第52話 ダブレインの指


「……そういうわけで、建物の倒壊とうかい等により長時間にわたって下敷き状態となりますと、救出された直後ではなく、数時間から数日後に容体が急に悪化することが知られています」

 栗色の髪に淡青の術衣。領主代理のアマトウは、講義する教師の口調になって、そう説明した。

 場所は病室。リアナとフィルが滞在している翼棟よくとうではなく、施療院に併設へいせつする離れだ。ここには、フィルとともにケガを負ったロイが滞在しており、現在はフィル同様に回復に向かっていた。

 その、さほど広くも豪華でもない離れには、ケガ人とその家族以外に三名の姿があった。アマトウ、アーシャ、そしてヴィクの三人である。


 あらたな領主として承認されてからというもの、アーシャことアスラン=アルテミス・ニシュクは精力的にはたらいていた。青の竜騎手たちとの意見交換に、領主館の改装に、エンガス公の研究の引きぎ。施療院の視察に、医師としての手技披露に、症例報告会。フィルバート・スターバウの治療方針をめぐって、上王リアナとの大ゲンカ。

 最後のものはともかく、彼女がこれほどの意欲をもって領主の仕事に取りくむとは期待していなかったアマトウは、驚きながらもすなおに喜んだ。かれにとって、領主の娘であったアーシャは手のつけられないわがまま姫だったのだ。


 アマトウは、ケガ人であるロイの腕をとったりふくらはぎを押したりして、かれを標本がわりに説明をつづけた。

「今回、フィルバート卿とロイ殿にもこの急変が起こることを心配していたのですが、さいわい、お二方とも同症状は見られませんでした」


「まあぁ。それは残念でしたこと」

 おっとりとした口調で、アーシャがつぶやいた。「わたくし、その症状が見たかったのに」

 銀髪の美姫は甘やかな笑みを浮かべ、患者にむかってとんでもないことを口にした。「あなた、いまからでももう一度、下敷きになってくださらない? わたくしの症例として、医術書にせてあげますから」

「ご、ご領主さま! どうかご勘弁かんべんを」

 おそろしいことを言われて、ロイは真っ青になった。隣の女性が、「なんてことおっしゃるんですか! はやく出ていってください!」と叫ぶ。栗色の髪の、なかなかの美女。ロイの妹フェリシーだ。

 ところで、まったくの余談よだんになるが――、フェリシーはのちに鉱山にやってきたイーゼンテルレの亡命貴族と劇的な恋愛をし、幸福な人生を送った。三人の高貴なる女性と親しく接するという変わった経験は、彼女にとってかっこうの思い出話となったようである。のちの歴史家に取材されたときには、リアナ、レヘリーン、アーシャの三人についての印象をたずねられ、「三者三様さんしゃさんようにイヤ」と言ってのけたという記録がのこっている。


「私も医師ですから、症例を確認したいお気持ちはわかりますが……」

 アマトウは苦笑した。「鉱山をかかえるニシュク家には、昔から知られた症状ですよ」

 三人は病室を出て、歓談しながら庭へとおりていった。薬草園には癒し手たちの姿があり、植物の世話にいそしんでいる。アーシャはさすが医師というところで、変わった薬草をめざとく見つけてはアマトウに確認した。ヴィクはといえば、草には興味がないとみえ、頭の後ろで腕をくんでぶらぶらと二人についていく。……庭の奥には、例の大広間のガラス屋根が見えた。赤竜のコーラーたちが周囲に浮いていて、破損を修繕しているようだ。


「そうだ、これを姫にお渡ししておきます」

 アマトウがそう言って、一冊の写本をアーシャに手渡した。「ハズリー殿から、イーゼンテルレの外科手術に関する本だそうで」

「あの男から? ……」

 アーシャは本を受けとり、ぱらぱらとめくった。

「竜術をつかわない外科手術で、なかなか興味ぶかい内容でしたよ」

「ふぅん。野心はともかく、医師としての好奇心はたもたれているようですわね」

「それが一番大事なことですからね」

 本を渡すと、アマトウは庭師に声をかけて百合ユリを数本持ってこさせた。


「わたくしの興味をひくような、おもしろい病気をさがしていましたけど、灯台もと暗しということかもしれませんわね」

 アーシャがそう言うので、アマトウはほっとした顔になった。「では、しばらくはこちらにご滞在いただけるのですね? 国内周遊は中断して……」

「あの女の筋書きにしたがうのは嫌ですけれど、しかたがありませんわ。どのみち、オーデバロンも腰を痛めているし」

「ああ」

 アマトウは、彼女のおもり役を思いだした顔になって、ふりむいた。「卿のご様子はいかがでしたか、ヴィクトリオン卿。薬湯やくとうをとどけていただきましたが……」

 

「ん? じいさんか? 超うぜぇよ」

 ヴィクはひらひらと手をふって答えた。「口をひらけば、やれ『かような醜態しゅうたいをさらして生きていくのにしのびない』とか『誓願騎手として姫をお守りするにあたわず、痛恨つうこんきわみ』とか『薬湯が苦くてまずい』とか。仰々ぎょうぎょうしいんだよ、んとに。たんなる腰痛だっつーの」

 アーシャの誓願騎手、オーデバロン卿は、数多くある離れのひとつで療養中なのである。

凡庸ぼんような男にふさわしく、凡庸な症状ですのよ」

 アーシャもつまらなさそうな顔で言った。

「ははは」アマトウはつい笑った。「あなたのような頼もしい若者がおられるので、オーデバロン卿も肩の荷が下りたのでしょう。慰労いろうをかね、よい湯治場にご紹介しましょうね」

「あー、温泉はいいかもな。じいさん、風呂好きそうだしな」

 なんだかんだ、年長者思いの様子をみせるヴィクに、アマトウの頬もゆるんだ。なにしろアーシャ姫といえばかれの頭痛の種だったが、この青年が一緒にいてくれたことは姫には好影響のようだ。プライドの高い竜騎手たちよりも、かれのような明るくさばけた若者のほうがお相手にむいているのかも。ハートレスとはいえ、あのグウィナ卿のご子息なら結婚相手にはまちがいないし……。


「あっ、おっさん今、俺のことしなさだめしてただろ!? 鳥肌たったぞ!」

 アマトウの目つきに、ヴィクは敏感になにかを察知さっちしたようだった。悪寒がするような青白い顔になる。「このわがまま姫の結婚相手にとか思ってんなら、ぜったいおことわりだからな!?」

「まあぁ、アマトウ。わたくしに男は必要なくてよ」

「い、いや、失礼、お二方ふたかた

 考えが顔に出やすい男である。アマトウはあわてて頭を下げた。「姫の成長を拝見して、ついうれしくなり……中年になるとこれだからいけない。ご寛恕かんじょを」


 アーシャは子どもに語りかけるような、聖母じみたおだやかな顔をした。なにしろ神々こうごうしいほどの美貌なので、そういう表情がよく似合っている。

「アマトウ。わたくしには、人格的な成長など必要ありませんのよ。だって、最初から完成していますものね」

「それが完成形なのかよ、伸びしろありすぎだろ」

 と、ヴィクがつっこんだが、姫君はまったく気にするそぶりをみせなかった。ほっそりした手を組んでなおもつづける。

「諸国をわたり歩き、民草たみくさの治療に従事して思いましたのは――わたくしはかれらに感謝され、聖女がごとくあがめたてまつられるのが好きだということです。自分の偉大さ、慈愛の深さを確認できますからね」

「感謝されといてそれかよ! 最悪の発想だな」と、ヴィク。


「ですから、わたくし、医師に向いているのではないかと思いますの」

「そ、……それは、ようございましたな、姫」アマトウはこわばった愛想笑いでかえした。処世にたけた男ではなく、なんと返答してよいかわからなかったのである。


 歓談に熱中していた三人だったが、ふと強い風がふき、なにかが飛んできた。

「まぁ」

「おっ……と」

 ヴィクが二人の前にすばやく動き、手にもっていた本で、そのなにかをはじきとばす。コップ大ほどの、色ガラスの破片だった。重さはさほどないが、鋭利なので刺さったりかすめたりしたら危険だっただろう。

 アマトウは、その破片よりも、自分の前にあらわれた背中の大きさに驚いてしまった。

「まだ、風が強いな」

 ヴィクは氷青の目でドームのほうを見つめる。修繕中のコーラーたちが、身振り手振りで謝罪をつたえていた。

「これは危なかった」

 アマトウが驚きから安堵あんどの表情を浮かべた。「ありがとうございます、ヴィクトリオン卿。あなたがお小さかったころのことを覚えているが、ほんとうに、立派になられて。身長などもう私よりずいぶん高い」

「うぇ。やめてくれよ」ヴィクは顔をしかめた。

「はは、失礼」

 アマトウは照れくさそうに頭をかいた。「この節年齢になると、自分のことより若い世代のことばかり気になってしまう」

 かれは竜騎手団でのハダルクの同期である。なので、かれの子どもであるヴィクやナイムのことは、親戚の子のように見てしまうのだ。

 

 三人は止まらずに歩きつづけ、庭の奥にあるエンガス公の廟についた。まだ建設の途中だが、青いモザイクタイルの美しい墓所になる予定だ。すでに、墓前には山と花が積まれている。

 政治家である前に医師でもあった公に、命を救われたという領民も多かった。


「『王国の、次代のライダーたちに治療法を』。エンガス公は病床でそう語られていたと、デイミオン王がおっしゃっていました」

 膝をおって花を手向たむけながら、アマトウは言った。「自身を実験台にした治療経過も、そのためのものだったのです。次代のためにかならず治療の道を見つけてみせると、決意しておられたのでしょう」


「……馬鹿な人」

 アーシャは立ったまま、ぽつりとつぶやいた。「ご自分がいちばん優れた医師だとうぬぼれて、すべて自分の肩に背負ってしまわれたのね。ほんとうは、そんなことはないのに。わたくしたちは、協力して治療法を見つけだすこともできたはずなのに」

 その言葉は辛辣しんらつでもあり、愛情がこもっているようでもあった。


「偉大なかたが世を去られたのは悲しいですが、次の世代には希望もある。……あなたがおっしゃるように、みなで協力しなければいけませんね」

 それから、アマトウは立ちあがり、ヴィクにむかってほほえみかけた。「たのもしい若者も来てくれたことだし」


「いや俺は……すぐにも王都にもどりたいんだけど……」

 ヴィクがぼそぼそと言った。「オーデバロンのじいさんに泣きつかれるからさ、しかたなくいるだけで」


「まあヴィク、あなたはもっと野心をもたなくては……。世紀の医神たるわたくしの護り手として、歴史書にりたくありませんの? 詩曲うたにもなるかもしれなくてよ」

「その無限の自信はどっから湧いてくるんだよ、うらやましいよ、ほんと」

 ヴィクはあきれた顔でつぶやいた。


 三人はまた歓談しながら、館のなかへと戻っていく。

 風はまだ強く、花を散らしたが、頑丈な百合はゆらぐことなく墓前を守っていた。


 ♢♦♢


 今はまだ遠い未来の話であるが、アーシャと学舎アカデミーの協力によって、デーグルモール化に有効な予防薬が発見された。転身金属を加工してくみあわせた薬は、その最初の発見者であるエンガス卿の名前をとって『ダブレインの指』と名づけられた。

 存続があやぶまれていた竜騎手たちは、ゆるやかにではあるがその数を回復させ、デイミオン王のもとで最大の繁栄はんえい享受きょうじゅすることになる。王国は、黒竜の王と白竜の王妃によって平和のうちに統治され、のちの時代から『夏の最後のかがやき』と称されるほどまばゆい、幸福の時代を過ごした。


 エンガス卿の執念はみのったのだ。






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