第8話 竜騎手団の新人イビリ ②

「痛っ」

 肩のあたりに衝撃を感じて、リアナは思わず頭をかばった。その姿勢のままふり返ると、床に目当てのサドルが落ちている。

 感触からして、そのサドルが落ちてきたらしい。

「ちょっと! なにするのよ!」

 リアナは二、三歩離れた場所にいたシディウスに向かってどなった。鞍は腹帯と固定されており、ふつうにしていて落ちてくるものではないので、すぐにかれのしわざとわかった。

「おっと、失礼」

 黒髪の上半分を美々しく結った竜騎手は、うすら笑いで謝罪した。「取ってさしあげようと思ったのですが、手もとを誤りました。ご容赦ようしゃを」

「竜術でこの程度の操作もできないとグウィナ卿に思われるくらいなら、『わざとやりました』と白状するほうがいいんじゃないの?」

「そのように悪意に受けとられるとは心外です」

 シディウスはわざとらしくため息をついた。「政争に明け暮れておられる方は、の見方をなさる」


「もういいわよ」リアナはくだらなくなって、言い争いをやめた。「その鞍は、あなたが持っていってちょうだい。わたしは医務室に行ってきます」

「あなたのご命令にしたがう義務はありませんが、弱者に対するライダーの義務として、うけたまわりましょう」


 ♢♦♢


「『弱者に対するライダーの義務』ですってぇ!? 竜騎手ってほんっとうに嫌味なやつらね!」

 リアナはぷりぷりと肩をいからせながら、竜舎を出て城内に入っていった。「グウィナ卿に死ぬほどしごかれたらいいんだわ」

 竜舎は城の下層部とつながっているので、数階上の医務室はちょっと遠い。怒りのために早足になってそちらへ向かっていたものの、しばらくして、リアナは足を止めた。

 ぶつけたときは痛かったが、今は痛みはそれほどでもない。どうせ、ただの打ち身だろう。すこしばかり考え、やはり医務室には行かないことにした。


(デイミオンに知られると、なにかやっかいな気がするのよね……)

 リアナとデイミオンは、今でもおなじ医師にかかっている。おまけに、彼女はグウィナの旧友でもある。

 自分が誰かにケガさせられたと聞いたときのデイミオンの反応を想像すると、うかつに報告したくないような気がする。もちろん、今はよそよそしい関係ではあるが……こういうことについて、デイは苛烈かれつだし潔癖けっぺきだ。別れた妻が傷つけられて大喜びというタイプの男ではない。シディウスを罰するのはいいが、それで黒竜の氏族たちと溝ができても困る。別れた後でまで、自分のことで氏族と対立させたくなかった。


 結局、踵をかえして竜舎にもどり、竜医師のタビサにてもらった。さいわい、ごく軽い打撲で、処置は必要ないだろうとのことだった。

「あの臭い湿布がなつかしいわね」

「そうですね」

 リアナが言うと、タビサは笑った。先代の竜医師はすでに引退して、弟子であるかれが職位を受けついだのだ。

「ですが、次にお怪我をなさったときは、私でなくきちんと癒し手ヒーラーにお診せくださいね。ご自分をたいせつに扱われなくては」

 そうたしなめられ、申し訳なさも感じつつ、リアナは帰宅の途についたのだった。


 ♢♦♢


 夕方から雨になり、窓際ではぽつぽつ、ぴちゃぴちゃと雨音が聞こえていた。授乳を終えてソファで休んでいると、フィルがホットミルクを運んできてくれる。


 昼間の勤務疲れと、授乳後のけだるさ。それにホットミルクと心おちつく雨音がくわわって、リアナはおだやかな気分で窓の外を眺めていた。……結局、秋咲のバラの時期になっても、まだフィルの領地に戻れずにいる。

 自分もカップを取ったフィルが隣に腰かけ、ふたりは身を寄せてゆったりとくつろいでいた。

「騎手団のほうはどう?」

 ミルクをすすりつつ、フィルが尋ねた。

「なかなか難問ね」

 リアナはそう返す。「デイとハダルクが指揮を執っていたときにも、ライダーたちのエリート体質は変えられなかった。時間をかけるしかないんでしょうね

「ライダーたちは相互利益が強すぎる。解体して、王の直属にすればいいんだ」


 フィルはカップを置き、リアナの腰に手をまわしてうなじに口づけた。肩からそっと服をずらして背中に唇をすすめる。

 そのときになって、リアナはようやく傷のことを思いだした。デイのことにはすぐ思いいたったのに、が傷をどう思うか、すっかり頭から抜けていたのだった。

「フィル、言い忘れたんだけど――」

 あわてて説明しようとしたが、フィルはそれをさえぎった。「この青アザはなに?」

「棚からサドルを取ろうとして、落としちゃった」

 リアナは部分的に正直に答えた。「高いところにあったものだから……」


「俺のかわいい奥さんは、嘘つきだね」

 背中の上で、フィルが笑った気配がした。「革のサドルがぶつかったら、この程度の打撲で済むはずがない。でも、角度からして落下物ではあるかな」

 固い親指でこすられると、打った部分がじんわりと痛んだ。フィルはたしかめるように何度も触れてから、そこにも唇を落とした。


「自分で正直に答える? ……それとも、俺にどこまで言わずに我慢できるか、試してみる?」

 フィルの甘く容赦ない責め苦を想像して、リアナはおもわず息をのんだ。

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