第11話 フィルの楽しみ
目の前に立つ小劇場は、貴族の館を改装したものらしい。巨大な柱に
人間の国アエディクラでは、音楽をともなった演劇がさかんだ。リアナ自身もかつてかの地に滞在していたときに観賞したことがある。その流行がわが国でも、というわけだ。……大階段のあるロビーに赤絨毯、劇場内部も小規模ではあるが豪華にしつらえられていた。外国の文化を好む貴族たちの出資によるものらしいが、このような設備投資に見合う利益があるなら、なかなか税の取りがいもありそうだとリアナは思った。
カールゼンデン家はボックス席を持っていたので、そこでフィルとともに最初の幕を観賞した。演目は、竜族の好きな英雄譚『黒竜王アルナスル』だ。冒険あり、悲恋ありの物語が、歌と演奏にあわせて進んでいく。この演目はどうしてもデイミオンを思いださせるので、リアナは複雑な思いで観ることになった。強大なる竜の力をもつ若き王、その神がかった美しさ。自分が手放したものの大きさが身に染みる。
つい気になって、舞台に近い中央席を確認するが、そこは空だった。王がいればここが定位置になるので、デイミオンは来ていないはずだ。それで少しばかりほっとした。
……東夷を打ち滅ぼす旅の途中、若き王が
「あの姫君の名前、アロミナって言うんだね」
フィルはそう感想を述べた。娘とおなじ名なので、気になったのだろう。
「エクハリトス家は、創世神話から名前を取ることが多いみたいね」
と、リアナも返す。「さて……休憩だわ」
人々がボックス席から出ていくのが、二人のいる位置から見えた。
「幕と幕のあいまに、男たちは遊戯室でワインを飲んだり軽いゲームをしたりするの。どうする? わたしはあいさつに回ってくるけど」
フィルは笑って、「奥さまの邪魔をしないように、遊戯室に行ってくるよ」と言った。
「大丈夫? ……ハートレス嫌いの貴族たちも多いし、ロカナンの件で敵も作ったんじゃないかしら」
「いじめられて、泣いて帰ってきたら、あなたに慰めてもらおう」
冗談めかして言い、フィルは出ていった。
剣を持たせれば大陸最強かもしれないが、陰口や侮蔑の目にさらされれば傷つくに違いない。リアナはそう思って胸を痛めつつも、貴族のつとめを果たそうとする夫を立派だと見なおした。
「さて……わたしも気合をいれて、お仕事しなくちゃね」リアナは独言し、ドレスのすそをはたいて立ちあがった。
♢♦♢ ――フィル――
フィルはきょろきょろと周囲を見まわしながら、遊戯室へ入っていった。明かりはやや暗く、リアナの言うとおり、男ばかりの部屋だ。カツン、カツンと金属音がするのは、壺に矢を投げ入れるゲームをやっているのだろう。男たちのはやし声が聞こえる。
「やぁマイアベル卿。ごきげんいかがですか」
入口ちかくに立っていた小柄な貴族が、びくっと背を震わせた。フィルに声をかけられて、足がすくんでしまったらしい。
「お久しぶりですね、クサーヴァー卿」
フィルはまた別の貴族に声をかける。「母の時代に、城でお会いしたことがあるんですけど。覚えておられますか?」
「よ……よい夜ですな、フィルバート卿。劇を楽しんでおられますか?」
「ええもちろん」フィルはにこやかに答えた。
最低限のあいさつだけを返して、貴族たちはそそくさと去っていく。が、フィルはかれらを引きとめなかったし、
実のところ、リアナにはああ言ったが、フィルは竜騎手たちの顔を見るこの機会を楽しみにしていた。彼女に心配されるのが嬉しかったし、やっと手に入れた愛する女性の手前、しおらしくしていただけだ。リアナが思うよりも、フィルバートは図太い神経をしている。
遊戯室の中央に向かって歩いていくと、人の波が自分を避けるように動いた。「竜殺し」だの、ほかにも聞きおぼえのある悪態が聞こえる。遊戯用の矢や、ワインカップを持った男たちのなかに、数名の竜騎手がいる。美々しい貴族たちのなかでもひときわの美男子たちが。
「まただ!」
竜騎手のひとりが、腰まわりを探りながら、いらだたしげに声をあげた。「護身用のナイフがない。たしかに持ってきたはずなのに――」
「なくしたのか?」
同輩らしき男が声をかける。
「最近、持ち物がよく無くなるんだ。小姓を二人も解雇した。それなのに、まだ続くなんて」
「護身用なんて、大げさな……。――劇場に武器は持ちこめないんだし、そんなに警戒することはないだろう?」
「僕は狙われているんだ。今朝は寝台のなかにサソリがいた!」
爪を噛んでいらいらとまくしたてる男に、同輩はあきれたような怯えたような微妙な表情をした。そこへ、別のライダーが声をひそめて返す。
「卿もか。じつは、俺のベッドには数日前、
男たちの
三人の竜騎手は動きをとめ、ぎこちなく声の主へと目をむけた。「……フィルバート卿」
フィルは笑顔のまま、さらにかれらの近くへと寄っていく。
「サソリに、
そう言うと、卓上の筒から遊戯用の矢を取って、手のひらでもてあそんだ。「もちろん
「竜殺し、まさかおまえが」
おののくライダーに、フィルは「まさか」と返す。
「ニールン卿、あなたの家は厳重な警備で有名だ。お父上は敵が多いしね。『蟻一匹見逃さない』と豪語してなかったかな?」
「それは……だが……」ニールン卿が言葉をにごす。それほどの堅固さを誇る警備に、穴があるとは言いたくないのだろう。
フィルはにこやかに続けた。「昨晩の警備は……そう、竜騎手が三名、きっちりとグリッドを張っていた。三重に」
長く無骨な指で、網の重なりを示してみせる。ニールンの顔が凍ったところを見ると、正答だったらしい。
「だけどもちろん、心臓を持たないならず者なら、侵入できるかもしれないな? どう思う、シディウス?」
「お、おまえが僕たちの家に――」
フィルはあえて答えを避け、手に持った矢を壺に向かって投げた。ほとんど狙いもつけていないような軽い動作だったのに、矢は吸いこまれるように狭い壺に落ち、カツンと音を立てた。「……三十点! 俺の勝ちだね」
フィルは気をよくして、退室間際にニールンにナイフを返してやった。「ガウンの袖のなかだよ」と、サプライズも忘れない。ナイフを見つけたニールンが真っ青になっているのを確認して、適当にあいさつをしてその場を去った。
ニールンとシディウスは、竜騎手団での新人イビリの常習者だ。フィルはここ数日の空き時間を使って、妻の肩にちょっとした打ち身を作られたことの
フィルはべつに陰湿な報復が好きなわけではなく、この方法が有効だと経験的にわかっているだけだった。とくに、プライドの高い男性ライダーにはてきめんだ。自分の気のせいではないか、相談したら臆病者とそしられるのではないかという不安から、露見しづらいのもよい点といえる。
「でも、これくらいにしておこう。リアナに知られたら、怖がられるかも」
そう独言すると、妻と自分用のソフトドリンクを取って、ボックス席に戻ったのだった。
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