第二幕

4 スキャンダル

第23話 キーザインの変化


 〈竜殺し〉フィルバートがキーザイン鉱山に姿を現したのは、秋のある冷えこむ夜のことだった。

 まっさきに被害にったのはかつての恋人で、工房での日雇い仕事からの帰宅途中だった。角を曲がって路地に入ったところに急に待ち伏せにあい、「やあ、元気にしてた?」などとのんきに声をかけられて、フェリシーは文字通り顔面蒼白になった。まあ久しぶり、奥さまはお元気? 赤ちゃんは? などとかれの話に持ちこみつつ、さりげなく大通りのほうへ後ずさる。

 町の様子など適度に世間話をまじえて雑談し、もっとゆっくり話そうと持ちかけたものの、フェリシーの事務的な態度は変わらなかった。「明日も早いし、もう行かないと。また明日寄ってくれる?」と逃げられてしまう。


「じゃあ明日ね」とにこやかに応じたフィルは、そのまま彼女の後をつけ、一年前まで親しく交流していた町の自警団の面々についての情報をあたらしくした。かつての恋人に後をつけられているとは知らないフェリシーは、フィルの来訪をまるで予想された凶兆のように触れまわっていた。窓からそっとのぞくと、自警団の詰め所となっている工房には、フィルの知らない新顔の若者たちが増えていた。ふーむ。



 まだ宵の口だ。町を流し歩き、パン屋で買った南部風の柔らかいバゲットをかじりつつ、フィルはあれこれと観察した。

 通りには活気が満ち、新しい店が多かった。一年前にスタニーが扉を破壊したキャンピオンの薬屋は、きれいに修復されて雑貨屋となり、面影もない。貸本屋や宝飾店があるということは、昼には女たちも多く出歩くのだろう。……女と言えば、不意打ちで訪ねたほうがいい男が一人いるな。


 フィルは迷わずに路地を歩き、娼館の表口で用心棒に金を渡し、主人に会わせてくれるよう頼んだ。夜の街の顔役の一人、ロングノーズという男を訪ねに来たのだ。

 男は一度引っこんだものの、「旦那様はご不在です」とそっけなく断られた。金は戻ってこなかった。

「信用されてないなぁ」

(まぁ、それもしかたないけど)と、フィルは肩をすくめて通りに戻る。


 リアナが新しく集めた部隊は、アマトウの屋敷の目立たないところに逗留とうりゅうさせていて、まずは自分で出てきた。部隊を動かす前に、内部の様子をできるだけ確認して、情報を集めておきたかったのだ。でも、どうやら適任ではなかったようだ。フィルは自分を地味なタイプだと思っていて、たまに自分が大戦の英雄で非常に目立つという事実を忘れてしまう。だが、スタニーのようにはなかなかいかない。


「やっぱり部隊の誰かに頼んだほうがよかったかな。でもそうすると帰りが遅れるし……」

 そんなことを呟きつつ歩いていると、ふと「旦那」と声をかけられた。

「ティボー」

 ふり向いた先にいたのは、ずんぐりと屈強な体型に黒髪と無精ひげの男。ロイとともに男衆の中心人物の一人だった。


 ♢♦♢


 フィルはティボーに連れられ、町の酒場に入った。扉を開けると、明かりとともににぎやかなリュートの音がこぼれてくる。一年前にもあった店だが、そのときはティボーたち自警団の若者たちは別の店を使っていた。どんなに小さな町にも二つの酒場が必要だ――男が集まれば、かならず群れは二つ以上できる、というのがフィルの意見。

 つまり、ティボーは今、自警団の中心にはいないということだ。だからこそ、フィルに声をかけてきたのだろう。


 ティボーはカウンターからジョッキを二つ運んできて、ひとつをフィルの前に置き、自分も卓についた。


「帰ってくるのが遅かったですね」

 三分の一ほどを一気にあおってから、そう言う。「もう、一年前とはすっかり変わっちまいましたよ」

「俺がいないあいだ、町になにがあった?」フィルは形ばかりジョッキに口をつけた。エールは苦手なのだ。


「なにか大きなことがあったわけじゃない。ただ……徐々に。少しずつですよ」

 ティボーは炭鉱の男らしく黒ずんだ手を広げ、説明に悩んでいるようだった。

「春夏、竜騎手ライダーたちが王都に集まっているあいだに、ずいぶん男の数が増えたんです。俺にも名前がわからんヤツもいる」

 とすると、今はもう、ライダーたちが抑えられないくらいの数になっているということか。アマトウの屋敷に寄ったときにはなかった情報だ。


「そのなかにたちはいるのか? アエディクラの」

 フィルの質問に、ティボーは首を振った。

「いや。あいかわらず、混血ばかりですね。ただ、なかには『心臓なし』も……あ、失礼」

「いいさ」フィルは軽く手を振って流す。「ハートレスがいるのか?」

「そう名乗ってますね。ただ、人間との混血で、おまけに竜の心臓はないとくりゃ、はた目にも中身にも人間と違いませんからね。年とってしわくちゃにでもならん限り」

「それはそうだな」

 フィルは認めた。ハートレスと人間をわけるのは、寿命くらいのものだ。自分に比べれば、あの異形のキャンピオンのほうが、まだ竜族に近いと言えるくらいだった。少なくとも、竜の心臓を持つという意味で。


「ロイたちは、よく集まってるみたいだな? いったいなにを話しあっているんだ?」

「それは……」

 ティボーは答えに悩んでいる様子で、落ち着きなく指を動かした。銅のジョッキを持ちあげ、飲まずにまた戻した。「いや、よくわからんです。俺は最近、集まりには呼ばれないんで」

「そうか。聞いて悪かったな」

 フィルは男の前腕を軽くたたいて、気にしなくていいと示してやった。間違いなくティボーはなにかを知っているが、仲たがいしているとはいえかつての仲間たちを売るようなことは言いたくないのだろう。

 それだけでも、十分な情報だ。自警団には、やはり蜂起ほうきの可能性がある。もう少し警戒心をかせられれば、また情報も得られそうだが、同時に別の情報源もあたる必要があるだろう。


「それより、おまえはどう過ごしていたんだ?」

 尋ねると、「いつもと変わりませんよ」と返される。このあたりの愛想のなさが、リーダーに向いていない要素かもしれない。聞けば、自分が不在のあいだに若者をまとめていたのは、最初はティボーだったのだとか。フィルに近かったことと、戦術面の飲みこみが早かったおかげで、したってくる若者は多かったらしい。謎の襲撃もぱったりなくなって、町はしばらく平和が続いた。


「けど、ロイたちはそれが面白くなかったみたいで」

 ティボーはためらいつつ言った。「ちょうど、アマトウの若様も忙しくなってこっちに目が届かんし、増長するやつらもでてきて。そういうやつには罰則があるんですが、それにロイが反対するようになって」

「なるほど」

 少しずつ飲みこめてきた。フィルはエールをひと口飲み、さりげなく身体を近づけて、ティボーからもう少し情報を得ようとした。「それで、ティボー。そのときおまえはどう――」

 尋ねかけたフィルだったが、「ん?」と中断してカウンターのほうをふり返った。女性たちが数名、給仕しているのだが、さっきからテーブル席の男の数名にしつこくからかわれているらしい。酒場では珍しくない光景だが、男たちのなれなれしい手つきが気にかかった。

「なあ、今日の給金なら俺が払ってやるから、どっか遊びに行こうぜ」

「飯も酒もこいつがおごるからさ。楽しいよ」

「いえ、すみません、今日は用事が――」

「なんの用事? 俺たちもそっち行きたいなぁ」


「チッ。うるせぇやつらだ」ティボーがそちらを見て、舌打ちした。

「知ってるやつらか?」と、フィルが確認する。

「いや、知らん顔ですね」

「ふうん」

 見ると、若い女性が一人、男の膝に無理やり座らされていた。なんとか穏便に抜け出そうと、ぎこちない笑顔で断り文句を述べている。目が合うと、懇願されるようなまなざしが向けられた。ふーむ。


「ちょっと見てくるよ」

 ティボーの返答を待たず、フィルは立ちあがった。カウンターのほうへ足を向け、陽気に声をかける。

「楽しそうだな。俺にも声をかけてくれたらいいのに。今夜は暇なんだ」

 男たちの目がフィルに集まった。なかには、剣呑けんのんに懐を探っている者もいる。ナイフの数本、当然持っているだろう。

「なんだよおまえ。こっちは用はないぞ」

 フィルはむやみに挑発しなかった。男たちをぐるりと一瞥いちべつし、泣きそうな顔になっている女の子に微笑みかけてやった。

 うるさく騒ぎ立てていた黒髪の男が立ちあがり、ぺっと唾を吐いた。「かっこつけやがって。気に食わねぇツラだぜ」

「俺もこの顔が大好きってわけじゃないけど」フィルが答えると、胸ぐらをつかまれる。身長も体格もほぼ同じ。

「あっち行ってな、新入りの兄ちゃん」

 男はあざけりをこめて言い、服をつかんでいた手で強くフィルを揺さぶった。その近い距離から、そのまま頬を殴られる。フィルは避けなかったので、一発張られた勢いでよろめいた。鼻の奥がずんと痛むような、なじみ深い感覚をじっくり味わってから、ゆっくりふり向いて男を殴り返した。こちらは顎にしっかり入り、男は背後のテーブル客を巻きこみながら倒れた。その後の流れは目まぐるしかった。仲間の男がフィルに殴りかかろうとして、別の男に止められる。「やめとけって。また出禁になりたいのかよ」

 こいつが最初に難癖つけてきたんだとか、ケンカならよそでやってくれとか、そういうお定まりのやりとりがあって――拍子抜けするほどあっさりと、男たちは退出していった。


「あ、ありがとうございます。助けていただいて」

 近づいてきて頭を下げたのは、いかにも男が声をかけたくなりそうなきれいな娘だった。箱から出したばかりの人形のようにつやつやして、口紅をつけなくともサクランボのような唇をして、いたずらっぽい金髪の巻毛で。

 フィルは娘を怖がらせないように柔和な笑みを見せた。

「災難だったね。ここで働いてるの?」

「いえ、働いてるのは友だちで、わたしはからまれただけです」

 ほっとした様子で、そう答える。なにか言いたそうにもじもじとしているのを、フィルは興味深く見まもった。

「本当に助かりました」

 娘は赤くなりつつ、消え入りそうな声で言った。「あの……よろしければ、お礼にお食事でも……」

 なるほど。これなら、予想の範囲内だ。フィルはにっこり笑って答えてやった。

「助かるな。夕飯がまだなんだ」


 離れた席で、ティボーがやれやれと首を振っているのが見えた。フェリシーのことを知っているだけに、悪い癖が出たなとでも思っているのだろう。フィルは酒代をティボーの席に置き、片目をつぶって理解を求めた。


「がらの良くない店だし、早く出よう。どこに住んでるの?」

「この近くに……」

 娘の背中に手をあててうながし、フィルは夜の街へと出ていった。

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