように手を貸してやった。

「ほら、見て!」

 それが、リアナの第一声だった。

 満面の笑みで高く掲げているのは、星よりもまばゆく輝くダイヤモンド、〈ウォーターフォール〉だ。盗人どもから無事、取りもどしたとは聞いていたが、彼女みずから届けに来るとは。


「わたしって、なんて有能なのかしら。自分にかけられた疑いは、自分で晴らすのが一番よね」

「ほお、それが〈ウォーターフォール〉ですか」と、ドリュー。

「すごいね! きみは昔から有言実行だよ」エピファニーが素直に褒める。

「立派だこと。それでこそ竜騎手ライダーの手本たる女性だわ」

 グウィナもにこにこしている。

「あたしも行きたかった。面白そうだったのに」エリサが不満げに言う。

「白竜卿は腰が軽くていらっしゃるな」エサルはあいかわらずで、嫌味を忘れない。



 そうやって五公たちの称賛を楽しんでから、リアナは胸を張ってデイミオンの前に立った。

「こうやって取り返したんだから、エクハリトス家にも文句は言わせないわよ」

 意気揚々と首飾りを突き返す元妻があまりに嬉しそうなので、デイミオンは用意していた事務的な返答を忘れ、思わず「そうだな」とうなずいた。


 実際のところ、彼女に見とれていたようだった。リアナがそういう気配にうとくて、さいわいだったかもしれない。単に、称賛のあまり言葉も出ないのだと思ったらしかった。

 リアナは「ふふっ」と堪えられないように笑い、さっと踵をかえした。五公たちに向かって、首飾り奪還の話を聞かないかと誘う。

「レフタスの武勇伝を聞きたいでしょ? わたしもまだなの。こっちに来てもらうよう、頼んだから」


 上機嫌で公たちを先導していくリアナの背中を、デイミオンはつい目で追った。国が買えるほどの首飾りをもらってもあれほど喜ばなかったくせに、それを盗人から取りもどしたということが嬉しくてならないらしい。

「あんなふうな顔をさせられるなら、なにもしくないのにな。……うまくいかないものだ」

 つい、愚痴ぐちれる。エリサがめずらしがるので、〈ウォーターフォール〉を首にかけてやった。

「似合うわよ、エリサ。あなたも白竜のお姫さまですものね」

 グウィナがそう言って、少女の茶髪を撫でつけてやった。ごわごわと固いホウキのような毛で、リアナの柔らかい金髪とは似ていない。

「リアナがこれ、着けてたの?」

 エリサの無邪気な問いに、デイミオンはわずかな痛みを持って「ああ」と答えた。


「もう一度、贈ってさしあげたらいいのに」

 グウィナが優しく言った。「〈ウォーターフォール〉でなくとも、なにか褒賞ほうしょう名目めいもくで」

 実のところ、デイミオンの手もとには彼女に贈るための宝石いしがまだあった。だが、あけぼの色に輝く石をどう扱うべきか、かれはまだ悩んでいる。すくなくとも今それを与えたところで、リアナが喜ぶようには思えなかった。


「俺が持っているもので、あいつが欲しがるものはなにもない」

 エクハリトス家の富をすべて使いきることもできる男は、そう言ってため息をついた。「……そういう女に惚れた不運だ」

「リアナさまが去って、苦しんでいるのね」

「ああ」

 デイミオンは彼らしくなく素直に認めた。たぶん、相手がグウィナだからだろう。「リアナなしで生きていくのは苦しい。彼女が運命のつがいではなかったとしても、俺には……」


「わたくしは、あなたたちのことをずっと見てきたけれど……簡単にはいかないわね」

 グウィナはためらいがちに口をひらいた。彼女もまた、二人の男のあいだで揺れ動き悩んできたから、なにか思うところがあったのだろう。甥の腕を愛おしげに叩き、「でも楽観もしているの。結婚生活にひとつの正解はないし、取り返しのつかない失敗もないと思うの。あなたたちなら、きっと道が探せるわ」と言った。

 その言葉には……デイミオンの気のせいでないのなら、自分とリアナだけでなく、フィルバートも含まれているように聞こえた。


 ♢♦♢


 デイミオンとグウィナはふたたび広間へ戻り、その場に呼ばれたレフタスとヴェスランからくだんの奪還劇を聞き、おおいに楽しんだ。立役者である二人にはデイミオンから惜しみない褒賞が贈られた。酒を飲まないエサル公のために微発泡の薄い赤ワインがふるまわれ、リアナやエリサもそれを飲んだ。何かというと突っかかってばかりいるが、リアナが城に来ると、エリサはかならず彼女の近くにいる。顔だちはずいぶん違うが、スミレ色の目は二人の血のつながりをはっきりと示すようで、デイミオンは二人が並んでいるのを見るのが好きだった。


 うつらうつらしだしたエリサが自室に引き上げると、リアナも帰宅すると言った。

「あまり遅くなると、トマナに悪いから」

「そうか」

 トマナは、娘の乳母だ。夫のフィルは二日ばかり前に西に発ったと聞いている。だから今、あの小さな屋敷にいるのは彼女と娘と乳母、それに警護の兵士たちということになる。


 デイミオンは彼女を広間の外まで見おくった。外套コートに腕を通すと、リアナがかれを見あげた。

「二、三日中には、西部に発つわ。ジェーニイが着き次第しだいということになるかしら」

「ああ」

 首飾りが戻ってきた以上、捜査の名目で彼女をとどめ置くことはできないだろう。期限は、あと数日。彼女の代わりのライダーが王都に着くまで。

 そう思ったデイミオンは皮肉な笑みを浮かべた。

(あとたった数日、王都ここにいるからどうだと言うんだ。夫が不在のあいだに、こそこそと彼女の家に通うとでもいうのか? 馬鹿らしい)

(王は、エクハリトスの竜は、そんな間男のような真似は絶対にしない)


 フィルバートが規範を破って意に介さないのは、かれが〈ハートレス〉、持たざる者だったからだ。それをうらやましいと思うこともあったが、デイミオンはずっと王たる者であろうと努めてきた。彼女もそれを望んでいると信じてきた。

 だがリアナが側にいない今、王であろうとすることがいったい何のためなのか、わからなくなってきた。それでも、かれ自身を変えられない。フィルがデイミオンのようになれないのとおなじく、デイミオンもまた、弟のようにはなれなかった。


 そんな男の内面の葛藤を、どう思ったのか。それとも、気づきはしなかったのか。

 わからないが、リアナはつと彼の前に立ち、抱きついた。デイミオンは――自分でも情けなかったが――驚いて、とっさには抱き寄せることも引きはがすこともできなかった。

 手は胸の下あたりに回され、つま先立ちで胸もとに顔を押しあてている。ふわふわした髪のあいだから、形よく小さな鼻先がのぞいている。ようやく抱き寄せると、やわらかな感触と彼女自身の匂いが、デイミオンをぼうっとさせた。

 永遠に、そのまま彫像のように固まっていられると思ったが、リアナは長くせずに身体を離した。そして、

「おやすみ。……よく眠ってね」という言葉を残して、車寄せのある正面口に向かって去って行った。



 それで、リアナが彼の眠りを心配してそうしたのだということが、ようやくわかった。輝く星が落ちてきたように、その考えはデイミオンのなかに落ち、胸の底からかれを温めた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る