第43話 奪いとれない

 ♢♦♢ ――デイミオン――


 黒竜の王がやってきたという噂は、またたく間にキーザインに広がった。


 ハートレスの間諜スタニーが、労働者たちのあいだにひそんでいたアエディクラの兵士をすべて発見し、確保していた。これにはイディスとその部下たちもおおいに貢献こうけんしたとのことだった。


 アマトウがケガ人の治療にかかりきりになっているあいだに、デイミオンは暴徒たちへの処遇を決めることにした。まずはスタニーを使い、事件の詳細を町に広めた。アエディクラの兵士たちがいかに巧妙に鉱山町にひそんでいたか、非道な方法でティボーを殺したか、フィルバートとロイを襲った罠のことなど。そして数日の間をおいてから、広場に処刑台を立てさせた。


 処刑はよく晴れた昼間におこなわれた。

 架刑台は六つあり、それぞれに罪人がけられている。見物人からよく見えるよう、台座は高くなっていた。

 罪人にはアエディクラ風の服が、わざわざ着せてあった。

 見物人たちは口々に罪人をののしり、処刑を待ちのぞむかけ声があがった。近くに処刑人がいないことをいぶかしむ声もあった。

 人びとの熱狂が十分に行きわたるのを待って、黒竜の王が広場に姿をあらわした。王国一の雄竜アーダルの姿はないが、当地の別の黒竜をしたがえ、見物人からよく見える空中に静止した。長身を黒い長衣ルクヴァにつつみ、きわだった美貌で処刑台を眺めおろす。宙に浮いているせいで、長衣のすそが風をはらんで広がっていた。


「アエディクラの間諜は、死をもってこれを処遇しょぐうする」

 王の声が広場に響きわたった。こんな場面でなければ、女性が聞きいりそうなバリトンだ。「わが臣民はよく見よ」

 前に突きだされた王の腕に、人々の目が吸い寄せられる。

 デイミオンは腕を横なぎに振って、炎をはなった。火は猟犬のように架刑台めがけて走り、またたく間に罪人を燃えあがらせた。

 人々が演出に熱狂する声は、さらに大きくなる。王みずからが処刑人となって、罪人を燃やし尽くしたのだから、その効果も絶大だった。


「お見事ですね」

 処刑台の近くに設けられた仮の玉座にもどってくると、スタニーがそばに寄ってきた。

「あの男たちを『自分たち鉱夫の仲間』ではなく、『敵国の間諜』と周知させた。さらに冷却期間をおくことで、市民たちも冷静になり、処刑が正当なものだという感覚を持ちやすくなる」

 灰をはらうための布を渡しながら言う。「もくろみが当たったようですね、陛下」

「おまえの案だろう。さも私が思いついたように言うな」

 デイミオンは布を受けとり、軽く流した。鉱山民にまぎれていた男たちにアエディクラの服を着せたのも、スタニーの提案だ。

「だとしても、ご自分で処刑されることを選んだのは陛下です。……王国の財産を害する者には、黒竜の炎による裁きがくだる。人々は震えあがったでしょう。将来にわたっての蜂起ほうきの芽もつまれた」

 スタニーは面白そうに目をきらめかせ、わざわざ解説した。

「しかも、王みずから処刑することでニシュク家への批判もふせいだ。労働者側との再度の交渉もやりやすくなるでしょう。そしてかれらはあなたに頭があがらなくなる。……まさに、王の采配さいはいですな」

「ごたくはいい」

 デイミオンはそっけなく言った。「やるべきことは済んだ。もう戻るぞ」

御意ぎょいに」


 長衣ルクヴァそでぐと、煙と灰の匂いがした。思わず、顔をしかめる。

 アルナスル王の時代からずっと、黒竜の炎は敵をせんめつし王国を防衛するためのもの。王として力をふるうことにためらいはなかったが、自分の手で人を燃やす感覚には奇妙な高揚こうようがあり、それがデイミオンをぞっとさせた。男たちが戦場で女性の肌を求めるように、本能がつがいの手ざわりを欲している。……リアナの顔が見たいと思った。やわらかな髪のなかに手をうずめ、抱き寄せてあの匂いに包まれたい。彼女に触れて、安堵あんどを感じたかった。


 ♢♦♢


 領主館ヘロン・ホールに戻ると病室に足を向けた。

 病室といっても、広い術室の隅に寝台が置いてあるだけの場所だ。大きなガラス窓で外部と隔てられ、なかの清潔を損なわないようになっている。輸血しているときにも見あげた天井は、鉄とガラス製のドームになっており、そこから青い光が降りそそいでいた。ドーム部分にアマトウの竜イアーゴーが箱座りしているため、その鱗が反射して青く光って見えるのだ。……これも、先日見たのとおなじ光景だった。

 違うのは術具が片づけられ、人の出入りが少ないことくらいか。

 

 まだ面会はできないらしく、リアナは赤子を抱いてガラス窓の近くに立っていた。アロミナとかれが名づけた幼子が、名づけ親に気づいてじっと目線を向けてきた。そういえば乳母のアマナと夫、それに弟のロレントゥスがこちらにやってきているという報告があったのだった。万一にそなえ、文字どおり夜をてっして娘を連れてきたのだろう。それにひきかえ、実母ときたら……。レヘリーンからは通り一遍いっぺんのお見舞いの手紙が来ただけで、本人が顔を見せるそぶりはなかった。西部の、この周辺に滞在しているというのにだ。


 リアナの目線の先に、フィルの眠る寝台がある。窓にぎりぎりまで近づけてあったから、壁さえなければ手を握ってやることもできただろう。管のような形の見なれない術具を装着されてはいたが、胸は上下していて呼吸は規則的に見えた。だが、顔色はまだ悪く、青白い頬にあざや裂傷がめだった。顔も腕も大きくれていて、痛々しかった。


「おちびちゃん、あなたのパパに話しかけてあげて。ほら」

 赤ん坊はふにゃりと手をのばしたが、母親の意図がわからなかったらしく、小さな指をひらいて上下に動かしただけだった。リアナはその手をとって、寝台にむかって振ってやった。

 眉根をよせて心細そうにフィルを見つめ、デイミオンのことは視界にも入っていないように見える。

 目を覚ましてほしい。まなざしから、そのひたむきな願いが感じとれた。割りこめない雰囲気に、息苦しさをおぼえる。


「大丈夫か?」

 声をかけると、ようやく顔がこちらに向いた。「おまえも眠っていないだろう」


「ええ」リアナは軽く目をこすり、弱々しい笑みのようなものを浮かべた。「朝までここにいてもいいのかしら? ローズもいるし、椅子を持ってきてもらおうかな」

体裁ていさいを気にするような状況でもないだろう。乳母の分も、寝台を運ばせよう。すこし休んだほうがいい」

「助かるわ」

 リアナは微笑んだが、不安を取りつくろっているような表情だった。


「アマトウが、術後の説明をしたいと言ってきた」

 デイミオンは簡潔に尋ねた。「おまえも来るか?」

 リアナはすぐに答えず、ためらうような間をおいた。

「……もう少しここに……フィルのそばにいたいの。説明は、あなたが聞いておいてくれないかしら」

 血と灰の匂いを、彼女が感じとったかはわからない。ただ、彼女の反応はどこかよそよそしかった。『瀕死ひんしの夫のまえで裏切りはしたくない』と、顔に書いてある。

「……わかった」

 デイミオンは少なからずショックを受けた。だが、あえて彼女の内心をあばこうとはせず、力づけるように肩に軽く触れた。「なにか助けが必要なことがあれば、呼んでくれ。今は〈呼ばい〉が使えるはずだ」

 そう言ってその場を立ち去った。


 彼女の性格からして、こういう反応が返ってくることは予想できないではなかった。

 地下水道で彼女を助けたときには、二人の関係が不貞でもかまわないと言ったつもりだった。それも本心ではあったが、こういう時には、つがいではない男女の絆はもろいものだと思わされる。


 ♢♦♢


 こちらに出向くという申し出を断って、デイミオンはみずから領主の部屋に足を運んだ。王太子の時代から、かれは用件があれば自分で出向くほうが好きだった。そのほうが話が早く済むし、用件が終わればさっさと出ていけばよいからだ。

 エンガス卿の執務室は、まるで城の図書室のようだった。壁面はすべて書架になっていて、ところどころに梯子ハシゴがかけてある。縦長の窓の手前に立派な執務机があり、アマトウはそこから立ちあがって王のほうへあゆみ寄った。


「経過はどうなんだ? まだ目が覚めていないようだが」

 暖炉まわりの椅子に腰をおろしながら、デイミオンが尋ねた。

「眠っている時間が長いだけで、意識はありますよ」

 アマトウはそう答えてから、脇にひかえていた小姓に命じて茶を持ってこさせた。

「術後の状態は、私の竜イアーゴーが常時観察しています。手術で臓器の損傷はほぼ修復できましたし、全身状態は落ちついている。ただ尿が出ていないのが心配です」

 がれきなどに長時間挟まれて圧迫されると、筋肉の組織が壊れ、悪い物質が生まれる。圧迫から解放されるとその物質が体内をめぐり、最悪では死に至るのだとアマトウは説明した。

後遺症こういしょうなどの心配はあるのか?」

「今はまだ、そのようなことがわかる状態ではありません」

 アマトウは明言を避けた。「今夜を乗り越えられれば、希望はあるでしょう」


 その言葉にデイミオンはがく然とした。「そんなに悪いのか」

 手術はうまくいったし、意識もあるという。それなのに、弟は明日をも知れない状態なのか。


「その……良くなってほしいというお気持ちはあるのですか?」

 アマトウはそんな王の顔色を見て、ずばりと聞いた。ハダルク同様、騎手団で長年のつきあいがあるからこそだろう。

「もちろんだ」

 デイミオンは正直に答えた。「万が一、後遺症でも残ってみろ。リアナは絶対にあいつから離れないに違いない。あいつが五体満足で無事でなければ、彼女を奪いとれない」

「そういう理由ですか……」

 アマトウはがっかりしたようだった。実の兄弟らしい情愛を期待していたのだとしたら、残念なことだろう。だが、それについてはフィルバートの側も似たようなもので、いわばおたがいさまだ。


 小姓がワゴンを運んできたので、アマトウは会話を中断して王に茶をふるまった。薬草茶のようだ。

「臣下として、陛下と卿には、できれば争っていただきたくないものです。女性をめぐる悲話は、歌劇のなかだけで十分ですよ」


「争わなければ、得られないものもある」

 カップに口をつけてから、デイミオンは言った。「俺はつがいをあきらめるつもりはない」

「お二人には、あんなに小さなお子さんがいるじゃありませんか」

 アマトウは非難する口調になった。「その家族の仲を、引き裂くことになるのですよ」


「子どもか」

 それを言われると弱い。子どもを抱いたリアナの、ガラス越しの面会を思いだしてしまう。あの場所に、デイミオンの居場所はなかった。

「リアナと弟との一時的婚姻は、元はと言えば、俺が子どもを望んだことからはじまった」

 話の行きがかり上しかたなく、そうふり返った。「それなのに今リアナを求めれば、あの赤ん坊から父か母かを奪うことになる。子どもを望んでおいてその子を不幸にするのは、無責任だ。……その点については、卿の指摘のとおりだろう」


「では、どうなさるおつもりです?」

 アマトウが茶のお替わりをごうとするのを、手で制した。

「婚姻のことは、時間をかけてもいいと思っている。それまでは家族として彼女を支えるつもりだ。……まずはフィルに、今夜を乗り越えてもらわなければ」

「最善を尽くしますよ」アマトウもけあった。

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