9 思いのゆくえ

第53話 あらたな春、黒竜の男たちは ①


 嵐の秋が終わると、その年の冬は静かに過ぎていった。


 春の足音が、遠くかすかにではあるが聞こえるようになった。新しい繁殖期を王都で迎えるため、各地からちらほらと竜車がやってくる。雪がけて黒ずんだ土からクロッカスの花が顔を出すころ、リアナたちもようやく王都にもどってきた。

 

 クロッカスの次にスイセンが咲きだした早春のある日、掬星きくせい城ではふたつの大きな出来事があった。どちらも記録にのこる重要なものだったが、人々の関心をひいたのは、やはり黒竜アーダルと同ブロークの序列争いだった。


 王と竜騎手たちの立ちあいのもとでおこなわれた正式な古竜同士の決闘は、王国の歴史でもひさしぶりのことだった。第一の竜アルファメイルアーダルに挑戦する竜があらわれたことに、竜騎手のみならず城下のひとびともおおいにきたったと記録には残っている。

 青天を夜空に変えるほどの巨大なアーダルに対し、若い雄竜ブロークは小柄で俊敏しゅんびん。すばやく死角をねらい、逆光を背負って矢のように攻撃をしかけるも、アーダルはハエをはらうように軽くあしらい、鋭い爪をくりだす。ひるんだと見せかけて、すばやくいだ尾がアーダルの鼻先を打った。雷が落ちたかと思うほどにはげしい音とともに、満月色の目がとじて黒い巨体がよろめくと、ひとびとは驚きに声をあげた――


「5分ももったぞ」

 懐中時計を確認しながら、デイミオンが快活かいかつげた。かれはアーダルの近くの上空に浮いた状態で、自身の竜の決闘を見守っていたのだった。「驚いたな。さすが、レクサをくだしただけはある」


 王が試合の終了を告げたとき、城の地面にひっくり返っていたのは若き雄竜ブロークのほうだった。尾を打ちつけたまではよかったのだが、その後すぐに反撃にあい、アーダルの頭突きで昏倒こんとうさせられてしまったのだ。……勝者アーダルはゆうゆうと降りてきて、巨大な尾を地面に打ちつけては、自身の勝利を誇示こじしている。

 序列争いを見守っていた他の雄竜たちも、アーダルにしたがうように尾を打ちつけてにぎやかに王者の防衛を祝った。

 それ以上の興奮と戦闘を避けるために王が〈呼ばい〉を放ち、王都の雄竜たちの序列を確定させる。その様子を、リアナをはじめグウィナやエピファニーたちも城の露台バルコニーから見守った。

 序列がさだまれば、その後は竜騎手たちよりもひと足さきに、竜たちが恋と繁殖の季節を迎えるのだ。

「さて、新たな雄竜が台頭してきたところで、竜騎手の人事について発表しよう」

 デイミオンは、居住区の露台バルコニーに降り立ってそう宣言した。王の声は、まだ肌寒い早春の空の下、〈呼ばい〉によって増幅ぞうふくされて竜騎手たちに届いた。

「ブロークの主人あるじ、竜騎手ロールを、竜騎手団の副長に任じる。また同時に、〈血の呼ばい〉によらない王太子として、私の後継こうけいに任命する」


 竜たちの決闘を城中から見守っていたひとびとは、おおいにどよめいた。王国をあずかる閣僚たちにとっても、この任命は初耳だった。


「このタイミングで言わなくてもいいのに。どうせなら勝って宣告されたかった」

 がっくりと地面に膝をついていた竜騎手ロールだったが、悔しそうにつぶやくと立ちあがり、リアナたちのいるバルコニーに戻ってきた。


「あなたが悔しがるところを、はじめて見た気がするわね」

 リアナは笑顔になった。「副長ですって! 竜騎手たちの上に立つ覚悟はできた?」


「まだなんとも……」

 ロールは正直にそう告げた。「ただ、ブロークがアーダル号に負けたら、王の人事を受けいれると……そういうお約束でしたので」

「男同士の約束ってわけね」

 リアナが渡してやった杯を受けとり、ロールはがぶがぶと水を飲んだ。古竜同士の決闘とはいえ、竜が興奮しすぎないように〈呼ばい〉で制御するので、ライダーの側にも負担があるのだ。

 ロールの目線は、デイミオンの戻った露台バルコニーへと向けられた。かれの隣には、よく似た顔のサンディが立っている。アーダルに負けたことを身振りではやしたてられ、ロールは苦笑して手を振った。聞くところによると、この二人、同居しているとか。うれい顔が目立っていた青年騎手に笑顔がふえたのも、そのおかげなのだろうか。


 リアナの目には、黒い長衣ルクヴァ姿のデイミオンが映る。かれのまっすぐな目線は、リアナにだけそそがれていた。ふりかえれば、西部領に滞在していたときから、デイミオンはなにやらロールと打ちあわせをしていた。いま思えば、そのときには二人は王権について話し合っていたのだろう。

「……。あなたの後任を決めなくてはね。ハダルクのところに行ってくるわ」

 そう告げると、ロールははにかむような顔を見せた。

随身ずいしんのつとめは難しくなりますが、これからも変わらず、あなたの誓願の騎手ですよ」

「ええ」

 リアナもうなずく。彼女を守るという誓いは、ロールが自身の秘密をかかえ、乗り越えるための力になったのだ。今では、かれが必要とするあいだは誓願を立てたままでよいと思うようになっていた。

 いずれはかれも、誓願という支えがなくても力強く羽ばたいていけるだろう。

 ――リアナはそう思ったのだったが、結局、竜騎手ロールの誓願は放棄ほうきされることなく彼女の生涯つづいた。後年、王となったロールはリアナの母エリサとおなじ『双竜王』の呼び名で知られることになるが、それはまた別の物語だ。



 さて、黒竜同士の対決ほど注目されたわけではなかったが、もうひとつの出来事についてもしるしておこう。

 居住区の広い露台バルコニーに、銀髪の青年があらわれた。リアナは思わず、自分の隣の露台にいるグウィナに目をむけた。誇らしそうに息子を見つめる彼女の肩を、夫のハダルクが抱いている。

 青年は伸びかけの銀髪をきちんと結い、竜騎手団の紺の長衣ルクヴァに身を包んでいた。手にはライダー・グローブ、腰には帯剣して、立派な竜騎手の格好になっている。上空には、若い雄竜の姿もあった。

「従騎手ナイメリオンを、このたびの成人にともない、正式に竜騎手として認める」

 デイミオンの声が、〈呼ばい〉とともに響きわたった。リアナは隣のロールと顔を見あわせた。こちらも、事前の通達のない人事だった。

「またナイメリオンを、ニザラン自治領区の相談役としてつかわす。マドリガル女王をよく補佐し、また王国との連絡役となるように」


 かつて王権の〈呼ばい〉を持っていた少年が、ずいぶんと成長していることに気がつかされる。竜騎手ナイメリオンは膝をついて王命を受けた。


「つつしんで拝命いたします」


 ♢♦♢


 城内に戻ったリアナは、ロールと別れ、すぐ隣の露台、つまりグウィナたちのいた部屋へと足を向けた。グウィナのほうは息子ナイメリオンのもとへ向かっていたので、その場にいたのはハダルクだけだった。

「ナイムのことだけど。相談役の人事については、グウィナ卿は不満そうだったわね」

 そう声をかけると、ハダルクも近づいてきた。

「自治領区への派遣を、左遷させんととらえる者もいるでしょうね。もとは王太子だったのにと揶揄やゆする声もあったようです。もちろん、あの子がのぞんだことですし、彼女も理解はしていましたよ」


「あなたの推薦があったと、陛下にお聞きしましたが……」

 問いかけに、リアナはうなずいた。「マドリガルは若いけれど、賢明な女王よ。ヘタに野心のある者だと信用してもらえないわ。年齢の近いナイムなら適任だと思うの」

 彼女は口に出さなかったが、ナイムは性格的に潔癖なところがあり、その点も女王と気が合いそうだと思ったのだった。マドリガルはあの口調でわかるとおり、まじめで堅苦しいところがある。

「たしかに。……それにあの子も、窮屈きゅうくつな王都より冒険の多い西部のほうがいいと言っていました。リカルド卿が同行してくださるとか?」

「リックは子ども好きだし、冒険と名のつくものに目がないの」

「私としては、卿にご同行いただけるなら心強く思います。あのかたのおかげで、ヴィクもナイムもずいぶん成長しましたから」

「リックなら、『片目をつむって見ているだけだよ』と言うわね」

 二人は顔を見あわせ、心得こころえたように笑顔になった。

「ニザランには黒竜のライダーが必要だし、実をいえば、〈鉄の王〉は引退したがっているの」



※今日は二話更新です

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