第10話 観劇のゆうべ
デイミオンが美しい首飾りを手にちょっとした復讐をたくらんでいたとき、リアナの首にもささやかな首飾りがかけられているところだった。
フィルの無骨な指が、きゃしゃな金具を留めてくれる。リアナは自分の髪をもちあげたまま、鏡ごしにその動きを見つめていた。
「彫金もできるなんて、知らなかったわ」
首もとを飾るのは、透かし彫りされた、かわいらしい金の葉がつらなったデザインだ。肌の上に、葉脈がレースのような繊細な影を落としている。金具部分には、海のしぶきほどの小さなパールがリボン状にあしらわれていた。
「小さいものは簡単だよ」フィルはくすぐったそうに言った。
「そういえば、あなた、そのベルトも自分で作ったのよね」
リアナは夫の腰あたりを見ながら、また感心した。「本当にすてき。ありがとう」
本人によれば養父の影響らしいが、フィルバートは器用な男で、小さな縫物から釣り小屋を建てるまでやってのける。天候が悪いときに小屋にこもって手仕事をするのも、アウトドアの楽しみなのだと笑った。
暇をみては葉を一枚ずつ彫っていたのが、娘の誕生でほったらかしになっていたらしい。ようやく完成したと本人は喜んでいる。
「換金できるような価値のあるものじゃないけど……、かわいいかなと思って」と、首もとを手でおさえる仕草で照れながら言った。
「作っているあいだ、わたしのことを考えてくれたんでしょう? うれしいわ」
「今日はルーイが来るじゃない? あなたに作ってもらったって、見せびらかそうかしら」
「なんて意地が悪い奥さんなんだ。俺は隠れてるからね」
二人は冗談めかして言いあい、また笑いあった。
♢♦♢
昼すぎに、そのルウェリン(ルーイ)がやってきた。
本人の言葉どおりに隠れていたわけではなかったが、ルーイは結局、リアナとばかり話すことになった。彼女の用事は北部領主である夫ナイルに関するものだったので、しかたがない。フィルは二人に茶を出してやってから娘をつれ、散歩に出ていった。
「ナイルさま
ルーイが差しだしてきたカードの束を、リアナは座ったまま受けとった。すばやく目をとおして、仕分けながらアドバイスする。
「格がおなじ貴族のあつまりは、どれがひとつ欠席すると角が立つから、いっそ全部おなじ文面で断るほうがいいわ。ここにまとめておいてあげる。カードもおなじ紙にしないとダメよ。そういうとこを見られるんだから」
「ぜんぶ断っても大丈夫なんですか?」
「重病だと噂されても困るから、ひとつくらいは……そうね、あまりほかの貴族と利害のない、夜会以外のもよおしに顔を出すことにしましょうか」
リアナはチャリティの観劇をひとつ選んだ。これなら拘束時間もすくないし、重要人物にあいさつまわりしやすい。
「ナイルの加減はどうなの?」
仕分けたカードを
彼女が言うには、春の終わり、第一妻のアイダが流産したらしい。もともと身体の弱い女性で、妊娠の可能性はないと言われていたのが、奇跡的にさずかったばかりだった。本人のショックもいかばかりかと思われるが、ようやく跡継ぎに恵まれると期待したナイルのほうが、不幸にまいってしまったらしい。二人とも病弱なので、しばらく別々に静養したほうがよかろうという周囲の判断で、王都にやってきたという。
「『いい機会だから健康増進につとめる』なんて、ナイルさまは強がってるんですけどね。どう慰めてあげていいかわからないし、私も気持ちのもっていく場がなくって」
ルーイはため息をついた。
「そうだったの……それは残念だったわね……」
リアナは複雑な思いで聞いていた。自分が娘の誕生に喜んでいた陰で、そんな悲しい出来事があったとは。
「でも、ひさしぶりの王都は楽しいですけどね!」
ルーイは、いかにも彼女らしく前向きに話を切り替えた。「ミヤミやケブたちに会えるし、新しいお店もできてるし」
「その調子でね」
リアナは笑顔で励ましてやった。ナイルが彼女に
「あら……でも、そういえばこれ、今夜だわ」
カードを眺めて確認すると、観劇のさそいは今日の日付だった。
「えっ」
ルーイも顔を近づけてくる。「ほんとだ」
二人はどこか似た顔を見あわせた。
♢♦♢
育児中ということをのぞいても、リアナは多忙な身である。あと数日中にはスターバウ領のほうへ出立したいと思っていたし、むしろ早いに越したことはない。そういうわけで、娘の散歩から帰ってきたフィルにも打診して、リアナはさっさと準備にとりかかった。
社交や政治的判断については経験の積み重ねがあるが、われらが主人公が苦手としているものにファッションがある。城を出てからは女官もついていないことを忘れていた。着るものも装飾品も、自分で選ばなければならないのだ。
「やっぱり! 着られるドレスが一着もない!」
小さなクロゼットを開け放して、ルーイが悲鳴をあげていた。
「何着かあるじゃないの」
フィルから娘を受けわたしてもらいながら、リアナはのんびりと言った。「お外は楽しかった? んん? 楽しかったわねぇ?」
「なにが楽しいもんですか! あーっ靴もない」
「ローズに言ったのよ」
「これは夏物! こっちは、もう何年も着てるやつじゃないですかっ」
領主夫人になる前は、リアナの侍女だった少女である。ルーイはてきぱきとなかをあらため、友人の服飾センスのなさを嘆いた。「これは普段着! これは色が最悪! イーゼンテルレ風は時代遅れです!」
「べつに、その何回か着たやつでいいじゃない。もう王配でもないんだし、誰も気にしないわよ」
授乳の準備をしながら、リアナは適当に返した。もうすっかり、ルーイに準備を丸投げする気でいる。
「そうやって、
「凋落って、失礼ね……。あなただって、前にはずいぶん馬鹿にしてくれたじゃないの」
「私が馬鹿にするのはいいんですぅー! ほかの女に馬鹿にされるのがイヤなんですぅー!」
「子どもっぽい
「誰が子どもっぽいんですか!?」
「ローズに言ったのよ」
ルーイはあれもないこれもないと慨嘆しながら、それでも妙に楽しそうに元・主人の着付けをしていった。
結果として……
「まあ、見られるんじゃない?」鏡に身を
「いつもどおり、かわいいよ」フィルも
トマナとルーイに娘をまかせ、ふたりは竜車に乗りこむ。
「これが流行の最先端!っていう顔で歩いてくださいね!」
車寄せからルーイがそう叫んだが、効果のほどにリアナは懐疑的だった。そういうのは、ふだんから流行に敏感な女性でなくては信用されないだろう。たとえば、タナスタス卿のような。
そろそろ陽が落ちはじめた王都を、ごとごとと竜車が移動していく。
「王都に劇場なんか、あったっけ?」
招待状を
オリーブグリーンのジャケットにドレスシャツ、短髪もきちんと撫でつけて、裕福な商人のように見える。裕福で、なかなかハンサムな商人といっていいかも。
「『人間の文化は退廃的だ』とか言って嫌うご老人も多いけれどね。若い貴族たちは、新しいものが好きなのよ。去年だったかしら、小さな劇場ができてね」そう説明する。
リアナは夫と同系色のドレスにショートケープで、こちらも裕福な商人の奥様風で、ルーイが大げさに嘆くほどひどくはない(とリアナは思った)。
「劇か」顎に手をあてて考えているフィルは、おそらく、あまり観劇に興味はなさそうだ。それはリアナにしてもおなじだったが。
「フィル、これはナイルの代理なんだから、あなたは無理に社交しなくていいのよ。タバコもお酒も、好きじゃないでしょ」
劇の幕間には男女にわかれ、それぞれの社交スペースでおしゃべりやら喫煙やらに興じる。フィルはあまり王都の貴族たちに好かれていないので、心配だった。
「でも、俺もあなたの力になれるように、なにかしなくちゃ」
フィルはそう言うと、妻の鼻さきにちゅっとキスをした。
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