4. 理由がわかるなら
「なんで、デイミオン王について来たんだ」
〈呼ばい〉を
「誰だって、あんなふうに
ニービュラは気まずそうに目をそらしながらも、そう答えた。「黒竜を駆って、ただ一目散に自分だけを追いかけてきてくれるのよ」
彼女が言っているのは、例の、リアナが王のもとから逃げだしたときのことだろう。たしかにデイミオンはつがいに一途で情熱的だ。女性として憧れを抱くのも理解できる。だが、裏切りを知ったときのあの怒りはおそろしかった。
「怖いところもある人だよ、デイミオン陛下は」
ロールは姉を思ってそう言った。「おまえは、優しい顔しか見ていないかもしれないけど」
「かもね」
ニービュラは子どものように、足もとの小石を蹴った。「たしかに、私が見たデイミオンさまはいつも優しかった。あの美姫たちが望めばなんでも買ってあげたし、なにをしても怒られなかった」
それから、ためらいながら続けた。「でも妻には違うのよね。ケンカしたり、衝突したり、感情をぶつけあってる感じがしたわ。私たちみたいに」
「それがわかっているなら、もういいよ」ロールはひそかに
弟の宣言に、ニービュラは黙って肩をすくめた。彼女からも、なぜ同性愛者と打ち明けなかったのか問いただされると予想していたが、姉は違うことを口にした。
「サニサイド卿も、あなたとケンカがしたいんじゃないの?」
「え? ……どうかな」
予想していなかった問いかけに、ロールは一瞬考えた。「サンディに本音をさらけだすのは怖いよ。失望されたくないからね」
その答えは、片思いの相手がサンディだとなかば認めたようなものだった。ニービュラもそのことに気づいたのか、片眉をあげて『やっぱりね』という顔をする。
「でも、良いところだけを見せて取りつくろっても、デイミオン王には好かれなかったわ。私のほうがリアナさまより美人なのに」
「リアナさまもそれは認めておられたけど、『胸は自分のほうが大きい』と言ってらしたよ」
「はぁ!? あんなの授乳が終わったら、すぐしぼむわよ。アマナもそうだったじゃない」
「そうなのか」
ぽんぽんと言いあっているように見えて、ニービュラが二人の隙間を埋めたがっているのがわかった。こういうところが不器用なんだよなぁとロールは思う。二人して、本当に。
その日の午後、来たときとおなじように唐突に、ニービュラは家を出ていった。
「さすがにこの家に三人は、狭いでしょ。自分の竜のことも気になるし」
と、取ってつけたような理由をつけて。
♢♦♢
翌日は
「お迎えにあがりました、リアナ陛下」
リアナは娘を着替えさせていたが、その手をとめて「敬称が違うようだけど?」と尋ねた。
「昨晩、デイミオン陛下のお許しが出たので、本日から以前の『上王陛下』の呼称を使うようにと」
「そう」
ロールの返答を、リアナはなかば予想していたように見えた。「じゃ、以降はそのようにお願い」
現在は夫婦関係にないとはいえ、デイミオンと彼女のあいだに今も強い結びつきがあることはロールにもわかった。
「はい」
「もちろん、あなたたちは今までどおりに呼んでくれていいのよ、トマナ」
リアナの着付けを手伝っていたトマナが、にっこりとうなずいた。その優しい動作のまま、ロールに向かってウィンクしてくれる。
アマナとトマナには、母より早く打ちあけていたのだった。子どもを産んだ女性というのは、ちょっとしたことには動じなくなる。「お母さまには言ったの?」「職場はどうしてるの?」「ニービュラには言わないほうがいいかもね」など現実的に受けとめてくれて、ロールとしてはありがたかった。
そんな上の姉二人にくらべ、ニービュラはよくも悪くも自分に近すぎる。おたがいへの思い入れも、上の姉たちより強い。養子に出たせいで家のことをすべて任せているという罪悪感もあった。言えなかった理由はいくつもある。
だから……衝突したいわけではないが、昨日くらい派手にやりあうほうが、おたがいにすっきりするような気もした。
そして、リアナは……
彼女は、ロールが自分の性指向を打ちあけた最初の身近な相手だった。そのころはまだ妊娠も分かっていなかったが、リアナ・ゼンデンには不思議な包容力があって、長年の秘密を打ちあけても大丈夫なのではと思わされたのだった。
今日もそうだった。城に向かう竜車のなかで、ロールは先日の疑問をようやく尋ねた。
「その……なぜ後任を探せなどとおっしゃったんですか?」
「あなたは人の上に立つべき
リアナは当たり前のようにあっさりと言った。「あなたに適した場所と機会があれば、多くの人の助けになるわ。わたしの護衛じゃなくね」
「そんなふうに買っていてくださったなんて……」
ロールは感激してもじもじと顔を赤くした。
「これは身びいきじゃなくて、ハダルク卿とも意見が一致している事実よ」
リアナには、かつて誓願騎手の申し出を断られたことがある。騎手の誓いを受け容れたのも、当時の夫デイミオンから逃げだすという目的のための側面が強かったから、こんなふうに評価されているとは思いがけず嬉しい。
だが、評価されているとわかると、ロールには気にかかることがあった。それで、こんなふうに切りだした。
「私は、秘密を打ちあけないほうがよかったと思っているんです。ニービュラにも、サンディにも。かれらに心配をかけただけでした」
リアナはうなずき、「聞いている」という姿勢を示した。ロールは続けた。
「ですから、……今後もおそらく、同性愛者であることをおおやけにせずに竜騎手として生きるでしょう。自分を隠して他人と接すれば、人々は私の
リアナはその言葉をじっくりと
「秘密を持つのが悪いことだとは思わないの。信頼に足る人、信頼を勝ち取りたい人にだけ打ちあければいいと思う」
「でもね、あなたが踏みだせないでいる理由は、他にもあると思うのよ」
♢♦♢
帰宅しても、リアナに言われたことを考えつづけていた。しばらくすると、サンディが帰ってきた。
改装したとはいえ、エクハリトス家のタウンハウスとは比較にならないあばら家だ。狭い汚いと言うかと思ったのに、サンディはとくに不平を言うでもなく、使用人に命じて食材を片づけさせていた。
「その……やっぱり、ここに住むのか?」
答えを聞くのがおそろしくもあったが、ロールはあえて尋ねた。「せっかく努力してくれても、
サンディは鮭のすばらしい切り身を吟味していたが、ロールの言葉に顔をあげた。
「おまえの性癖がもし治らないのなら、その先を考えるべきだ」
「その先?」
「
そう言われて、ロールは青い目をぱちぱちさせた。そういえば、ザックに
「あ……いや。ザックのことは、もういいんだ」
「そうなのか?」
「ああ」
この流れなら、言えるかもしれないと思った。私が恋い焦がれているのはおまえだ、と。今なら、少なくとも聞く耳は持ってくれている。そしてこれを逃せば、いつ言えるかわからない。
……だが、やはりためらいが勝ってしまった。彼が家に来てからの、この居心地のいい関係を崩してしまう一歩を、どうしても踏みだせない。
サンディはそんな友人に、気づいているのかどうか。ほかほかと湯気を立てている紙袋から焼き栗を取りだして、ペティナイフで
「ニービュラを油断させるために、〈呼ばい〉を彼女より弱く見せかけていただろう」
ケンカはすぐに終わったが、騎手団の
「え? ……ああ、そうだね」
ロールはうなずいた。実際には、彼の力は姉よりもすでに強かった。勝利を予期させて油断を誘わずとも、実力でねじ伏せるだけの力量差があったのだ。だが、ニービュラに全力で反撃されたときの痛手を考えて、その力を隠していたのだった。隠しごとをするのがよくよく身についてしまっているらしい。
剥いた栗を口に放りこみながら、サンディは続けた。
「フィルバート卿がロカナンを襲撃したとき……もしやつに
「おまえが負けた相手にか? まさか。……フィルバート卿の恐ろしさは、私もよく分かっているよ。まして、竜の力を手にしているときとなれば、よけいに」
デイミオンでさえ苦戦する相手だ。対峙することになるなどと、考えたこともなかった。だが、今の自分なら、どうだろう?
……意味のない仮定だ。ロールはすぐに考えやめた。
サンディのそばに近づき、「もらっていいか?」と栗をつまむ。まだ湯気がたつ栗は、サンディの舌にかなっただけあっておいしかった。
「おまえはいつも実力を隠して、自分の殻に閉じこもっている」
サンディは非難するように眉を寄せて指摘した。
「隠しているのは、幻滅されたくないからだよ。おまえにも、ニービュラにも」
「そこが他人行儀だというんだ。……おまえがこうして自分の殻に閉じこもっているから、ニービュラも僕も、ここに来てやったんじゃないか」
「そんなことは頼んでない」
「頼まれていないが、そう望んでいるはずだ」
「なにを?」
「おまえの殻を、僕が打ち破ることを」
それはまったく予想外のセリフで、ロールは思わず青い目を見開いた。言葉はさらに続く。「そしてそれができるのは、リアナ卿じゃなくて僕のはずだ」
「それは……そうなのかな?」
「そうだ」
「本当に?」
「ああ」
「そうか」
自分の意見が正しいと信じきっているのはいつものことだ。だがこの男に断言されるのが妙に嬉しく、ロールは笑顔になった。
「おまえがここにいてくれて、嬉しいよ、サンディ」と言った。
それは本心のすべてではなかったが、これまでの彼からすれば、一歩踏みだしたと言えるものだった。そしてロール自身は気づいていなかったが、晴れやかな笑顔と
【間章 終わり】
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