第35話 アルファメイルを継(つ)ぐ者 ②

 雨をはじきながらペールグレーに輝く白竜と、嵐の空色にまぎれそうな黒竜。王都を直撃する嵐のなか、二柱の竜のはげしい序列争いが続いていた。


 制御を取り戻した白竜ネクターが、首と尾を神経質に振りまわし、強烈な氷雪をまき散らした。威力は強いが、ペースを乱されて焦っている様子が見てとれる。

 直前の動きが大きかったため、黒竜ブロークは攻撃を予想し、上にんで氷雪をかわした。そのまま宙返りし、尾を使ってネクターの目を狙う――

 白竜を傷つけたくないロールはひやりとしたが、ネクターの動きも素早かった。鉤爪のある短い前肢まえあしでブロークの尾をはたき落とそうとする。結果、両雄の狙いがずれて頬をかすめただけに終わる。

 接近しすぎたのが不利になった。ネクターは相手よりはるかに大きく立派なあぎとでブロークの首を狙う。背をねじってよけたブロークに、氷雪の攻撃……

 直前の姿勢もあり、これは避けられなかった。

 古竜はがいして寒さに弱く、氷雪をあびると動きを封じられてしまう。身体を起こして炎を噴こうとするブロークを、ネクターの前肢が押さえつけた。


 迫りくる巨大な牙。誰の目にも、勝負ありと見えたその瞬間。命令を下した竜騎手ロールだけが、別の結果を確信した。

「今だ、ブローク! 吹きつけろ!」

 ブロークは命令を受け、ネクターの青い目に向かって、

「これを見られたくなかった」ロールはつぶやいた。「この力を使うところを」


 目への不意の攻撃に驚いたネクターはよろめいて後ずさり、二者のあいだに距離が生まれた。ブロークはなおも氷粒をきらめかせながら、攻撃許可を待ちのぞんでいる。

「ブローク! 跳べジャンプ!」

 続けての命令。勢いよく跳びあがった黒竜が、よろめくネクターの首に噛みついた。……勝負ありファースト・ブラッド。白竜はギャアッと鳴いたものの、さっと身体を引いて身体をかがめ、争いの意志がないことを示した。

 腹ばいになって負けを認めないことにブロークはいら立ちを示したが、ロールは苦笑しながらそれをなだめた。一番竜にはそれなりのプライドというものがあるのだ。


 電光石火の勝利、とまでは言えないが、おたがいに傷つけあうこともなく勝負を終えられてロールはほっとした。ようやく、主人ライダー同士も会話する余裕が生まれる。

〔氷の風…… 白竜の力を使えるのか!!?〕

 ナイルの声は、焦りというよりも純粋な驚きに満ちていた。〔一柱の竜は複数の要素を兼ねることはない。その能力を持っているんだな?〕

「はい、閣下」

 ロールはためらいがちに説明した。「ネクター号の力を使わせていただきました。申し訳ありません」


〔黒竜と白竜のライダー。エリサ王とおなじ力だ〕ナイルは言った。〔いったいなぜ、君にそのような力が……〕


「私は――わかりません」

 ロールはためらいながら言った。「でも最初から、私はこうでした。黙っていたのは、同輩の誇りを傷つけたくなかったのです」

 白竜の力も使えることがはっきりした形でわかったのは、リアナに帯同して北部領に滞在していたときだった。それ以降、ロール自身もブロークも、驚くほど力を増してきたのだ。

 ネクターの支配権が、すぐ手の届くところにある。巨大な力への誘惑が、ロールを揺さぶった。――だが、逡巡しゅんじゅんしたのはわずかな間だった。


 黒竜はようやっと勝負がついて満足したのか、主人のもとに戻ってきた。まったく、もう少し従順になってくれればいいのに。……だが、素晴らしい竜には違いない。


〔驚いた……こんなことがあるとは〕

 それまでグリッドで様子をうかがっていただろう上司のハダルクが、〈呼ばい〉でそう伝えてきた。


〔ロレントゥス。君は、灰の中の熾火おきびだったんだな〕

 ハダルクのその表現は、ロールに忘れていた不安を呼び起こした。竜騎手たちのなかで目立つことは避けたいとずっと願ってきた。だが今後、周囲はそれを許してくれるだろうか。


 新たな序列を確認した三柱の竜が、頭を低くしてブロークに恭順を示した。……団に戻ったあとのことは、今は考えるまい。まずは、竜騎手団が一丸となってこの嵐を乗り越えなければならないのだから。


 ♢♦♢――デイミオン――


 氷雪を操る黒竜ブロークが、北の一番竜ネクターを力でねじふせた。その序列争いの様子を、王都の多くの竜騎手たちが〈呼ばい〉で感じ取った。国王デイミオンもその一人だった。


 ニザランで、アーダルに挑みかかってきた若い竜とその竜騎手。あのときに感じた違和感の正体はこれだったのか。……いや、それよりも前。故郷の地シグナイで、アーダルはサンディの竜だけを受けいれ、ブロークナンクを領域テリトリーにいれたがらなかった。もしかしたらそのときに、すでに兆候ちょうこうはあったのかもしれない。


 アーダルに並ぶ可能性のある、より若く野心的な竜が出てきたのだ。もちろん、アーダルにとっても竜騎手ライダーデイミオンにとっても脅威ではあった。だが王としては、新しい世代の台頭は待ち望んだものでもあった。なにより、竜騎手ロレントゥスの能力には目をみはるものがある。白竜と黒竜の両者のライダーは、王国の長い歴史でもエリサ王一人しかいなかった。かれは歴史に名の残る二人目となるのだ。


 デイミオンは横殴りの雨のなか、幽閉塔へ向かった。


 罪人ロカナンは青白い顔をかすかに紅潮させ、期待にみちた様子で王を出迎えた。窓のない貴人牢でも、竜騎手なら竜たちの動きで王都の一大事を察知できるだろう。まして彼はリアナやナイルとおなじ、白の竜騎手である。

 ずぶ濡れになった不快な服を竜術で乾かすと、あたり一面が蒸し風呂のように熱くなった。デイミオンはかまわずに単刀直入に告げた。

「この嵐を乗りきるため、ナイル公の補佐としておまえを一時保釈する」

「……!!」

「公を助け、嵐をしりぞけることができれば、おまえの望む条件での恩赦おんしゃも検討する――」

 そこまで告げたデイミオンは、なぜかもったいぶった間をあけてから、容赦なく前言をひるがえした。

「――そのつもりだったが、気が変わった」


「へ、陛下」

 王の来訪に、よほど期待していたのだろう。ロカナンは弱々しくよろめき、床に膝をついた。

「私は――私はただ、王と王国のお役に立つものと……北部へお連れしたのも、誓って……複数婚因子の件も……」

 その言葉は単なる保身にしか聞こえなかったが、例の複数婚の話が先日のデイミオンをおおいに動揺させたのは事実だった。

 『つがいのみを愛し求める』というエクハリトス家の気質と雄竜としてのプライドが、つがいを奪われた自分をこれほど苦しめている。ごと、王としてリアナを断罪したいほどの怒りと抑えがたい執着とにさいなまれてきた。

「アルナスル王からつがいの妃を奪ったのは、結局は自身の怒りと嫉妬だった。俺もおなじ道をたどるのではないかと、ひそかに恐怖もした」

 デイミオンは正直に、だが淡々と内心を吐露とろした。「アルナスル王のように愛する者を手にかけて、永遠に贖罪しょくざいを続けたくはない」

 ロカナンの誘いを受け、もし複数婚因子とやらを取りのぞければ、つがいであるリアナへの強い執着を手放すことができるかもしれない。そして王として領主としての子づくりの責任も果たせることになる……。

 一時にせよ、そう迷いが生まれたこととは向きあわねばならない。デイミオンはロカナンをうつし鏡に、自分と対話しているのだった。


「そ……そうです陛下。その苦しみから、私は陛下をお救い申し上げることができるのです」

 膝をついた無様な格好のまま、ロカナンは必死に言いつのった。

「わかっていないようだな、ロカナン」

 デイミオンは事務的な口調のまま、白の竜騎手を見下ろした。「そもそもおまえの話に、信用できる点などなかった。それでも、藁をもすがるような迷いが生まれたのは、俺が王冠をいただく者だからだ。すべての竜をひきいるアルファメイルとしての責任からだ」

 見あげてくる細い顔には、まだ希望めいた色が残っていたが、王はかまわず「だが」と続けた。

「どうやら王国には、俺の跡をぐ新しい雄竜がいるようだ。だとすれば、俺が王の責務よりもつがいの奪還だっかんを優先させて、悪いことはあるまい」

「陛下? ……」

「俺はおまえたちの、ねじれた優越性の道具にはならないということだ、ロカナン」

「お待ちください! 陛下!!」

 長くのびる悲鳴のような囚人の声を無視して、デイミオンは塔を出た。


 昔の自分なら……。

 竜騎手ロールの覚醒は、デイミオンにとっての脅威と感じられただろう。だが今の彼にとっては、そうではなかった。

 ここしばらく、鬱々うつうつと考えこんでいたことにひとつの解決策が出たのだ。想像していたよりも、はるかにすがすがしい気分だった。豪雨に打たれながら破顔一笑し、愛竜をびだす。

 アーダルは自分の領域テリトリーで雄竜が序列争いをしているので、不満らしい。主人とはちがって不機嫌な〈呼ばい〉を返してきた。だがその不機嫌も、デイミオンの笑顔をくもらせることはなかった。


「あいつのことだ。どうせ今ごろ、勝手に行動して勝手に苦境におちいっているに決まっている。……どうだアーダル、さっそうと駆けつけて、たまには点を稼ごうか」

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