第22話 魔法がとけて、一人
♢♦♢
リアナは夜のずいぶん浅いうちに帰ったから、デイミオンはすぐには自室に戻らず、忘れていた用件を済ませようと建物外へ出た。彼女がジェンナイルのことを口に出したので、思いだしたのである。
貴人牢のある幽閉塔――。そこに、王都ではリアナ以外にもう一人、白竜の
塔の兵士たちは、王の夜の訪れをいぶかしんだが、すぐに囚人の部屋へと案内した。きしむ木の階段をらせん状に上がっていると、かつて、フィルを訪ねていったときのことを思いだす。リアナを救うため、それが最善の策だとあのときは信じた。自分が王となることで、彼女を政敵の手から守るつもりだった。王になる野心が、その選択をさせたのか?
そうではないと誓って言えるが、リアナはそれを信じているだろうか。二人のあいだに、知らず、壁ができていたとしたら。
『――剣士としての栄誉を。〈ハートレス〉としての
今も昔も、そう言えるのは王国中でただ一人、フィルバートだけだった。
――あのとき、王国も王座も
……囚人、スワン家のロカナンは、広い貴人牢で王の訪れを待っていた。ロウソクを惜しまず使ってなにか書きものでもしていたらしい。ガウンを羽織った部屋着姿は、線の細い貴公子といった印象で、王に暗示をかけて北部へ連れ運んだ犯人とは思えない。もっともかれもまた、北部の三老人たちに命じられたにすぎないのだが。
しでかしたことを思えば斬首に相当するが、なにぶん北の王家につらなる血筋だし、希少な白竜のライダーということもあり、処刑をまぬがれている。かつてのアーシャと、おなじような処遇である。
「ああ、やっと来てくださった。陛下」
ロカナンは無邪気といってもいいような笑みで、王を迎えた。「お待ちしていました」
「雑用のついでだ」
デイミオンはそっけなく言った。ロカナンは、かれが王になる前、竜騎手団の団長であったころからの同輩だ。だからこそ、ほかの者ではなく自分自身で処罰を伝えに来た。
「おまえに与えられる刑については、よく考えたな?」
「この塔で生殖に励み、次世代のライダーを
「そうだ。その後は、北部にでも戻るがいい。……返答を聞こう」
ことが事だけに、本人の同意なくしてできるものでもない。それで、デイミオンみずから意思を確認しに来たのであった。
「陛下の御心のままに」
ロカナンは、妙にへりくだって答えた。なにか取引を申し出そうな顔だなと王は思い、案の定、こう続いた。「ですが、この塔からは出していただけませんか。……繁殖についてはいかようにも受け入れますが、とらわれの身となるのはつらいのです」
「おまえが励めば、そのぶん刑期も軽くなるだろう。それくらいは取りはからってやろう」
同情というよりもむしろ軽蔑から、デイミオンはそのように言った。「ではな」
「不思議だと思いませんか」
去ろうとする王の背中に、囚人は唐突に疑問をぶつけた。デイミオンはいちおう、足をとめて続きを聞いた。
「竜族の男は、人間のように多情ではない。不思議だと思いませんか。どこの家も、子どもに恵まれず苦労している。
「そうだな。それがどうかしたか?」
不思議なこともなにも、そういうものと受けとめている。竜族の少子化について、学者たちはさまざまな仮説を述べる――長寿が理由という者もいる。竜の力の代償という者もいる。そして――自分のように、つがいに執着を持ってしまう雄竜の特徴も、影響しているかもしれない。竜の男は、
デイミオンの応答に、ロカナンはこれが
「因子があるのです、陛下。北の領主家にも、ほかの家にも、もちろんエクハリトス家にも。一夫多妻をはばむ、単婚因子が」
それは、竜族のなかで一人だけを伴侶として求めさせる元凶なのだとロカナンは熱く語った。
「驚きでしょう? 奇妙でしょう? にわかには信じがたいでしょう? でも、本当なんですよ。竜族にはあらかじめ、単婚を求める機構が組み込まれている。たしかなことです。三老人はうしなわれた知識を継承しているのです。黄金賢者など、かれらと比べれば赤子も同然なのです」
目をぎらつかせ、唾をとばして熱弁する男を、デイミオンは気味が悪いと思った。もしこんな怪しげな話題に自分が乗ってくることをロカナンが期待しているなら、まったくの筋違いだとも。
「そして、それを消滅させる方法があるのです。この方法を使えば、複数の妻を
ロカナンはなおも畳みかけるように話しつづけたが、デイミオンは「黙れ」と一喝し、足早に塔を去った。
逃げているようだと、一瞬そう思った。
悪い夢を見ているような気分になった。自室に戻るまで、ロカナンの悪魔のような囁きが耳から離れなかった。リアナがかけたささやかな魔法が解け、かれはまた、長く眠れない夜に取り残されてしまう。
♢♦♢ ――リアナ――
静かな夜だったが、リアナもまた、落ちつかない気分で窓のほうへ目を向けていた。
まだ娘が起きていたので、ベビーベッドを揺らしてやっていたが、心は
このところのデイミオンは疲れているように見えた。多忙のせいだろうとばかり思っていたが、眠れないでいると聞くと心が痛んだ。自分はかれの片翼を奪ってしまったのだろうか。
独身生活を
〈ウォーターフォール〉を自分の首にかけたときの、かれの誇らしげな顔を思いだす。首飾りは取りもどせても、ふたりの
「明日は晴れ」と、気づかないうちに呟いていた。
リアナのなかにある竜の力が、流れゆくものの動きをつねに感じている。それは水と熱であり、気圧を生み、天候となってはじめて目に見えるもの。
「ジェーニイはきっと明日来る。そしたらわたしは西部へ行く……」
当たり前の予定をつい口に出してしまうのは、自分でも迷いを感じているからなのだろうか。
「フィルに会いたいわ」
ふだんどおりに『行ってくるね』と言って出ていった夫のことを思う。驚くほど軽装で、近所に散歩に行くのと変わらない調子だった。ローズごとリアナを抱きしめ、『浮気しちゃだめだよ』とささやいた。『あなたもよ』と苦笑して返したが、フィルもまた、リアナの心変わりを心配しているに違いなかった。
こんなふうにどっちつかずでは、またどちらの男も傷つけてしまう。はやく、西部に
【第一幕 終】
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