第31話 心かさねて
瞑想室の外では、鎧戸をしめ木材を打ちつける音がしていた。指示を出す声や、ぱたぱたとせわしない足音が続く。竜の
「白竜の一族に伝えられてきた規定によれば、嵐の進路を変えてもよい場合はごく限られる。そのうえ、ライダーの負担も
王に向かって、ナイルが言った。「動かすとしたら南東になりますが、そこにも集落があるでしょうし……」
「イグルスは大きな農村で小屋が密集しているし、河にも近い。そこに直撃させるわけにはいかないな」デイミオンが言う。
「とすると、やはり王都への直撃は避けがたい。力を弱めるよう最大限に努力しますが、嵐の規模は相当大きいものとお考えください。大叔父によれば、以前の同規模の嵐では、土砂崩れと大竜巻によって市内の半分の建物が倒壊し、百名を越す死者が出たと記録されています」
リアナは息をのむ。なんという災害だろう。百二十年ほど前の当時、メドロートや他のライダーたちが一丸となって嵐を制御してなお、それほどの被害があったのだ。まして、今や当地のライダーはお世辞にも熟練とはいえないたった二人。
「万一にそなえ、リアナさまには河川の
ナイルの言葉にうなずきはしたが、ようやく現実味がましてきて、リアナは怖くなった。
「〈呼ばい〉の経路を広げることは、リアナにとっては負担になる」
デイミオンの言葉に、ナイルもうなずく。
「承知しています。青竜の術で支えながら、なるべく短期間で事が済むようにとは考えていますが……」
「私の〈呼ばい〉を使って、彼女を補佐しよう。レーデルルの力を、私を通してリアナに送る。それで経路の負担は減るはずだ」
「そのようなことが可能なのですか? 竜種が違っても?」
リアナと同様、ナイルにとっても初耳であるらしかった。竜の力は、ライダーと一対一のものと考えられている。だが、たしかに例外はある。双竜王と呼ばれたエリサもそうだ。そしてデイミオンはおなじ黒竜であれば数柱を同時に制御することができたはず。
「エンガス卿の竜で一度、やったことがある。理屈は同じだろう」
「しかし、陛下はアーダル号の主人でもある。二柱の竜を並列につなぐとなると、序列の問題が……」
言いかけたナイルは、すぐに気がついたようだった。「そうか、かれらは
デイミオンの力を借りることにリアナは葛藤があった。王配としてふさわしい竜騎手の器がないことが、かれのもとを出奔した原因のひとつだったからだ。だが、この非常時にそれを口に出すことはためらわれた。
ナイルとルーイが瞑想室から出ていくと、デイミオンが彼女の前に立った。
「一度、確認をしておこう」
差しだされた手に自分の手をのせ、部屋の奥まで案内されていく。〈呼ばい〉の呼吸法を学ぶために設置された鏡が二人の前にあった。
「〈呼ばい〉をあわせる前に、呼吸をあわせるほうがいい。鏡を見てみろ」
リアナは、鏡に映った自分とデイミオンを見てはっとした。
デイミオンは、単に口もとを確認しろというつもりだったのだろう。だが、二人はあまりにも完璧な
「もっと一緒にいればいいのに」
エリサが彼らの後ろに立って、邪気のない顔でつぶやく。「リアナは、デイと一緒にいたほうがいいよ」
「今はね」リアナはあいまいに返答した。エリサは彼女なりに、この三人を家族と思ってくれているのかもしれない。だが、自分は……。
デイミオンはそのやりとりを聞いてもなにも言わず、彼女の後ろに立って説明をはじめた。
「こちらから無理に
「わかったわ。……どうするの?」
「レーデルルとの経路を最初につないだときのことを覚えているか? 同じようにやってみろ」
「それって……あなたを竜と思えってこと?」
「そうだ。俺はアーダルと一体化しているから、竜とおなじように感じるはずだ」
竜との一体化か。それも、リアナが他の竜騎手以上に苦手にしていることだった。平時からもっと訓練を積んでいれば……公務や育児など、その時々の仕事を言い訳に訓練を
あれこれと悔やんでいたせいか、それとも接近する嵐に意識をとられていたのか。はじめ、〈呼ばい〉はなかなかうまくいかなかった。レーデルルとのつながりはすぐそばにあるが、デイミオンとの経路が開かない。大きく、圧倒的な力の波動を感じ、つい
「だめ……」リアナは思わず弱音を吐く。「大きすぎるわ。とても、わたしのなかに
「もっと〈呼ばい〉だけに集中しろ。アーダルの情報量は無視するんだ」
心のなかまで見とおしているかのように、デイミオンが落ち着いた声で指示する。
「経路のはじまりは『額の目』じゃないぞ。
かれは自分の腹に手を当てて場所を示してから、リアナの手を取って腹部に触れさせた。大きな手で気持ちが落ち着き、ようやく少しずつ集中を取り戻していく。
しばらくして、デイミオンとつながる経路の根を見つけた。自分とは異質な温かさをまず感じ、しだいにその経路以外のすべてが暗く冷たく感じられる。暗い部屋のなかにあるロウソクの火を一心に見つめているうちに、すべてがあいまいになっていくようなこの感覚……
「〈血の呼ばい〉と似てるわ」リアナは呟いた。「あなたに言われて、最初に〈血の呼ばい〉を使ったとき……」
「それでいい」デイミオンの声が、やや遠くから聞こえた。
「レーデルルの力を、少しずつ流すぞ」
彼の言葉どおり、経路をつたってルルの力が流れこんできた。それはアーダルのように圧倒的な力だったが、不思議とおそれは感じなかった。……シャンパン色の歓喜の気配が丹田からあがってきて手足を頭をいっぱいに満たし、目の前に星がはじけるようだった。その中には、デイミオン自身の〈呼ばい〉もまじりあっている。
「……すごいわ。気象につながるすべての流れが、手の届くところにある」
まぶしさに目をまばたかせながら、リアナは感嘆して言った。
これが彼女の本当の力なら、今までの〈呼ばい〉はまるで浅瀬に足をつけて遊んでいたようなものだ。
「よし。まずはこんなものだろう」デイミオンが言った。「実際に使うまで経路は閉じていいが、つながりはそのままにしておくんだぞ」
「すごい力の
「どういたしまして」デイミオンは涼しい顔をしている。
「あなたがこんなこともできるなんて、知らなかった」
「大祭で
デイミオンはためらいながら言った。「だが、言わなかった。それを知ったら、おまえが離れていきそうな気がしたんだ。……結局は、無駄な配慮に終わったが」
顕現の舞での、神々しいまでの威容をリアナは思いだした。その後、記憶を完全に取り戻したデイミオンとのすばらしい
「あなたの力を
「だが、かわりに俺は片翼を失った。どうせ誰かにもがれるなら、自分でやるほうがまだマシだった」
二人は身体を離し、ぎこちなく距離を取った。
「あなたのそばにいる方法が、思いつかないわ」リアナは正直に言った。
「本当にそうか?」デイミオンが問う。
「娘とフィルが、今は一番大切なの。……もう、行かなくちゃ」
リアナはエリサを連れ、瞑想室を出た。レーデルルのもとへ行くまでにも、まだ、デイミオンの存在を強く感じていた。身体のなかに経路がひらかれたことで、かつての〈血の呼ばい〉に似た状態になっているらしい。これまでになく彼が近く感じられ、後ろめたくも、包みこまれるような
(今だけよ。この嵐を乗りきるあいだだけ)
リアナは自分にそう言い聞かせた。
♢♦♢ ――ハダルク――
災害対策の主力となるのは白竜と赤竜であり、炎と攻撃をつかさどる黒竜の竜騎手たちは今回は裏方に回った。〈呼ばい〉を通じての緊急連絡や、王都警備隊と連携しての避難誘導をになう。また、それぞれが私兵と堅固な屋敷をもつ貴族でもあるため、王都を中心とするいくつかの家は避難場所として開放された。
計画は完璧に動きそうに見えた。一枚岩とはいいがたい竜騎手たちも、黒竜の頂点に立つアーダルとその主人には敬意をはらう。〈呼ばい〉で意識を共有する、ひとつの群れとして嵐にあたるのだ。
ところが、予想もしないトラブルが起きた。城の上空にいたハダルクのもとに〈呼ばい〉の連絡が届く。かれの目はレクサと一体化していたから、報告を聞くまでもなかった。
横なぐりの激しい雨に打たれている白竜。嵐の中心を王都からそらし、同時に風の勢いを弱めようとしているのだ。そこに、影のように暗い黒竜が
「いったい何を――」ハダルクは思わずつぶやいた。
ぱっくりと顎をひらき、
「ナイル公の竜を、『他の群れからの攻撃』と見なしているのか……!!」
ハダルクは、竜の動きから状況を理解した。「白竜ネクターはここでは新顔の雄なのを忘れていた。早く助けださねば」
黒竜レクサはアーダルのかわりに、王都の
〔
〈呼ばい〉の通路を個別にひらき、ハダルクは部下たちを呼んだ。〔状況が見えるか? 白竜ネクターを保護し、あの二柱を落ちつかせてくれ〕
「了解しました!」若いライダー二人はすぐに応答し、炎のような強い〈呼ばい〉をきらめかせながら、暴風雨のなかへ飛び出していった。
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