第24話 すまん、完全に無意識だった
鉱山町の中心からすこし外れたところに雰囲気のいい食堂があり、二人はそこで食事をとった。女性はネリと名乗り、町には親戚の
「奥さんが王都で仕事をしていてね。娘も生まれたばっかりだから、すぐに来られなかったんだ」
「結婚なさってたんですね。奥さまがうらやましい」
ネリは快活さのなかにお行儀のよい残念さをにじませて言った。フィルは機嫌をよくして「ふふ」と笑った。
食後には、南部のコーヒーが小さなカップで出てきた。最近町でも流行になりつつあって、飲み干したあとのカップにできる模様で恋占いをするのだとか。……自分のカップに縁結びの相がでたと言って、ネリは無邪気に喜んだ。
食堂の外に出ると、酔いを
耳の上の巻毛をひと房、指にからめ、フィルは「妻のいる男に声をかけるなんて、悪い子なんだね」とささやいた。
「そんなこと……、初めてです、こうやってわたしから男性に声をかけるのも」
娘は顔を赤らめつつ、しおらしく答えた。「でも、お気を悪くされたらごめんなさい」
「気を悪くする? まさか」フィルは笑った。「すごく楽しいよ。興奮してる」
それを聞いて娘はほっとしたように顔をあげ、男の胸に頬をすり寄せた。フィルは指輪のある手で顔にかかる髪を耳にかけてやり、ぐっと彼女に身を寄せた。逃げられないように、手首をつかんでこう言った。
「きみが、俺を罠にかけようとしているからね。かわいい間諜さん」
女性の身体がはっとこわばった。あわててフィルを引きはがそうとするが、もう遅い。
「なんで。わたしは――」
「うん、きみは完璧だったよ。どこも怪しくない」
フィルは出来のいい生徒を見るような口調になった。「かわいいし、明るくて、おしゃべり上手で、金髪で。……だれか、俺の好みをよく知ってるやつがいるみたいだね」
手を離そうともがく娘をいっそうしっかりと抱きよせながら、フィルは優しく言った。
「でも男たちがいけなかったな。あいつらは俺のことを『新入り』って言ってたけど、ティボーが顔を知らないってことは、新入りはあっちのほうということになる。そういう男たちが
それが、最初の違和感だった。手首を固定したまま、悔しそうな娘の顔をじっくりと眺めおろして楽しむ。「それに、殴る勢いも弱かった。酒を飲んで感情的にならないと拳を振りあげられないタイプの男だ。だからさっきのは、お仕事だったんだろうね」
建物の陰に仲間の気配を感じ、さらに緊張を強めながら、フィルは不敵に笑った。「……だけど俺は、しらふでするほうが好きなんだ」
♢♦♢ ――リアナ――
フィルがキーザインで美女に誘われ、ひと仕事終えて部屋に戻った朝のあたり。リアナは本来なら西に
いろいろ、予定外の出来事が起こっている。
白竜の竜騎手、ジェーニイの到着が遅れていた。本来ならもう王都に着いているころだが、
リアナはその件について、王と廷臣たちに報告しているところだった。
「この時期の嵐は珍しくもありませんが、ジェンナイル卿が足止めをされているというのが気にかかりますな」
内務卿が言った。「それほど、規模が大きいのでしょうか?」
「そう聞いているわ。アガヤでは制御が間に合わず、がけ崩れで負傷者が多数出たとか」
「『今秋は大気の乱れが大きく、自分にも予知が及ばない嵐がいくつも発生している』とあるな」伝令の内容を読みつつ、デイミオンが口をはさんだ。
「わたしの予知も、ここしばらく安定していなかったわ」
このところ心配していたように、ライダーとしての自分の力が弱まっているわけではなかったのだ。だが同時に、他の白竜卿たちにも予知できない天候の乱れというのは、大きな問題だった。
「そういうわけなので、わたしはジェーニイを助けるために南部に向かいたいの」
「しかし、リアナ卿はいま、王都の天候をつかさどっておられる。貴公に離れられるのは困る」と、内務卿。
「わたしは嵐とともに移動するわ。嵐が王都に近づけば、そのときはわたしも近くにいるはずよ」と、リアナ。
「いや、だめだ」
デイミオンが即断した。「すでに小麦の刈り入れも終わった今、農地の天候に積極的に介入する理由はない。人口の多い王都を防衛するほうが重要だ」
「王都にはナイルもいるじゃないの」
「だが、静養中と聞いている。身体の弱い卿によけいな負担はかけたくない」
「アガヤみたいな事故が起こってもいいというの? 王都を防衛すると言うけど、ケイエやロンデン、ヒバスだって大きな都市なのよ。かれらの生活を破壊させるわけにはいかないわ」
リアナは南部の都市名をあげながら反論した。
「では、囚人ロカナンを塔から出してもいい。ともかく、リアナ卿、貴殿にはここにいてもらうぞ」
デイミオンの口調は反論を許さぬものだった。
♢♦♢
会が終わると、廷臣たちがぱらぱらと部屋を出ていく。ある者は地図や書類をかかえ、ある者たちは災害対策について打ちあわせながら。リアナはいらだちで肩をいからせながら、かれらが退出するのを待った。
部屋が空っぽになったところで、ずかずかと元夫につめ寄る。さすがに廷臣たちの前で口論は避けるつもりで、この時を待っていたのだ。
「デイミオン」
ちょうど立ちあがりかかっていた王は、さっきまでの威圧的な態度が嘘のようで、リアナが声をかけてもどこか上の空の様子だった。
「さっきのはどういうことなの!? あんなふうに決めつけたりして」
「……」
「わたしにも竜騎手としてのつとめがあるのよ。白竜の一族の仕事に、たとえ王だろうと口を出される
「……」
リアナがまくしたてているあいだ、デイミオンは気の抜けたような表情で黙って彼女を見下ろしていた。
お決まりの嫌味のひとつもない元夫に、しだいにリアナは語気を弱めた。「ちょっと……聞いてるの?」
今度は無視するつもりなのかとにらみつけると、ぼんやりした青い目が見下ろしてきた。朝の光では淡青色に見える美しい目だ。王都中の女性が夢に見るような。
「なにか言ったらどう――」
リアナの言葉はそこでとぎれた。
熱く、乾いた唇が額に触れる感触に言葉を失った。
あろうことかデイミオンは、身体をかがめておでこにキスをしたのだ。まるで、夫婦間のちょっとしたスキンシップであるかのように。
あまりに突然だったので、止めるひまもなかった。別れたとはいえ家族ではあるのだから、軽い抱擁や頬へのキスくらいは許容されるだろうが、額は……。
「……ちょ……ちょっと! なにしてるのよ、デイ!!」リアナはあわてて身体を離した。怒りのあまり、近づきすぎていた自分にも非はあるのだろうか? それとも、もの欲しげな顔をしていたとか? ……まさか。
「すまん」
デイミオンは口もとを手でおおい、自分こそ驚いたというような顔をしてから謝った。「今のは完全に無意識だった」
「無意識って……。そんなことで大丈夫なの? まだ不眠が続いているんじゃ」
リアナは怒りよりもむしろ心配になった。自分の話を聞いていなかったこともそうだが、ぼうっとして急にキスしてくるなんて。デイミオンの意識にはそんなおかしな働きがあるのだろうか? 記憶喪失の後遺症だったりしないだろうか?
「考えごとを……」デイミオンはもごもごと言い訳をした。
「わたしが話しかけてるときに、考えごと? そんな重要なことなの?」
「……。……おまえには、単数婚の因子がないのかもな」
「?? なんの話なの?」
「いや。いい。天候の件はまた追って連絡する。それまで動くなよ」
「デイ……ほんとうに大丈夫かしら」
ふらふらと歩き去る背中を見おくって、リアナは心配になった。なんだか普通とはちがう感じだったけど。
あんなふうに自然に触れられるのが当たり前だった時代のことを思いだすと、同時にせつなくなった。寝室でのいとなみだけではない、愛情深いやりとりが好きだった……額や鼻先に落とされるキス、頬や耳たぶに触れてくる指、言葉より愛おしさをつたえてくる青い目……。
だが、割れたグラスのことを嘆いてもしようがない。
「天候のことといい、デイといい……。ほんとに、なかなか
リアナはため息をつき、
***
この年の秋、王都を襲う嵐には先ぶれがあったと言われている。その先ぶれこそ、国王デイミオンの玉座を揺るがしかねないスキャンダルだった。そしてそれは、フィルのもとに訪れた美女からはじまっている。
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