3. いつも、一番近くにいたのに
ロールがおそれていた通り、衝突の時は意外に早くおとずれた。
きっかけはサンディの
リアナのほうではなく、竜騎手団の仕事だったので、
明け方に解放されるはずが、古竜同士のトラブルでまた呼び戻され、昼過ぎになってようやくくたくたの身体を引きずるようにして帰ってきた。
家の力でちゃっかりと夜勤を逃れているサンディは、昼の勤務を終えて昼食に立ち寄ったらしかった。当人は片づいた部屋の、数日前にはニービュラが占拠していたソファでうたた寝している。厨房には、温めるだけになっているスープ餃子と、おそらく朝買っただろうパンが用意されていた。スープは温めかたが分からなかったので、ロールはいい匂いのするパンだけをそのまま食べた。
このまま泥のように眠ってしまいたかったが、サンディに触れたい欲望も抑えがたかった。
だって、こんなふうに近くにいられる機会なんて、もうないかもしれないのだ。二人のあいだに友情以外のものが生まれる可能性はなく、かれの側にいられる女性を永遠にうらやみつづけるしかない。
だとしたら、たった一回くらい……。
誘われるようにふらふらと近づき、膝を折って整った顔を眺める。デイミオン王の美貌は野生的だが、サンディはもっと線が細く、男性味より繊細さのほうが強い。
夜も早くから寝るのに、昼寝もするんだなと思うと憎たらしくなる。この貴公子は、自分とはまったく違う優雅な日常を生きているらしい。
憎たらしいが、愛おしい。
上半分だけを結って梳き流した黒髪の、ソファから落ちているひと房を手にとって口づける。よく手入れされた髪は、ローズマリーの匂いがした。
サンディはとても寝つきがいいタイプだ。たぶん気がつかないだろう。
そう思って油断していた。が、この家にはもう一人いることを忘れていた。
「やっぱり、この人なのね」ニービュラの声が背後から聞こえた。
ロールは不思議と動揺しなかった。ただふり向いて姉を見あげ、だからどうしたという顔をした。
「善意で来てくれてるのに、よこしまな目で見るなんて。最低」仁王立ちして、とがめるように言う。
「おまえだって、きゃーきゃー言ってたじゃないか。猫なで声で、色目を使って」
ロールも立ちあがり、テーブルの前で姉と
「あなたは男なのよ。あんなことして、気持ち悪いと思わないの?」
「そういう時期はもう過ぎたよ」
「私は耐えられないわ」
馬鹿にしたように言われ、ロールもかちんと来る。
「おまえがどう思っていても構わないが、意見を異にするならこの家を出ていってくれ。もう、王都にいる必要はないんだろ?」
「出ていくわよ! その人といちゃつくのに、私が邪魔なんでしょ」
「サンディとはそんな仲じゃないと、何度言えばわかるんだ」
それは事実の一面だったが、ニービュラを激昂させるには十分だったらしかった。
「そうやって、また隠すんだわ」
「なんでもかんでも、子どものときみたいにあけすけにする必要はないだろ」
「トマナとアマナには言ったくせに」
ニービュラの指摘に、思わず言葉に詰まる。「それは……」
「どうして、私が最後に知ることになったの?! 家族なのに。一番近いところにいると思ってたのに」
ニービュラは足音も高く部屋に駆けもどり、止める間もなく
「騒がしいな。どうしたんだ? きょうだいゲンカか?」
サンディがやってきて、寝起きの不機嫌そうな声で尋ねた。
急いで詰めこまれたせいで廊下に点々と落ちる衣類を拾いながら、ロールはため息まじりに答えた。「そうだよ」
♢♦♢
目を覚ましたサンディは、「用意した昼食をきちんと食べていない」とロールを叱り、竜術を使ってふたつのコンロを温めはじめた。
姉のことが気がかりで食欲はなかったが、ロールはいちおうスープ餃子を口にはこんだ。サンディは煙のような匂いのお茶を
「追いかけていったほうがいいのかな」
そう言うと、「放っておけ」と返ってきた。
「ヒステリーに一度つきあうと、次からも同じ手を使われるぞ」
いかにも彼らしい答えに、思わず笑ってしまう。
「ニービュラは、昔から勝気で男っぽくて。ライダーの能力があるのも、私よりずっと早くから分かっていたし、剣も体術もこなすし。そのぶん負けず嫌いで、思うようにいかないと
サンディに言ってもしかたがないことはわかっていたが、テーブルの輪ジミをいじりながらつい、そうこぼした。
「だから一人で飛びだしても不安はないんだけど……本当は追ってきてほしいのかなとも思うし」
「僕には興味がない話だ」
サンディはばっさりと切り捨てた。彼のことだから、本当に興味がないのだろう。立ちあがって伸びをし、首をまわして
「おまえは本音を隠しすぎる。頼ってもらえないと、自分はその程度の価値しかないのかと思うんだ」
♢♦♢
ライダー同士は、ある程度距離が近ければ〈呼ばい〉で居場所を知ることができる。だから追うのは簡単なのだが、ロールは迷いながらその場所に向かった。……〈呼ばい〉を使うと、王都をテリトリーとしている玉竜アーダルの気配を近くに感じる。ほかのどの雄竜とも違う、まるで別種の生物かと思うほどに巨大な力だ。いずれは世代交代するのだろうが、そんな姿も想像できないほどに神がかった威容を誇っている。
カフェにでもいるかと思ったのに、姉の気配は王都の西のはずれにあった。あまりいい予感はしない。
民家もまばらな町はずれに、森を背にしてニービュラは立っていた。
「帰ってきてほしくもないのに、連れ戻しに来たの? ……あなたは昔っからそうね。いい子ぶりっ子で」
棘のある攻撃的な声に、やはりという確信が強まる。
「追いかけてこなければ、見逃してあげたのに」と、ニービュラ。
「追いかけなければ、それはそれで文句を言うだろ」と、ロール。
図星をつかれたはずだが、ニービュラは表情を変えなかった。その目が銀色に輝き、〈呼ばい〉を使っていることがわかった。
とっさに、
「
そうだ。王都から何度も、騎手団に入るようにと勧誘されていた。だが、ニービュラは家を守ることを選んだ。
「王都での私闘は禁止されているんだぞ! ニブ!」
「気づかれるより早く終わるわよ」
と、すさまじい量の〈呼ばい〉の力が、ブロークを通じて流れこんできた。竜の支配権を奪うには、普通、主人の〈呼ばい〉の
だが、ニービュラの方法は違った。目をみはるほどの力の奔流が、
ブロークは突然の複数の命令に混乱し、キョオォォとたよりなく鳴いて脚を踏みならした。
〔ブローク〕
ロールは自分の竜に呼びかける。〔大丈夫だよ、こっちが私の力、私の命令だ〕
ニービュラの、まばゆい星のような銀色の輝き。対するロールの蜂蜜色の〈呼ばい〉が、竜の結界のなかで激しくぶつかりあった。
ニービュラの命令系統にはわずかな隙があったが、そこは罠と読んで、狙わなかった。少年時代はいつもこの手に引っかかったものだ。負けず嫌いのニービュラは、有利にいても絶対に相手のミスを誘う手をつかう。もちろん用心深いから、おなじ手には引っかからない。
しだいにロールは押されてきた。混乱するブロークをなだめるのに精いっぱいで、ニービュラの命令が流入するのを抑えられない。……だがロールにとって、これこそが待っていた瞬間だった。最後の一撃と、深く侵入してきた姉の〈呼ばい〉を間一髪でかわし、彼女の意識の喉元まで深く鋭く力をつきつけた。
「……!!」
驚きといらだち。それに屈辱が、ニービュラの〈呼ばい〉から伝わってきた。負けを認めようとしない彼女の命令の源をしっかりと押さえこみ、どんな〈呼ばい〉も出せないようにする。
「あと一歩で勝てるとわかれば、深追いせずにいられない。……変わってないな、ニービュラ」
「私のほうが強かったのに!」
ニービュラは往生際悪くあがきながら叫んだ。
「いつまでも、昔のままじゃない」
ロールは自分に言い聞かせるように言った。「それを認めなきゃな。私も、おまえも」
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