第12話 消えた首飾り
リアナはひとり大階段を降り、明るいロビーに出て、二、三人の有力者と世間話を交わしたところだった。
主催者にあいさつに行きたかったが、フィルはまだ談話室にいるようだった。自分のように嫌がらせを受けているのでないといいのだが。
せっかく好きでもない社交の場に出てきたので、なるべく効果を挙げておきたい。ほかに会話をしておくべき相手でもいないかときょろきょろしていると、デイミオンの寵姫たちの姿が目に入った。はなやかなドレスに、くすぐったくなるような明るい笑い声で、遠くからでもすぐわかる。
「あら、あちらに、リアナ卿が……」
「ごあいさつに行きませんこと?」
「かえってご迷惑よ、台風みたいに精力的に動いてらっしゃるもの」
「野心のある女性はお忙しいわね」
「それより、見て、あのドレス。ずいぶん、物持ちがよくていらっしゃるわ」
「うちに行商で来る、イーゼンテルレの商人みたいだわ」
「ほんとに」
「お上手」
ルーイの心配どおりで、やはり、もの笑いの種になっているらしい。前妻をけなして結束力を強めようというのだろう。どうせ、なにを着ていようが陰口をたたかれるのは変わらないので、繊細な心が傷ついたりはしなかったが。
「ふん、聞こえてるわよ」そう毒づいて、ぎろりとにらみをきかせてやった。
(ああして見ると、ニービュラは浮いてるわね)
観察したリアナは思った。鈴のような笑い声をたて、扇子を意味ありげに動かすほかの美女たちとくらべると、彼女には如才なさがたりないように見える。いまもリアナへの陰口にうまく加われず、愛想笑いを浮かべるのに失敗して顔を引きつらせていた。そうしていると、困ったときのロールそっくりだった。
「ふうむ」
リアナは思案しつつ、自分の周囲に目をもどした。
「ダンウィッチ卿……あら、いない」
あいさつすべき有力者たちが周囲から消え、美姫たちのほうへ行ってしまった。王の寵愛には力がある、その目に見える
とりわけ人気があるのは、意外にもニービュラだった。美貌ではまわりの女性に劣らないが、どうにも世慣れしておらず、しどろもどろに応答している。疑問に思ったリアナは、しばらくして理由に気づいた。「
ニービュラの首をいろどる、まばゆい淡青のダイヤモンド。その名が〈ウォーターフォール〉だ。あれを見につけているということで、エクハリトス家の将来の嫁候補と見なされているわけだ。
「もう、次の妻は決定ってわけ? デイミオンも気が早いわね」
面白くない気持ちと、それも当然だという気持ちとで、リアナは胸をかき乱された。……ともあれ、美姫たちがいるということは、デイミオンも姿を見せるにちがいない。そろそろ、引きあげる潮時かも。
ちょうど、第二幕の開始を予告するベルが鳴り響いたところだった。ベルと同時にシャンデリアの灯が落ち、座席を案内する者の小さな明かりだけが残された。……デイの美女たちは一階中央の座席へ行くのだろう。リアナはボックスシートのある二階に移動しようと、うす暗いなかを、案内係のもつ明かりのほうへ歩き出した。
「閣下の席はこちらでございます」
案内係の声に、「ええ」と返しかけたとき。
「首飾りがないわ!」
焦ったような女性の声に、リアナはふり向かされた。
「まさか!」
「本当に? ニービュラさま」
「よく見えませんわ」
たしかに、手もとを照らす程度の明かりでは状況がわからない。――と、誰かが竜術を使ったらしく、誰かの頭上にぽっと、蝋燭程度の大きさの明かりが出現した。――ニービュラが、自分で竜術を使ったらしい。リアナからは距離があるのでよく見えないが、たしかに、〈ウォーターフォール〉の輝きがないようだ。
ニービュラはつぎに、明かりを足もとに移動させ、首飾りが落ちていないかを確認した。周囲の者たちも混雑のなか、協力しようと脇にどいている。そちらはまったく見えないものの、やはり見当たらないらしい。
「どういうことなの?! ベルが鳴ったときには、たしかに首にかかっていたのに」
「明かりが落ちたときだわ、だれかが――」
「たいへんだわ」リアナは
おおごとになりそうな気配を感じたリアナは、助力を申し出ようと思った。「元」がつくとはいえ、夫の家の一大事だ。だが……
「なんの騒ぎだ?」
他人に命令しなれた、低くよく通る声が、その場をしんと静まらせた。ついで、シャンデリアがいっせいに炎を
「デイミオン」誰にも聞こえないようこっそりと、リアナはその名前を呼んだ。
♢♦♢
「観劇どころじゃなくなっちゃったわ」
フィルの待つボックス席にもどると、リアナはそうぼやいた。こちらでは、もう二幕目がはじまったところのようだ。舞台上では、姫君役の歌手がせつなげなアリアを歌っている。この状況では、三幕目に入る前に中止になるかもしれないが……。
「なにかあったの?」
フィルがそう言いながら、飲み物をわたしてくれる。いまは酒が飲めないので、常温のフルーツティーがありがたかった。
ひと口飲んでひと息ついてから、リアナは「それがね、さっきロビーで……」と経緯を説明する。
「ニービュラが着けていた、〈ウォーターフォール〉がなくなったみたいなの。幕間が終わるとき、暗くなるでしょ? その
「そんな貴重なものが……。盗まれたのかな?」
「さあ……。デイも来たから、わたしは戻ってきたんだけど」
実のところ、あの場ではリアナがもっとも高位の貴族かつ竜騎手だったので、デイミオンが来なければ捜査の号令をかけるつもりだった。そうしていればまた
しばらくすると、
「首飾りが見つかるまで、劇場から出られないかも。家に人をやって、トマナに知らせてもらうわ」
リアナは扉のほうを見ながらつぶやいた。
「そうだね。頼んでくるよ」
帰宅時間が遅くなると、子守りを頼んでいるトマナが心配するだろう。そう思っての提案だった。ボックス席には専用の係員がいるので、フィルが言付けを頼んだ。
アリアが歌い終わるころには、リアナたちのボックス席にも竜騎手たちがあらわれた。マイルとレクタンダスという名で、リアナも顔見知りの二人だ。
「リアナ卿。観劇中にお騒がせいたします」
きっちりと礼をとってから、竜騎手マイルが丁重に尋ねた。「ぶしつけで恐縮ですが、閣下も、先ほどロビーにおられたと伺ったのですが……」
「ええ」リアナもうなずく。
「おそれながら、捜査にご協力いただけますか?」
マイルはボックス席のそとを示した。レクタンダスがあとを続ける。「……こちらに、別席を用意しましたので、おいでいただければと存じます。……フィルバート卿にはお待ちいただくことになります」
「わかったわ」リアナが腰を浮かせると、フィルが先に立って彼女の手をひいた。
「俺も付き添うよ」
「いえ、個別にお伺いするよう、指示されておりまして……」マイルが申し訳なさそうに言う。
「だけど、竜騎手たちには信用がおけない」フィルは穏やかに言った。
「リアナが王だった時代、暗殺をたくらんだ竜騎手がいた。私兵たちに襲撃を受けたときも、護衛としてはまったく役に立たなかった」
「それは、以前の……われわれとは違う竜騎手たちの話です」
反論しようとする若い竜騎手を、年長のマイルが制した。「ご無礼だ。やめなさい」
フィルは二人のやりとりを気にした様子もなく、淡々と続けた。「今? 今の話をするなら、この今だって、団内で彼女にまったくふさわしくない待遇を受けている。夫として、彼女の身が心配にならないとでも?」
「どうか、ここはわれわれを信頼していただいて――」
「俺は、自分以外のだれも信頼したことはない。すくなくとも、リアナのことについては」
「フィル……」
リアナは夫の腕に手をおいてなだめた。「話を聞くだけよ。それに、わたしだって竜騎手なんだから、大丈夫」
「『自分以外のだれも』だよ、リアナ。聞こえなかった?」
フィルの声は冷静で、なんの感情もこもっていないように聞こえた。それは、かれが怒っているときの癖なのだとリアナは知っていた。「俺は、あなたのことも信頼していない。あなたは自分の安全に
(困ったわ)
リアナは心のなかで嘆息した。こうなったらフィルは頑固で、言うことをきかせるのは簡単ではない。なお悪いのは、かれの指摘にも一理あるという点だ。自分の無鉄砲のせいで、フィルにずいぶん心配をかけてきたという自覚はいちおうある。かといって、竜騎手たちの手をあまりわずらわせるのも気が引ける。なにしろ話を聞きたい参考人の数は、百はくだらないはずだ。
「フィルバート卿。リアナさまだけ例外というわけにはまいりません。あまりにも貴重な宝物ですので……」
「どれほど貴重だろうが、俺には価値のないしろものだ」
「閣下……お考え直しを」
ほとほと困った様子の竜騎手マイルが、そう
「その必要はない」聞きおぼえのある声が割って入った。「おまえたちは下がっていい。私が取り調べる。それなら文句はないだろう、フィルバート」
「……」
「デイミオン……陛下」
リアナは驚きつつも、いちおうの礼儀として膝を曲げるあいさつをした。隣のフィルに緊張がはしるのが、空気でわかった。
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